第二章:雨が降る
私は彼の運転する黒い車---BMW車に乗りながらマルセイユ警察署へ向かっていた。
彼は私に罪人の過去を調べるとベッドの中で言っていた。
イギリスの警察であり事件を担当したスコットランド・ヤードに行けば良い筈だがわざわざ資料を取り寄せたらしい。
「何でわざわざ取り寄せたの?」
私が訊ねると彼は夜歩くを吸いながらこう答えた。
「勝手に取り寄せられたんだ」
「つまり部下が勝手にやったと?」
「違う。署長がやった」
ここの署長が?
あー、何か思い出したわ。
マルセイユ警察署の署長は今年で59歳になる。
後1年で愛でたく退職と言う歳にここの署長になった。
運が悪い・・・良いと言えば良いかしら?
飛天が住むここを護る役目を仰せ付かったのは光栄である半面で厳しい。
何か問題---飛天の身に何か遭ったなんて日には首が胴から跳んでしまうから。
本当に首が胴から跳ぶのよ?
もう直ぐ退職だと言うのに豪い所に行かされたものだわ。
本人は第二の人生を過ごしたいからどんな些細な事でも見逃さず飛天の力になる。
ならないと後が面倒だし怖いからね・・・・・・・・・
そんな過度なほど神経質な署長だから、今回の事も聞き付けて強力しようと思ったんでしょうね。
「署長を怒る?」
頼んでもいないのにやるんだから。
「いいや。あいつは俺の力になりたい一心でやったまでだ」
怒るなど筋違いだと飛天は言うけど、じっさい私なら怒るわ。
親切心でやった事でも本人からしたら大きなお世話って事もあるんだから。
まぁ・・・飛天だから許すんでしょうけど。
それに署長の心労を考えると強くも言えない・・・ただ、少々急ぎ足過ぎたけどね。
マルセイユの警察署の前に車を停めた私と飛天は直ぐに署の中へと入った。
誰もが私と飛天に視線を向ける。
そして・・・・・・・・・・・・
「は、は、はははは・・・・・・伯爵様っ」
ドタバタ・・・ガシャン!!
喧しい音を立てながら階段を転げ落ちるツルツルの頭をする男---署長。
コメディ映画に出れば主役間違い無しの登場だわ。
「そんなに急がなくて良い」
飛天は軽く溜め息を吐きながら署長を立たせた。
「き、今日は、どのような御用事、でしょうか?」
脂汗もとい冷や汗を掻きながら署長はハンカチで顔を拭いて訊ねてきた。
拭いたのに直ぐ汗は噴き出すからハンカチ一枚では足りずに予備を3枚も持っている事から、このコメディ映画の主役を務められる署長の性格を物語っていると思う。
「取り寄せた資料を見せてくれ」
そんな署長を尻目に飛天は要件を述べた。
「か、畏まりました!では、こちらへ!!」
署長は何も怒っていないのに、酷く狼狽しながら私と飛天を署長室へと案内した。
『署長・・・あんなに慌てる事ないのにな?』
『伯爵様を怖がるのも無理ないけど、あそこまで行くと逆に気分悪くなるぞ』
『幾ら定年前だから神経質になっているとは言え・・・異常だよな?』
『あぁ。あれじゃ殺される前に心労で死んじまうぞ』
『孫が産まれてこれから第二の人生って言うのにそれじゃあんまりだぜ』
『だから伯爵様も気にしているらしいぜ』
後ろから署員の小声が聞こえてくる。
好き勝手に言っているけど、心配している所を見るとそれなりに敬愛されている様子ね。
見た目からは想像も出来ないけど・・・・・・・・・・
署長室へと通された私と飛天はソファーを勧められたので座った。
直ぐに美人な女署員が私と飛天にコーヒーを出してくれた。
飛天のティーカップにはミルクが添えられている。
「相変わらずブラックは嫌いなの?」
「・・・嫌いじゃない。最初はブラックで飲むがそれは一口だけ。後はミルクを入れる」
それが悪いのか?と些か機嫌を損なったのか・・・ぶすっ、とした声で言って来る飛天。
そんな彼の様子を見て署長は自分の事のように「ひぃ」と悲鳴を上げた。
「何でお前が悲鳴を上げる?」
飛天は左の眼---金色の瞳で署長を見たが・・・署長には「蛇に睨まれて動けない蛙」だった。
「い、いえ・・・その、あの・・・・・」
「失礼します・・・伯爵様。資料をお持ちしました」
署長が答える前に先ほどの女署員が飛天に茶色の封筒を渡してきた。
だが・・・白い紙が出ている事を私は見逃さず取り出した。
素早く眼を通す。
電話番号が書かれ自宅の住所まで書かれている・・・・・・・
「忘れ物よ」
「伯爵様に見てもらいたいのです。それから勝手に封筒から取らないで下さい」
女署員は私を真正面から見て答えた。
明らかに私に対する挑戦とも当て付けとも取れる視線に私は無表情で睨み返した。
