二話 水原涼子の場合
二話です、ここまで書くのが限界です、表現力も文章力もないのでとてもつまらない出来です、ごめんなさい
俺は斉藤 一樹、20歳大学生だ。性格はよく明るいと言われるが自分ではわからない優柔不断だと自分で思っている。
サークルには所属しておらず、家族は父、母、姉、自分の四人、
今俺たち家族は大変な経済危機を迎えている。
不幸自慢するわけではないが、大学生の俺は養ってもらっている状態で、父の働いている会社の親会社が不渡りを出し給与すら出せない状態になってしまった。
そんな中、母が、働いている工場でパワハラを工場長から受けかけて拒否し社長に直接報告したが、恨まれ事業収入悪化を理由にリストラされてしまう。
姉は中卒ニートだったが立ち直るためにはじめたボランティアで老人ホームに行き目覚めそのまま介護職員に、
勉強して高卒認定を取り、さらに勉強して看護師学校を目指している。
そんな姉の給与は安く、夢もあるため貯金もしたい、家の経済状況が悪化する前に買い換えたワゴン車のローンも響き家のローンも完済していない。
俺は、学校ほとんどいかなくなりアルバイト三昧になった、コンビニ、ファミレス、室内プールの監視員のみっつだ。
半年もやっているとなれてきて、大学は留年確定、そもそも金がない、
父の働いている会社はなんとか別の取引先を見つけ少しだけ回復したり母はアルバイトを始めたりしているが先立つものが圧倒的にたりないのだ。
大学を辞め、就職活動をしよう!と俺は決意した。
その中、社員登用が認められそうなのは三つのなかでファミレスだけであり、(コンビニはチェーンだし、室内プールは市営で人事の人に会う事がない為)
ファミレスもブラックで、シフトを勝手に増やされたり勝手ないちゃもんを社員に言われ勝手に残業をタイムカード切ってあくまで自主的に強制的にやらされる。
そんなこともあり、きちんとしたところで接客という仕事をやってみようと思っていた。
そんな時、コンビニの仕事が割りとなんでもできるようになったときだ。
深夜の二時住宅街にあるコンビニの駐車場で、花火をし始めた若者(大体中学生くらい)の集団(6人)が現れたのだ。
深夜のコンビニはバイト二人でまわしており、一人はこの前入った新人で戦々恐々としており、
まず俺が口上注意をし、その後やめないようなら警察を呼ぼうという事になった。
「(最近の子供やべぇ・・・)君たち、時間も時間で迷惑になるし、お店としても迷惑だからやめてくれないかな?これ以上やると警察よばなきゃいけなくなる」
「は?こいつなにいってんの?」
「ぎゃはは、呼んでみろよ」
「本当にこれ以上やると警察よばなきゃいけなくなるからやめようね?」
といって店内に戻り、気付いたら冷汗を書いていたことに気付いた、ああゆうやつらってこえー餓鬼でも人数いると迫力あるなぁ。
と、思いつつ監視カメラから駐車場の状態を確認し、一向にやめようとしない迷惑行為を見て警察を呼んだ。
その後割りとすぐに警察が来てくれた。
警察を見た瞬間少年たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
その後警察に事情を話し、最近多いんですよーと教えてもらい次はすぐ呼んでくれと忠告されかえっていった。
何事もなく朝になり次のシフトの人たちへの引継ぎ作業も終え帰り始めた。
そして、コンビニからの帰り道、俺は襲われた。
暴力なんて喧嘩数回の俺は突然後ろから鉄製バットで殴られ地面に転がる。
それを集団でリンチする少年達。
そう花火をしていた少年達であった。
その少年達は、「なに通報してんだてめぇ」からはじまり「こいつよわっちぃぜ、ぎゃはは」に変わり「むかつくんだよ」で終わった。
斉藤一樹としてみた最後の光景は金属バットを振り下ろす少年の姿だった。
次に目が覚めた時、生きてた!俺生きてた!!と感激した。というか声に出そうとした。
だが声はでず、身動きすらとれない、視力は以上にまぶしく感じる光のため当てにならない状態だった。
ああ、そんなに大怪我しているのか。
金が、少年達に払わせられるかな?警察きっちり捕まえててくれよ。
と思っていた時、ナースが来た。
「みずはら・・・りょうこちゃんね!」
と、ガラスにような場所に紙を貼り付けた、それは名前だった。
よく見るとその他にも、「母 水原 幸恵」などと書かれていた。
俺は保育器に入っていた。
そう、おれは赤ん坊になっていたのだ。
俺の赤ん坊生活は最初はきつかった、何せ赤ん坊だ、やる事がない。
どうして俺はここにいるのか、生まれ変わったのか、なら俺は、斉藤一樹は死んだのか・・・。
家族は大丈夫なのか、ろくに親孝行できなかった。
様々な考えが浮かびは沈む。
そんな中現れたのは水原涼子の母親だった。
「うまれてきてくれてありがとう。」
その女性にそういわれた時、俺は、声に出して---------
「おぎゃああああああああああ」
泣いたのだ、
俺は今ここで生きていると認識した。
それからというもの、俺の赤ちゃん生活は割りと気楽で結構退屈な日々だった。
赤ちゃんが家のお金を気にする事もなければ、せわしなく働く事もしない。
食べては寝ての繰り返し、気楽だった。
赤ちゃんが立って歩く事もなければ、自力でトイレができるわけでもない。
オムツ交換は恥ずかしかった。
俺は早く動きたくて、できるだけ体を動かすようにした。
歩く事ができるようになったのは生後九ヶ月の事だった。
最初やっと立つことができてうれしくて泣いてしまった。
歩けるようになってからさらに時間を延ばそうと頑張った。
母親からは「あらあら、元気な子ねふふ」と微笑ましい目で見られた。
その後、俺は4歳になり母親から愛されまくって育ててもらっていた。
母親も、無理に仕事を休んでいるらしくたまに電話で謝っている。
滅多に帰ってこない仕事人間の父親は「もう保育園に預けてもいいだろう」といっているが
母が「あの子が心配なの!可愛すぎていじめられやしないかって!!」
とヒステリックに叫んでてちょい引いたのは心の中にしまっておこうと思う。
そんなこんなでやっと保育園デビューした俺は、最初割と子供の元気っぷりに押されていたが、体を動かすことならまけねぇ!
