序章:母の願い
一度は完結させ改稿した物語ですが、続編というかここで物語を継続する事に決めました。
煙草の煙で薄黄色に汚れた天上にまた煙を吐きながら私は目の前で真珠を流す中年の女性を見つめた。
平凡な家柄と判る衣服を身に纏っているが・・・黒一色という異例の衣服。
これを見れば子供でも何がこの女性に起きたのか・・・理解できるでしょ?
「娘は・・・私の・・・娘、カレンはまだ15歳でした」
女性は震える声で最愛の娘の名前と年齢を私に伝えてきた。
「人生、これからという年齢ね」
私は灰を灰皿に落としながら相槌を打った。
15歳ともなれば高校進学を控えた歳だし思春期にも入る。
本当に人生これから、という歳だ。
「それなのに・・・娘は、もう天に召されてしまいました」
病気、事故なら・・・・まだ納得できるでしょうね。
酷い言い方だけど、誰にだって死は訪れる。
決して逃れる事は出来ない。
遅いか速いか。
それだけの違いでありどうやって死んでしまうかの違い。
でも・・・それが何処の誰とも分からない“糞野郎”に殺されたら納得できない。
「娘は、何の罪もありません」
女性の言葉に私は無言で煙を吐いた。
「娘は、ただ人助けをしようとして・・・殺されたんです」
この女性の娘は、雨が降っていた日に学校に一人で歩いて向かっている途中に誘拐された。
目撃者の話ではベージュのバンが彼女の前に停まり道を尋ねていたという。
それがいけなかった。
直ぐに後部座席が開き、強引に中へと連れ込まれ攫われた。
女性は直ぐに警察---スコットランドヤードに助けを乞い直ぐに犯人は逮捕された。
犯人は男女の2人。
2人は夫婦“だった”わ。
逮捕の決定打は女が警察に自首した事。
夫にDV---家庭内暴力を受けた上に殺人の手伝いをされた、と言い司法取引を申し込んだ。
警察は手掛かりもなかったから女の取引に応じた。
それによって男は逮捕され遺体も見つかった。
全部で3人。
1人はバラバラにされた上に身元が分からないようにガソリンで焼かれた上にコンクリートに埋められて湖に捨てられた。
1人は全裸でテムズ川に浮かんでいた。
遺体には陵辱された形跡があり尻には蝋燭が突っ込まれていた上に尻にはスペルが間違いだらけの「混沌を」が書かれていた。
1人は酒を大量に飲まされた上にガソリンを頭からかけられて生きたまま火で焼かれた。
そしてそれを器用にバラバラにして被害者の自宅へ送り届けた。
まったく殺害方法などもバラバラで警察としては同一犯とは考えていなかったらしいけど、女がぜんぶ夫がやったと供述した事で終わった。
夫は表では真面目な会計士と言われていたが、裏では麻薬の密売をしていた上に殺人映画---スナッフ・ムービーを撮っていた。
それが実在していると女は語り警察に場所---犯行現場である自宅の地下室を教えたがそこには何も無かった。
あったのは血の痕と夫である男の指紋だけ。
これを聞けば頭の良い人はある程度の考えが浮かぶでしょ?
