第一章:伯爵の家
フランス一の港湾都市---マルセイユ。
ここには多くの船と新鮮な魚が毎日のように陸揚げされては市場に売られている。
だから、人込みも半端ではない。
そんな所を一台の車が通り抜けるんだけど、その時は皆が一様に止まり視線を向け一礼してくる。
「相変わらず堅苦しいわね」
私は助手席で煙草---ゴロワーズを吸いながら窓から見える風景にうんざりした。
「そう言われましても・・・伯爵様もするなと言っても聞かないんです」
運転手は心底困り切った顔をして答えた。
「飛天の言う事を聞かない?」
普通なら聞く筈なのに。
どういう事?
「何でも伯爵様はここの領主。その領主が所有する車が来るのだから頭を下げるのは領民としては当たり前だそうです」
領主、ね・・・・・・
「まぁ実際、領主と言われても間違いじゃないわね」
ここにあの男は何年、何十年、何百年も住んでいる。
誰か忘れたけど時の王に頼まれたらしいわ。
『何卒・・・この地で暮らして下さい』
何でここなの?と思うけどここは海が隣接している。
となれば敵が上陸する。
それを考えて飛天をここに住まわせたのかもね。
飛天が居れば人間が何人挑もうとゴミみたいに殲滅できるんだから。
でも、他にも理由があるとすれば・・・・・・・・・
『この壮大な海の景色を貴方様に送ります』
的な感じかしら?
などと私は考えながらゴロワーズを灰皿に捨てた。
「あ、あの、伯爵様は、何処に・・・・・・・?」
女性であり母親そして私の依頼人が緊張した顔で私に尋ねてきた。
「あそこよ」
私はフロントガラス越しに丘の上に建つ白い屋根が特徴的な家を差した。
「あそこに・・・・・・」
「えぇ。周りからは白い家と言われているわ」
そのまんまだけど、ね。
「あそこに伯爵が・・・・・」
「その様に怖がらなくても大丈夫ですよ」
運転手が依頼人を落ち着かせるように話し掛けた。
「あの方に仕えてまだそれほど時間は経っておりませんが、あの方は噂で聞くほど恐ろしい方ではありません」
女子供には優しく職が無い者または就けない者には仕事を与える。
麻薬と人身売買は何があろうと手を出さない、持ち込ませない。
「現にここで麻薬と人身売買に殺人らの凶悪事件は起きておりません」
起きたとしても数日後には犯人が逮捕されるか死体で見つかる。
「それを伯爵が?」
「えぇ。本人は何も言いませんが、あの方は麻薬と人身売買を心の底から憎んでいるんです」
殺人も許さないという一見正義の味方に見えるが、そこはあの人。
気に入らなければ・・・敵対していれば・・・欲望に溺れていれば・・・など理由を上げれば枚挙に暇が無い。
でも、どんな理由だろうと犯罪を抑制している事に変わりは無いのよね。
特に麻薬売買と人身売買には苛烈なほど怒りをぶつける。
情け容赦なく徹底的なまでに・・・・・・・・
「貴方の事はシンシア様から聞いておりますが・・・伯爵様が願いを叶えて下さいますよ」
犯人を血祭りに上げる、と運転手は語った。
「・・・・・・・・」
依頼人はギュッと拳を握り締めた。
私はそれを見ながらゴロワーズを灰皿に捨てた。
そして白い丘にある家へ到着した。
黒い門の前には一人の男が立っている。
黒い長髪を腰まで伸ばしているが、それを1本に纏めた髪型。
東洋と西洋が混ざり合っている彫が深い顔立ちに金色の瞳は女なら誰だって心ときめくほど綺麗だった。
右目に付けた黒い眼帯が更にそこへミステリアスを醸し出し刺激する事だろう。
「久し振り。飛天」
私は目の前に立つ男---飛天に近付いた。
「そちらが依頼人か」
飛天は私の後ろに居る女---依頼人を左の眼で射抜くように見つめた。
依頼人である母親であり女は飛天を黙って見つめ返した。
もう後が無い、という眼で・・・・・・・・・
「ご苦労だったな」
飛天は運転手を労う言葉を投げた。
「いえ。では、私はこれで失礼します」
「あぁ。二人とも入れ」
飛天は背を向けて私と依頼人を家の中へと入れてくれた。
家の中はとても綺麗に掃除されており汚れ一つ見当たらない。
その上何気なく飾られている絵画などはどれも一流画家や職人が丹精込めて作り上げた物ばかり。
私の事務所兼自宅とは豪い違いだ、と思いながら飛天の背中を見た。
大きな背中・・・でも、真っ黒で先が見えない。
彼が歩み続ける道は暗闇。
何処を行っても光なんて無い。
最後もまた・・・・・・・・
居間へと通された私と依頼人はソファーに腰を降ろした。
「飲物は?」
「コーヒーをブラック」
貴方は?と依頼人に訊ねると同じ物をいう答えが返って来る。
飛天は直ぐにコーヒーを淹れてくれた。
その間・・・母親であり女である依頼人は忙しなく周りを見ている。
緊張しているのは解かるが、もう少し落ち着いて欲しい。
などと考えながら私もまた部屋を見回す。
色は全体的に明るいが、白は何処にも見当たらない。
無意識なのだろうか?
