第一章:かつての親友
イギリスの首都ロンドン北部に位置する“イズリントン”の外れにある少し古びた建物が事務所兼住み家だ。
ここには二、三年前から人間界に降りてひっそりと住み始めている。
イズリントンはイギリス一と称されるほど多様な階級層が住んでいるの。
それが嫌というほど眼に入るのはよくある事。
私の住んでいるオンボロ建物の隣は超高級マンションだもの
住む所なんて何処でも良かったのだが、ヨーロッパなら色々と便利であると何となく思っただけ。
何で天使の私が人間界に居るの?と何時も訊かれるわ。
天使は天界に住むのが普通で人間界---下界にはそう足は運ばない。
何故か?言うなら行く必要性も無いし、行けば人手が足りなくなるから。
天界も最近は不祥事が多かったり信仰心が減ったりしててんてこ舞いに忙しいのよ。
で、その天使である私が何で下界と蔑むような所に居るのか?という答えは到って簡単。
『スリルを味わいたいから』
天界などという偽善者の集まる糞溜めのような場所より欲望が渦巻く人間界でスリルを味わいながら生きたかった。
まぁ、他にも理由はあるけど大抵の奴等に答える台詞をここでは言わせてもらうわ。
スリルを味わいたい一心で仕事を放棄して人間界に降りたの。
元々仕事は部下に丸投げしていたから部下にとっても良い事だと思っているわ。
人間界に降りた私は魔術を使わずに自分の腕だけを頼りに裏世界で生きる事に決めた。
魔術は今の人間界では認められていないが理由。
今は科学が進歩して魔術などの類いは「存在しない」と言われているの。
要は自分達が手に入らない代物であり胡散臭い物を信じたくないだけの話だけどね。
でも私にとっては魔術を使わない正確に言えば使えない状況は嬉しい限りだ。
魔術を使えば一発で済む相手も使えないとなれば倒すのも難しい。
危うければ私が殺される可能性だってあるが、それこそ究極のスリルでしょ?
魔術を使わない私が武器としているのは銃。
人間界には争いの道具が沢山あって助かるわ。
で、私が使っている拳銃は“コルト・パイソン357マグナム”というリボルバー。
アメリカのコルト社が開発した6連発式のダブルアクション式リボルバーで“357マグナム”という強力な弾を発射する事が出来る。
ちなみにパイソンは蛇の名前。
天界では蛇は悪を意味する。
その蛇の名を持つ拳銃を愛銃にしている私。
中々の皮肉でしょ?
その拳銃を頼りに私は一匹狼を貫き裏世界に足を踏み入れた。
最初こそ情けない仕事ばかりで嫌気が差したけど直ぐに頭角を出してマフィアやギャングといった人間でいうなら悪党の輩が私に仕事を頼みに来た。
私が待ち望んでいた危険で欲望が渦巻く仕事だ。
スリルが好きな私には断る必要もないから二つ返事で直ぐにOKを出した。
最初の依頼は大した事ではなかったが、少しずつ大きな仕事を任されるようになった。
そして、運命的とも言える仕事を頼まれる日が来た。
敵対する組織を潰せという事だった。
私が雇われた組織はフランスに手を伸ばしたかったが、そこには邪魔な組織が居る。
だからその組織を潰せ、と言われたの。
直ぐに行動を開始して組織を潰しに掛ったが、そこで思わぬ人物と再会する事となった。
・・・・・飛天だ。
かつて私が人間から悪魔にした男である飛天。
彼が私の潰す組織にいたのよ。
しかも、その組織の長というから驚いたわ。
でも彼は私を見ても顔色ひとつ変えずに攻撃してきた。
酷い話でしょ?
古い馴染みの女に挨拶代わりに鉛玉を撃って来たんだから・・・・・・・
まぁ、私もお返しとばかりに飛天を撃って双方ともに銃弾を食らう事になったけど。
私は飛天の7.63mmモーゼル弾を飛天は私の357マグナム弾を受けて重傷を負い結局は警察の手も出て来たので痛み分けという事で依頼は不完全に終わった。
だけど、組織としてはまだ諦めていなかったらしく二度目の攻撃を行おうとした。
でも、その矢先に皆殺しにされて壊滅となった。
誰がやったかは見当が付くでしょ?