・・・・・・女が夫一人に罪を擦り付けて自分は刑を軽くしようとしている、と。
それは見事に的中。
既に司法取引は終えていたから覆す事は出来ない。
夫はイギリスの最高刑である終身刑が下された。
でも、終身刑とは言え仮釈放がある。
それに幾ら夫に強制的にやらされたとは言え、妻である女もまた共犯。
司法取引をしたから懲役5年。
随分と軽い罰と思うわ。
既にその女は仮釈放の身となり娑婆の空気を思い切り吸っている。
夫の方もまた同じ。
終身刑を言い渡されたが、規律態度は良く仲間の“昔話”を看守にチクッてはポイント稼ぎもした。
直ぐに模範囚となった末に釈放されたわ。
つい先日ね。
そして2人が釈放されたのを機に弁護士が預かっていたビデオ・テープを公開した。
そこには2人が被害者を陵辱する所が鮮明に映し出されていた。
女は夫に強要されたと供述していたがビデオを見る限りそれは嘘っぱち。
被害者の3人の内1人は血を分けた実の妹。
尻に蝋燭を突っ込まれた上に「混沌を」と書かれた死体がその子。
市民達は直ぐに憤って再び逮捕しろ、と訴えたけど罪はもう償った。
だから、逮捕できないのが現状。
それを納得しろと言う方が土台無理な話。
被害者から言わせれば当然。
法が裁けないのなら・・・・・・・・・・
「娘を・・・娘の仇を取ってください」
女性はテーブル越しに私の手を勝手に掴むと力一杯握り懇願して来た。
「悪いけど、私に依頼するのはお門違いよ」
私は私立探偵で殺し屋ではない。
こんな依頼はお門違いという他ないわ。
「で、でも、貴方は、“伯爵”と知り合いなのですよねっ」
伯爵・・・・・・・・
「えぇ。だけど、それがどうだと言うの?」
「お願いです。私の代わりに伯爵に頼んで下さいっ」
「それもまたお門違いよ。何で私が貴方の代わりに頼まなければならないの?」
自分の足があるのだから、自分で行けば良いのに。
「私は、伯爵と面識がありません。ですから、知り合いである貴方に・・・・・」
「あの男は初対面の人間だろうと会うわよ」
あまり彼には会いたくない。
嫌いとかの理由ではない。
今は6月。
彼にとっては後悔と懺悔の月であり“あの2人”にとっては歓喜と狂気の月である。
私もまた彼と同じく後悔と懺悔の月・・・・・・・
「でも、不安なんですっ」
確かに不安なのも解かる。
伯爵と呼ばれる彼は暗黒街では誰もが平伏し畏敬の念を抱く男。
逆らう者は皆殺しで全てを焼き尽くす悪魔の化身と言われている。
悪魔の化身と言われているけど実際は悪魔なのよね。
そんな噂の男に一人で会いに行けと言われても大抵は無理、と言うでしょうね。
娘の仇を討ちたいと願う女性であり母親でもそれは同じ事。
だから、知り合いである私を仲介人に立ってもらいたい。
「お願いですっ。私の宝である娘の仇を討って下さい!!」
女性はテーブルから離れると土下座した。
床に額を擦りつけて・・・・・・・・・・
「・・・・・・・・」
私は携帯を取り出してある所へ電話を掛けた。
出てくれると良いけど・・・・・・・・・
『何の用だ?』
電話越しから無愛想な声が返ってきた。
居るのは外の何処かだろう・・・・雨の音が激しく聞こえてくる。
「今から会いたいんだけど大丈夫?」
でも、私はそれを考えないようにして要件を伝えた。
『何処で』
「貴方の家でどうかしら?」
『分かった。直ぐに迎えを寄こす』
「ありがとう。少し貴方の力を借りたいの」
『・・・母親の願い、か』
未だに啜り泣く女性であり母親の声を彼は聞いて私に言ってきた。
「えぇ。詳しい事は本人の口から説明させるわ」
『分かった。本人にとっては辛いだろうが本人の口から聞きたい』
それじゃ、と私は言って携帯を切った。
「今から伯爵の迎えが来るわ」
女性であり母親は顔を上げた。
未だに真珠は流し続け眼元が腫れ上がっている。
「ほ、本当に・・・本当に、来て、くれるんですか?」
「えぇ。あの男は約束を守るわ。大丈夫よ」
それを聞いた母親であり依頼人である女は子供のように泣き伏せた。
そんな彼女に私は語り掛ける。
「貴方は・・・幸せよ。願いを叶えてくれる人が傍に居る。そして・・・真珠が枯れないんだから」
あの男には・・・飛天にはもう真珠は流せないのだから。
あの時・・・誰もあの男に手を差し伸ばしてはくれなかった・・・遅れて私が差し出したけど、果たしてそれで良かったのかと疑問に思う時はあるが。
そんな誰にも助けてもらえず真珠も枯れ果てた飛天が貴方の願いを叶えてくれるのだから・・・幸せよ。
数時間後・・・私と女性であり母親は飛天がくれた迎えの車に乗り込んでフランスの港湾都市---マルセイユへと向かった。