白=天使を意味する。
それを彼は嫌がっているのかもしれない。
不意に私の脳裏に前に言われた言葉が過る。
『他人とは組まない』
彼は私を抱き、私は彼に抱かれた。
他人ではない・・・と思うのは、私の女々しさ?
ううん・・・違う。
彼は・・・飛天は、一人でケリを着けようとしている。
だから、敢えて私を他人と称してあまり近付けさせないのかもしれない。
そう思っている間にコーヒーを出された。
飛天は向き合う形で一人用のソファーに腰を降ろしたが、何も言わなかった。
目の前に座る依頼人から話すのを待っているのだろう。
依頼人はコーヒーを黙って見ていたが、ふいに言葉を紡ぎ始めた。
「娘は・・・私の娘カレンはまだ15歳でした」
人生これからという年齢。
「高校も決まってこれから新しい学校生活を始めようとした矢先に・・・殺されたんです」
欲望に溺れた2人の罪人に・・・・・・・
「俺に何を望む・・・・?」
飛天が初めて声を発した。
何処までも平淡で感情が込められていない声だけど、母親であり依頼人でもある女性は気にせず要件をハッキリと口にした。
「娘を・・・カレンの仇を討って下さい」
娘がされたように・・・された以上に・・・罪人を罰して下さい・・・・・・・
「罰する、というのは法に従う者が言う台詞だ」
俺は法に従っている訳ではない・・・・・・・
飛天はそう言い更にこう言った。
「俺は裁判官でも弁護士でも検察官でも警察官でも無い・・・・・・」
法の網を掻い潜り罪を犯す者。
「その俺に法を尊重した罰を与えろと言うのか?俺は先ほども言った通り司法界の者じゃない」
「・・・・・・・・・・・・・娘の人生を台無しにした罪人を・・・殺して下さい。八つ裂きにして下さい」
依頼人は言葉を改めた。
飛天に嘘は言えない。
・・・嘘を吐かず自分の気持ちを正直に伝えた。
八つ裂きにして下さい・・・四肢を獣に喰わせて下さい・・・奴等の脳味噌を盛大にぶちまけて下さい・・・・・・・・・・・
「娘を殺した罪人を私は許せません」
「・・・・・・・」
どうか、どうか、どうか・・・・・・・・・・どうか・・・・・・・・・・・
「私の願いを・・・怨みを晴らして下さい」
貴方に願いをする事で地獄に堕ちるのであれば構いません。
「娘は・・・天国に行くでしょう」
それで私が地獄へと堕ちるなら構わない。
「・・・分かった」
飛天は静かに了承した。
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
「・・・これからどうするの?」
私はベッドの上で飛天の胸に顔を預けながら訊ねた。
あれから依頼人は飛天の部下が用意したホテルまで送り届け私は彼の家に泊る事にした。
「先ずは依頼人の娘を殺した罪人の過去を調べる」
飛天は私を見ず天井を見上げながら素っ気ない声で答えた。
何時も・・・そう・・・・・・
無人島の一件の後、私は彼と燃えるような時間を過ごした。
でも、彼は何時も私を見ないで天井を見上げている。
私を見るのは・・・抱く時だけ。
その瞳---金色の瞳は、何時も無愛想。
私は貴方をこんなに燃えるような眼差しで見ているのに、貴方はどうしてそんな無愛想な瞳なの?
「・・・そう」
飛天の胸に預けた顔を退かして上半身を起こした。
「彼女は・・・幸せね」
貴方という悪魔に願いを言えたのだから。
涙が枯れていないのだから。
「・・・そうだ、な」
彼は私の腕を掴むとまた自分の胸へ戻した。
私は彼の胸に顔を預けながら時計のように正確な鼓動をする胸に顔を強く押し付けた。
貴方の身体に私の匂いを残したい。
僅かな間だけでも・・・この瞬間だけでも・・・・・・・・