第2.1.2量子パルス:不可視の渦とその中心で
≡ Quantum Pulse 2.1.2 / The Unseen Swirl and Its Center
翌朝、職員室に集まった教員たちは、ひそひそと話し込んでいた。誰もがライラの転入経緯に疑問を抱いていたが、書類には確かに“毒蝮健一”の署名と印鑑があり、校長の「まあ、彼のことだしねぇ……」のひとことで、それ以上の詮索は霧散した。それでも、彼女の存在は、生徒たちにとっても教師たちにとっても、まるで廊下の片隅に置かれた異国の楽器のような、得体の知れなさを放っていた。
最初の異変は、1限目の英語の授業で起きた。
「ライラさん、“This is a pen.”を訳してみてください」
先生の問いに、彼女は少し首をかしげ、にこりと笑った。
「ええと……それは、“道具としての自己表現の始まり”……でしょうか」
教室が静まりかえった。先生は「あ、あのね、そういう文学的解釈はまたあとでね」とごまかし、黒板に×を付けたが、翔太はなぜかその答えが妙に胸に残った。次の休み時間、ライラは廊下に出て、踊るように校庭の方を指差した。
「ねえ、あの木はしゃべってると思わない?」
つられて見た先には、ただの桜の古木。だが、風の中で揺れる枝の影が、たしかに何かを伝えようとしているように見えた。昼休みには購買のパンを逆立ちで選ぼうとして叱られ、掃除の時間には雑巾がけを「儀式」と呼びながら四つん這いで床に模様を描いた。
翔太は、もはやライラの行動に「ツッコむ」ことすらやめていた。ただその隣で、何が起きても驚かなくなる自分に気づいていた。
「どうして僕なんだろうな」
帰り道、校門を出たあたりで、そんなつぶやきが口をついた。ライラはその声に反応して、すこし笑った。
「ねえ、翔太は“この世界の端っこ”がどこにあると思う?」
問いに答えず、翔太は自転車のハンドルを握った。彼女の問いは、まるで別の場所に向けた独白のように響いた。校舎の窓、黒板のチョークの軋み、放送室から漏れる微かな音楽。
それらすべてが、ライラという“違和”によって、ほんの少しだけ、軌道を外れていく。誰も気づかぬうちに、日常の重心が、ずれていた。




