第7.6 量子パルス:二次EMP、手探りの操縦
≡ Quantum Pulse 7.6 / Second EMP, Steering by Feel
二十時四七分。母艦〈ミズハ〉・ブリッジ。青い表示は復帰済み、海はまだ鉛色で、波は背中を低く撫でるだけだ。舵輪の革は体温を吸って湿り、金具は鳴らない。翔太は前席で姿勢と推力を抱え、親指の“段差”を基準に呼吸を刻む。
甲板の奥で金属がギンと細く鳴り、次いで鼻腔に金っぽい匂いが刺さった。空気が乾いて、耳の奥で“パチッ”が走る。白い閃光が視界の縁を洗い、青がごっそり剥がれ落ちる。二次のEMPだ。
「落ちた! 全系、手順どおり!」影山が右後ろで立ったまま声を飛ばす。非常灯が赤く二度、間欠で点く。モニタは枠だけ残り、音のない雪がかすかに降る。カナデの端末も黒く、ライラのカウントだけが口元で動く。
主系が切り替わり、推力は自動で最小へ落ちる。フェイルセーフの機械が紙帯ロガーへログを逃がし、紙が「しゃっ」と走る。床が半拍沈み、〈ミズハ〉の腹が低く唸った。船体は西へ半身振られ、窓の外で波がガラスをぬるく叩く。
「舵、離すな、押し込むな!」影山の声は硬いが落ち着いている。「戻りを腹で受けろ!」
「了解!」翔太は喉の奥を乾かしたまま返す。手のひらに汗。革が冷たい。腕の産毛が逆立ち、心拍が一瞬早まる。怖い。でも、手は離さない。
後部甲板が「ドン」と沈み、甲板の水が踝にまとわりついた。郷田がウインチの柱に肩をぶつけ「っつ……大丈夫だ、持つ!」と低く唸る。テンションゲージの針が一度だけ大きく跳ねて、すぐ中央へ戻りかけ、また震えた。グローブの中で指が滑り、関節が鳴る。
「張力、ギリ! 撚りゼロ、維持!」郷田は肩で呼吸をつなぐ。塩の匂いと油の匂いが混ざり、歯の根に薄い金属味が残る。
「学園、受信?」影山は視線を正面から外さないまま、短く訊く。「代表だけでいい!」
「生きてる、揺れ小!」結衣の声が無線の向こうで震え、すぐ整う。「抜けなし!」
「研究、継続!」リクの声は乾いて速い。「温度安定!」
「海域、表示喪失、推定維持!」カナデは指を止め、目で流れの癖を追う。「……拍、ライラに合わせる!」
ライラは口の中で八拍を刻み、指先を一で止めた。肩が小さく上下し、唇が薄く開く。声は出さないが、リズムがブリッジ全体に配られる。
非常灯の赤が「ピッ、ピッ」と脈を打ち、紙帯の針が一度“ギュン”と偏り、すぐ息を整えた。翔太は舵輪の“段差”に親指を固定し、四隅の水平だけをイメージで保つ。表示は死んでいるが、船は生きている。戻りは必ず来る。腹で受けろ。
「——戻るぞ。」影山が半拍置いて言う。「入力は最小。直前の手は入れるな。重心で待て。」
「待つ……今!」翔太は息を吐き、腰で微妙に体重をずらす。船体の振り戻しがぐっと来る。舵は押さえず、押し込まず、受けて逃がす。
ガラスの外で波が三つ、間を置いて叩く。鉄骨が低く軋み、ブリッジの天井でネジの列が微かに震える。鼻の奥の金属の匂いが薄れ、耳鳴りが後退する。
「一次より長い……あと、五。」ライラが短く告げる。指が二、三、四と小さく動き、影山の顎がそれに呼応してわずかに下がる。
「郷田、甲板固定!」影山が振り向かずに叫ぶ。「無理に戻すな、戻りに合わせろ!」
「了解! ワイヤ、受けた!」郷田は足幅を広げ、濡れた床に靴底を噛ませる。膝で衝撃を潰し、手首で余分を逃がす。ウインチの軸が低く唸り、ベアリングがなだめるように回る。
「三!」ライラの指。
「翔太、姿勢は触るな。触りたい手は、折れ。」影山の声は鋭いが、切先はぶれない。
「折る……了解!」翔太は舌を噛んで癖を殺す。触れば楽だ。だが、触った手は戻りで暴れる。腹で待て。
「二!」ライラの指。非常灯が一瞬だけ明滅の間隔を詰め、すぐ元に戻る。船腹を打つ波が細かくなり、空調の音が耳に帰ってくる。
「一!」
白が抜け、青が戻った。モニタは順に立ち上がり、方位・推力・姿勢の数列が息を吹き返す。無線のノイズが短く笑い、スピーカの紙コーンが“ポン”と膨らんだ。
「復帰!」カナデが最初に言い、すぐ簡潔に重ねる。「速度、規定内。方位、許容。海域、外乱小!」
「学園、連続記録、穴なし!」結衣。
「研究、温度・位相、継続!」リク。
「甲板、安定! テンション中央! 撚りゼロ!」郷田の声に汗の息が混じるが、もう震えていない。
翔太は舵輪の革を握り直し、親指の“段差”をもう一度なぞる。喉は乾いたままだが、足の裏のふるえが止まった。
「全員、よく持った。」影山は一拍だけ黙り、言葉を落とす。「二次まで耐えた。次の手を減らす。乱れは、こっちで切る。」
「砂幕、続行可能。」ライラが短く言う。瞳はまだ揺れているのに、声はまっすぐだ。
「行ける。」翔太は息を合わせ、視線を前に固定する。「怖い。でも、行ける。」
ブリッジの空気が静かに締まり、〈ミズハ〉は再び灰色の水路を滑り出す。甲板の水が排水溝へ細く集まり、紙帯の「しゃっ」はいつもの細い音に戻った。外の海は何も言わない。だが、今の三十秒で、全員の手は少しだけ速く、少しだけ正確になった。次の一拍を外さないために。