雇われた組織を壊滅された私は銀で作られた7.63mmモーゼル弾の傷を癒すと直ぐに飛天を探し出した。
普通なら直ぐに治るんだけど、銀で作られた---銀製の物で攻撃されると治りが遅いのよ。
銀の武器は善悪を問わず絶大な効果を発揮するの。
天使である私も例外じゃないわ。
話を戻すと傷を癒した私は飛天を探した。
直ぐに居場所は尽き止めたけど、ね。
彼はイギリスではなくフランスのマルセイユというフランス一の港街に住んでいた。
そこで彼は畏敬の念を込めて“伯爵”と呼ばれていたわ。
私が来るのを飛天は予想していたのか訊ねてきた私を見ても平然として丸い氷が入ったロック・グラスにスコッチを注いで煽っていた。
そして私にも酒を勧めてきた。
断る理由など何処にも無いから私は頷いてグラスを片手に飛天とスコッチを飲みながら話し合った。
飛天は悪魔になってから敵対していた同族を皆殺しにして魔界での地位を確立させたがそこからは暇でしょうがなかったらしい。
最近は魔界も飽和気味らしくて皆、血の香りに飢えていたらしいわ。
そんなに魔界を出て人間界に来た飛天は裏世界に入りあっと言う間に君臨した。
主な仕事は古いマフィアが手を染めた仕事だけど、表の仕事もしているというし彼に助けを求める人間達を助けているらしい。
神にでもなった積り?と訊いたけど彼はそれを鼻で嗤った。
次に私は魔界で同族を殺した事について質問した。
同族殺しは魔界では禁じられている。
もし、行えば極刑は免れない。
しかし、皇帝であり彼の養父でもある蠅の王---ベルゼブルが直々に命令したから問題ないと聞いた。
今度は飛天が訊いて来たが私も同じようなものだと答えると少し皮肉気に笑われた。
どういう経緯かは忘れたけどその日の夜、初めて飛天とベッドを共にした。
酒の勢いか私に銃弾を撃ち込んだ男への意趣返しか分からなかった。
しかし、そんな事を考える暇もなく私はベッドで獣の雄叫びのように啼き続ける事になった。
飛天の荒々しいキスで力を抜かれて荒々しい剣で身体を貫かれてからは快楽の如く啼き続けて貪られた。
こんな事は初めてだったが、やはり私が見込んだだけの男であると歓喜が湧いた。
行為が終わりベッドで煙草を蒸かす隣の飛天に私は提案した。
『私と手を組まない?』
彼となら今まで以上にスリルを味わえるだろう。
しかし、飛天の答えはNOだった。
『他人と手は組まない』
そう言われた時には少なからず落胆した。
私は貴方にとっては他人なの?
貴方に抱かれたのに・・・・・
らしくない・・・女々しい事を思った。
そんな私を見て飛天はこう続けた。
『だが、依頼なら受けてやる』
つまり依頼をすれば飛天と仕事が出来るという事だった。
この言葉には一にもなく了承して一時的だが飛天とコンビを組む事になった。
依頼の内容は簡単。
人間界で傍若無人に暴れ回るダニ共を始末する事。
悪魔、天使、精霊・・・・・・・・
そいつらを灰にするのが仕事。
もうそれを何年もしているが、未だに飛天とは一時的なコンビから抜け出せない。
私としては永遠の相棒となりたいのに。
まぁ、こんな酒の肴にもならない話は終わりにしましょう。
現在、私は事務所で時間が過ぎるのをただソファーで寝そべって煙草を蒸かしながら待っている。
私の事務所に客が来るのは極めて異例と言える。
マフィアと絡んでいる事も理由の一つだが、私自身が下らない依頼は引き受けないからも含まれている。
いま吸っている煙草の銘柄はフランスのゴロワーズ。
ゴロワーズとは直訳すると「ゴール人の女」を意味し現代のフランスにあたる地方の古名で形容詞では「好色な」、「陽気な」の意味合いを持つ。
イラストは兜に羽が生えた絵で、これは古代ガリア人の騎士が被っていた兜で後にフランスの伝統的な兜になったわ。
初めて人間界に降りた時に立ち寄ったBARに置いてあったのを吸い始めてから愛用するようになった。
仕事が無い時はいつもソファーでこれを吸いながら時間が過ぎるのを待っている。
天界でも同じで恐らく飛天も私と同じような気持ちだったのだろう。
そんな下らない事を考えながらゴロワーズを銜えたまま煙を吐き出して白のペンキを塗られた天井を見上げた。
元々は白かったのが煙草の煙で少し汚く黄色っぽかったが、こっちの方が私は気に入っている。
飛天に依頼をして仕事を済ませてから一週間。
その間が何も仕事が無くて暇だった。
これが会社経営の探偵事務所なら依頼は沢山あるだろう。
浮気調査、ペット捜索、ストーカー対策、盗聴対策などとスリルの欠片も無い退屈な仕事ばかりでそんな仕事だったら事務所で煙草を蒸かしていた方が何倍もマシだった。
「飛天は何をしているのかしら?」