と、頑張っていたらなんだかんだで子供達と付き合えるようになっていた。
そうして遊びまくっていたら、仲間はずれだった子を見つけ仲間に入れてあげたり、喧嘩を仲裁したり、むしろ制裁したりしていたら、
気がついたらガキ大将的なポジションになっていた。
たまに母に「女の子だからもっとお淑やかに」と言われる
俺、前世男だったんすよwwwwと、言えたらどんなにいいかと思ったが、今は女なので言い分はもっともである。
母の前で俺と使ったら「女の子なんだから俺とか言っちゃだめ!」
と言われてしまい、欠片しか残っていない男の矜持を総動員して僕といったら、
「か、かわいい!!」と抱きつかれてしまった。
どうやらこれからは一人称が僕になるらしい(自分のことだろ!)
そんなこんなで6歳、小学校入学である。
公立の家から徒歩で15分くらいの学校に通うことになった僕は、やたらおしゃれな母が買ってきた服に身を包み学校に向かう。
最近のマイブームは「走る」事だ、もちろん競技として、いまだお遊びの域は出ないが走ることに喜びを見出した。
体を動かすことは楽しい、赤ん坊の期間に意識がありつらかっただけになおさら楽しさが理解できるようになった。
早く走れるようになるのは楽しい、もっと速く具体的な数値がわかるのが楽しい、母親が買ってくれたオサレなスポーツ腕時計で数値が測れるようになったのも大きい
意識的に走るようになってから一年、僕はもう二年生になった。
最近困った問題がおこっている。
保育園から一緒だった、男の子がやたら絡みいじめもどきをするようになったのだ。
たとえば、僕が着ている服はスカートだ、母が買ってきてくれた可愛らしいデザインのスカートだ。
そしてその男子はスカートめくりをする、僕にむかってだ。
もしかして好きな子に関わりたくてでも関わり方がわからなくていじめちゃう男子的な?
ぞぞぞっと背筋が凍った、僕は女だが男と付き合うことはできないかもしれない。
いまだに前世の感性は残っており、好きなタイプは清楚な女の子、例えば窓際でゆったり本を読んでいる黒髪ロングの少女とか最高だと思う。
そんなこんなで、わりと増えてきたちょっかいをかける男子をできるだけかわしつつそれでも被害にあうので母に、スカート以外買ってください。
とお願いし、理由を話したら
「あらあら、涼子ちゃんモテるのね♪」
と、いいホットパンツを買ってきた。oh,,,セクシィえ?僕が着るの?
と動きやすくなったが羞恥心で微妙な服を着る羽目になったりしつつもう6年生、実は僕は割りと有名だ。
早く走ることで有名なのだ。
最初は僕の楽しい「走る」だったのが特技の「走る」になり、学校の「走る」になった。
その後母にも話しが行きみんなの「走る」になった後、スポーツ特待生の話が来た。
なんでも大学付属の一流中学校から話が来たらしくしかもわりと近く、なんと電車で10分でいけるのだ。
近くて便利で一流、迷う必要はない。・・・そう迷う必要はない。
私は楽しくて走るのか、期待に応えたくて走るのかわからなくなっていた。
そんな中、小学校を卒業し、絡んでくる男子たちが告白ムードに入りかけているのを強引に離脱し、逃げ切るのだった。
そして、いつのまにか中学の入学式、公立小学校と違ってすごく綺麗で広い体育館で入学式を行い終わった。
その後、僕は運命?の出会いをする---------
運命?それとも・・・水原涼子