CALL Ⅰ
……見つけた……!
カツキは、ほっと息をついた。思った通りだったけど、緑の王国はあまりに広すぎた。
弾みかけていた呼吸を堪えて、足を早める。
見覚えのある茶色く脱色された髪が、平らな生け垣の上にのぞいていた。
垣根の切れ間から、カツキは一歩踏み出した。両手に抱えた二人分の学生カバンの重みが、少し軽くなった気がする。
今日こそは、リツキと一緒に帰ろうと決めていた。アパートに帰れば狭い部屋で顔を突き合わせて暮らしているっていうのに。ここ数日、すまない気分を抱えて苦しかった。
カツキが、放課後一人で居残るものだから、別々に帰宅していたせいもある。
一番の理由は。双子の兄弟なのに、学校に居る間はなんだか距離がある。離れている時間が増えると、お互いの知らない時間の分だけ、余所余所しい気分になる。
「! リツキ……!? !? ! ?」
呼びかけた言葉が、まるで彼等への合図のようだった。
男子校だから、ここに居るはずのない紺と白のセーラー服、短いスカートの人影。
リツキの傍らに少女が佇んでいた。後ろ姿だが、年はカツキたちと同じくらい?
彼女は自分の体を押しやるように、前へ踏み込んだ。
ショート・ボブの襟足からのぞく、白い白い、細すぎる首筋が、すいっと伸びた。
「!」
リツキはカツキに振り向き……。振り向こうとして、彼女に動きにすべてを封じられた。
……何……?
りつきガ、オンナノコト、きす…………? ……ナ……?
カツキの足元に落ちた学生カバンが、鈍い音を上げた。無意識のうちに膝を屈め、手探る。
「……ゴメンなさい……、僕、一人で帰るから……!」
唇を塞がれたリツキの目は、驚いて見開かれたまま。少女ではなくカツキに向いていた。
その瞳に、鋭い険が閃く。
……離れなきゃ……、ここから……。
カツキの動悸が速まる。カバン、拾って……。なのに、二人から視線が離れない……。
「あ……!」
目を疑い、カツキは体を堅くした。
「! リツキっ!?」
外せなかった視界の中で、細く小さくて折れてしまいそうな少女の体が突き飛ばされた。
乱暴に、左肩を押しやったのはリツキの手。
青ざめたカツキの心配を余所に、少女はしなやかに、白い蝶々みたいに体を翻らせた。
……カツキは、ほうっと息を吐いた。
物語の中の天使か、妖精みたいだった。
細くて折れてしまいそうな体の中に、少女たちはしたたかで強靭な何かを隠し持っている。
その強さに、カツキは一瞬、目を奪われていた。
「何すんだよ……!」
リツキの罵声が、夢のような映像の一番最後に届き、現実にひきもどした。
とっ、と少女が踏み締めた芝生が少しだけ千切れ、蹴散らされた。
「いいじゃない? キスくらい。
一緒に寝るのはよくて、キスは嫌だなんて、あんた変よ」
カツキは耳を疑った。冷や汗が一気に吹き出してくる。
……今、何って……?
言葉の内容も、彼女の言葉使いも。信じられなかった。
彼女は妖精でも天使でもない。
クールな素振りでいながら、横目でリツキを見返す目尻には挑発的な媚びが滲んでいる。
子供っぽい顔立ち。おせじにも大人の体型とはいえない体つき。その姿のままで、彼女は『女』を演じようとしている。
「ただ寝た、だけだろ!? 変な言い方はよせよなっ」
言い捨てるリツキは本気で怒っていた。相手が少女であることを完全に忘れている。
「二度と、そのツラを出すなよ。わかったな!?」
「……リツキ、そんな言い方……」
「帰るぞ、カツ。そのカバン拾えよ」
左手で、眉をしかめながら前髪をかきあげる。リツキの癖。感情が昂る時は、かならず、ああする。そうして、揺れる視線が、長すぎる前髪に隠れるのを確認するように少し顎を引き、前髪の先端を揺らす。
……何に苛立ってる? 僕がここに来たから……?
それとも。
カツキは、歩み寄ってくるリツキと、立ち尽くす少女を素早く見比べた。
「! アタシがハンパな気持ちで、あんなことしたと思ってるの!?」
上体だけを捻じって、彼女がリツキに向かって叫んだ。
「……黙れよ。寝た寝たって騒ぐな!
俺は何もお前にしてねーだろ?