彼は人脈が広くマフィア同士の喧嘩の仲介や武器密売などを手広くやっているから私より暇ではない。
何だか無性に知りたくなって飛天の携帯に電話を掛けたが留守電だったので電話をくれるように伝言をした。
携帯をテーブルに置いた時にドアを叩く音が聞こえた。
「・・・・・・」
私は音を立てずに左脇に吊るしていた革製のホルスターからパイソン357マグナムを取り出して静かにドアに近づいた。
バンッ
勢いよくドアを開けてマグナムを向けた。
「・・・・いきなり物騒な出迎えね」
呆れた声でパイソンの銃口を向けられながら口にするのは女の口調は冷静だった。
顔立ちは端正な職人が鑿で丹念に掘ったように整えられており同性からは嫉妬を、男からは好色な眼差しを向けられる事だろう。
身体も出る所は出て、締まる所は締まっている身体だからね。
髪は茶色で尻まで伸ばした長髪---ロング・ヘアー。
瞳は髪の色よりも濃い色の鳶色で服装は質素な白いブラウスと薄紫のロングスカートを履いている。
見た目が良いから何を着ても似合う女なのよね。
中身は最悪だけど。
「・・・・貴方だったの。“ラファエル”」
パイソンの銃口を下ろし名前を呼んだ。
私と同じ天使で癒しを司り悪霊退治を生業とする大天使ラファエル。
神の熱、輝ける者という名称を持ち旅人の守護者でもある。
真面目で優しい彼女は私と真逆の性格だけど、昔は変に馬が合って親友と呼べる間柄だったわ。
そう・・・昔は、ね・・・・・・・・
「何か用?」
私はパイソンをホルスターの中に仕舞うとラファエルを事務所の中に入れた。
どうせ、訊かなくても内容は分かっているが・・・・・・・・・・
「・・・・分かってるでしょ?」
ラファエルは困った口調で勧められたソファーに座った。
「・・・・分からないわね」
私は敢えて誤魔化そうとした。
「・・・・天界に帰りましょう」
真剣な眼差しを送り私に告げるラファエル。
毎度の事だがいい加減にして欲しい。
この女がここに来るのは何時も同じ。
私を天界に帰えるようにする為の説得。
天界を去ってから直ぐに居場所を突き止めると月に一度か若しくは半年に一回の回数で私の説得に来る。
「貴方が天界を出て行って仕事が私にも回って来て大変なのよ」
「そう。それは大変ね」
感情を込めずに返事をしてゴロワーズを銜えて火を点けた。
ラファエルは僅かに咳をした。
「煙草は止しなさい」
「あんたに言われたくないわ」
私はラファエルに煙を吐いて言ってやった。
ラファエルは余り怒らない方だが、こればかりは眉を顰めた。
「・・・・貴方が天界を去って貴方の部下達が大変なのよ」
「それで?」
「・・・・・・・・」
これにはラファエルも閉口した。
私は気にせずゴロワーズを肺に入れて少し煙を出した。
すると携帯の着信音が鳴った。
ラファエルの了解を得ずに電話に出た。
「・・・・はい?」
『・・・・何か用か?』
電話の相手は飛天だった。
何て悪い時に電話を掛けて来たのよ。
私は心の中で愚痴ったが飛天は知る由もない。
『・・・・どうした?』
少し大きな声で喋る飛天に私は平静を装って答えた。
「・・・いいえ。何でもないわ」
ラファエルが居る傍ら落ち着いた口調で喋る。
この女に相手が飛天だと知られたら厄介だからだ。
『なら良い。それで何か用か?』
「これから会わない?」
『・・・・分かった』
飛天は少し間をおいてから答えた。
恐らく僅かに考えたんでしょうね。
「それじゃ、今から一時間後に前のBARで」
要件だけを伝えると電話を一方的に切った。
「という訳で私は出かけるから」
「ちょ、ガブリエル!!」
私は急いで茶色のトレンチコートを羽織ると止めようとするラファエルを押し退けて事務所の直ぐ隣に立っている車庫に向かった。
そこ停めてある紺色に塗った“シエトロン・DS”に乗った。
シエトロンはフランスの自動車メーカーであるシエトロンが開発した前輪駆動の車。
独特な油圧サスペンションをこれまた独自の油圧機構で統括構成しており登場時は「20年先を進んだ車」と言われたわ。
今でも愛車としている者もいると聞いているけど、まぁクラシックな人と思われるでしょうね。
私の場合もそうだけど。
シエトロン・DSに乗り込んだ私は鍵を回した。
シエトロンはクラッチを始め全てを油圧---ハイドロニューマチックサスペンションの油圧を利用する。
ギア・チェンジは手動だけど、それ以外は全て油圧を利用しているから扱うには少しコツが居る。
でも、そういう所がまた私の興味を引くのだけど。
エンジンが掛ると私はギアをローに入れてゆっくりと走らせた。
そして一般道路に出ると一気にギアをチェンジしてスピードを上げBARへと急いだ。