それなのに女はまるで気にしていないから無性に腹が立つ。
「・・・後で眼を通しておく」
「飛天」
私は思いも寄らぬ彼の言葉に眼を見張った。
直ぐに紙は取り上げられて飛天はそれを一瞥するとライターで燃やした。
「今の仕事が片付き次第連絡する。何か欲しい物はあるか?」
「特にありません。ただ、夕食をご一緒に取りたいです」
「分かった。場所は俺に任せてくれ」
「ありがとうございます」
女署員は飛天の頬にキスをすると部屋を出て行った。
・・・最後まで胸糞悪い女ね。
「し、シンシア様ッ。あ、あの署員には、私の方からきつく・・・・・・」
署長は私が皺を額に寄せたのを見て慌てて宥めようとしてくる。
「要らないわ」
冷たく突き放すように言った私は飛天から渡された資料を見た。
こちらは女。
「・・・19XX年3月9日にイギリスのケント州に誕生」
両親は共働きで妹が一人。
何処にでもある平凡な家庭で生まれ育ったが、ロンドンに来てから---彼女が17歳の時に運命の歯車は大きく狂い始めた。
相次いで両親が事故で死亡し幼い妹と共にロンドンで働き始めた。
でも、未成年が定職に就くなど出来る訳も無くその日だけの仕事なんかをしては食い繋いでいたらしいが何時しか薬物に手を出した。
彼女が20歳の時に夫となる男と出会い半年で“尻を許す”ほどの仲に発展しそのままゴールイン。
美男美女だからベスト・カップルと言われていたらしいが、夫は裏で麻薬の売買などをしており更にスナッフ・フィルムも撮影し販売するという裏の顔があった。
気付いた時には片足どころか首までドップリ浸かってしまいもう逃げられない。
麻薬を買う金も男が与えた事もあるらしいが。
そして妹を命令されたまま殺した。
だが、何時かは捕まると何処かで確信していたらしく弁護士を雇い自分も映ったビデオ・テープなどを預け警察に自首。
夫は逮捕され自分は司法取引をした事で軽い罪に問われた。
刑務所では売女という役割を担っておりレズビアンの奴隷兼ご主人様だったらしい。
相手によって役割を変えるなど刑務所内でも自分の地位を高め確保するなど頭の回転なども極めて速い・・・・・・・
そうでなければ夫に全て罪を擦り付け弁護士に証拠品を預けるなんて芸当できる訳ないわね。
見た目は清楚系だけど・・・意外と悪女ね。
見た目が清楚系なのに中身はどす黒い悪女となれば一人の女が浮かぶ。
あれから会っては居ない。
よほど堪えたのだろうけど、飛天の事は諦めていない筈。
諦めている筈なら当の昔に犬の餌になっているのだから。
などと思いながら私は飛天を見た。
無愛想な顔で資料に眼を通す飛天だが気で怒っていると判る。
「あ、あの、は、伯爵様・・・・・・・・」
署長は息子から小便をちびりそうな程に怯えていた。
「・・・・・・・・」
それに対して飛天は無言で尚も話しかけようとする署長を私は止めた。
「いま話し掛けない方が良いわ」
運が悪ければ殺される、と私は続けて言った。
「・・・胸糞悪い」
その直後に飛天は資料を握り締めて呟いた。
「どうして?」
出来るだけ刺激しないように私は訊ねると彼は拳に力を込めて資料を二つにしてしまった。
ボトリと小さな---機械的な---簡潔な音が一回だけした。
「俺の領土で愚かな行いをした事。そして俺自身がそれに気付かなかった事。あの3人以外にも人を殺したという事」
以上3つが気に入らない---胸糞悪いらしい。
「署長・・・・」
ひぃ、と豚のような悲鳴を上げながら署長は「何でしょうか?」と気丈にも訊ねた。
「暫くの間・・・“雨”が降る。何時まで降るのかは分からない。だが・・・お前は何も知らなかった・・・何も知らない」
そうだな?と飛天は署長に訊ねた。
訊ねたというより「頷け」と脅迫している方が正しいわね。
「そ、そ、そそそそ、そうですっ。私は、私は何も知りません!知りませんでした!!」
「そうだ。それで良い。そうすれば退職後も悠々自適な生活を送れる上に息子達はおろか孫達も幸せに暮らせる」
「は、ははは、はいっ」
署長は顎が外れるくらい何度も頷いた。
「では、俺たちは行くが・・・くれぐれも余計な真似はするな」
「・・・・・・・・・・」
最後には泡を吹いて署長は倒れてしまった。
部屋を出た私と飛天は近くの署員に泡を吹いて倒れた署長の事を頼むと車に乗り込んで・・・・下種野郎と下種女を探しに出掛けた。
その間・・・彼は終始無言で夜歩くを吸い続けて煙が充満したのに気にしないほど怒っていた。