それに、言い寄ってきたのは、そっちの方だぜ。
いいか? 俺は、お前を欲しくない。……いらないんだよ。消えろ」
振り向きもせず、リツキは言った。
「………リツキ……」
胸が苦しくなる……。
耳にしたカツキの方が、投げ返された言葉の痛みで、座り込みたくなる。
少女の顔立ちは完全に凍り付いていた。
「あ……、あんたなんかサイテーよ……!!」
「カツ、行くぞ」
当て付けみたいに、リツキの言葉はいつもより柔らかい。
その時初めて、彼女はカツキを見据えた。
目が合った。
すぐに視線が逸れる。けれど見えた。涙……?
目尻に光る、透明な輝きが風に振り払われる。
固めた拳を振り上げながら、少女は突進してきた。背を向けていたリツキが気配を察する。向き直ろうとしながら、腕を振り上げる。
「リツキ、やめて! やめてよ!!」
夢中で、カツキはリツキの体にしがみついた。両腕に渾身の力を込めながら瞼を閉じる。
一度、二度三度……。身構えていたよりも、ずっと柔らかい重みが、リツキの背中に回したカツキの腕にもぶつかる。何度も。繰り返し。
……ゴメン……。
リツキの胸に呟きながら、カツキは精一杯掌を広げ、リツキの背中を守ろうとした。けれど、めちゃくちゃな拳の攻撃は防ぎきれない。
……ゴメンなさい……。もう、リツキを許してよ。
……こいつ、口が悪くて、他人の気持ちなんて全然お構い無しで。身勝手で、独り善がりで我が儘で。威張り屋で、すつごくひどい奴だってのは、僕が一番良く知ってるよ。……いつもからかわれたり、冷たく扱われているから。
でもね!? でも、良い所も無いわけじゃない。僕には、たった一人の兄弟で。唯一の肉親……。……そんなの君には関係ないけど。
関係ないのはわかってる。でもリツキを、少しでも好きになったんでしょ?
どこか、いいところがあったから……。そうだろ?
本当は、弱いんだよ。僕が居ないと、眠ることもできないくらいに……。
リツキは一人じゃ、安らげない。僕の心臓の音を聞いて、やっと眠れるんだ。
「……おい? おい、カツキ?」
呼び声に、カツキは我に返った。
庇い役は逆転していた。膝が震えて、カツキは一人で立っていられなかった。リツキがカツキの両脇を抱えて、カツキは腕だけでしがみついているだけ。
「ごめ……ん、リツキ……」
カツキは情けない気分で一杯になった。いつもこのパターンだ。カツキが動転している時は、リツキは全能みたいに冷静にしている。こんなふうに感情的になるから、リツキが苛立つんだ。
肩を落とすカツキに、リツキは何も言い返さなかった。
一人で立ち、顔を上げ周囲を見回すと、少女の姿はあたりには無かった。
膝同様に、まだがくがくする両腕には、彼女の暖かい拳の感触が残っているのに。
「お前に驚いて、すぐに逃げちまったよ。
捨て台詞を残してさ」
呆れ返った苦笑いをリツキは浮かべた。
バツが悪くて、カツキはその場でうつむいてしまった。
「……何って言ってた……?」
そんな言葉も聞こえなかった自分が、恥ずかしかった。
リツキがこれ以上、女の子に手を上げないよう。必死だった。
黙りこくったリツキ。
顔色を伺うカツキに、冷淡な横顔を向けて言い放った。
「何だっていいだろ? もう関係ないぜ」
自分のカバンだけを小脇に抱え、リツキは先に歩き出した。歩道も芝生も無視をして。
カツキは遠のく背中に、小さく溜め息を吐き出した。
何の未練もない。後悔もためらいも、リツキの素振りにはうかがえない。
本心から、今起きたことのすべてを切り捨てている。
『俺は、お前を欲しくない』
自分に向けられた言葉じゃないのに、カツキの胸がきりきりと痛んだ。
『欲しい』か『欲しくない』のどちらかなの?
……リツキ!? リツキの頭の中には、そんな選び方しかない?
「……だったら、僕は、どっちに入るんだ……」
カツキは肩を一度引き上げて溜め息とともに落とした。自分の思考を振り払う。
知りたくもない、そんな答え。
そんな二つの言葉で選択される対象だと、思いたくもなかった。
二人は命を分け合った一卵性双生児なのだから。
性格は正反対だけど、鏡を見ればわかる。まったく違いのない顔。違いのない背格好。
……けれど僕らは、一人ではない。
お互いに無いものを求めあって、補い暮らしていても。
決して、一つにはなれない。




