第1.8量子パルス:錯綜する理屈と気配
≡ Quantum Pulse 1.8 / Diverging Theories
「いいか翔太君、これは単なる偶然ではない。因果律がたわんだんだ。世界線の位相が重なり合い、あの子は我々のこちら側へ“浸み出した”んだよ」
ドク博士は言った。言いながら、研究所の奥にある手描きのホワイトボードへ駆け寄り、今にも崩れそうな数式の群れを指差した。そこには、「μ次元干渉」「Φ振動帯域」「位相スペクトル特異点」などという、翔太にはまるで呪文のような言葉が並んでいた。
博士は、白衣の袖で眼鏡の曇りを拭いながら、少女――ライラの反応を観察している。彼女は、今しがた手渡された紙コップの水を、じっと眺めたまま動かない。異物に触れるのを怖がるようでもあり、何かを思い出そうとするようでもある。
「見たまえ、明らかに我々の常識と異なる文化圏から来ている。あの慎重な手つき、言語構造の差異、行動パターンのギャップ――完璧だ。ついに“異世界”が実在する証拠が、ここに現れたのだ!」
博士はひとりで盛り上がりながら、空になったペットボトルを機械の隙間に投げ込み、スイッチをいくつか押した。装置の計器が光り、ピーピーという電子音が短く鳴る。翔太は、どこか心が追いつかないまま、それを見ていた。
理屈では、博士の言うことは、まあ、筋が通っているのかもしれない。でも――ライラの表情。あの、ときどき見せる、濡れた子犬のような目つきや、言葉の奥に滲む焦りのような空気。
それが、どうしても「異世界から来た旅人」には見えなかった。博士はまだ続けていた。
「次元の重ね合わせは、きっと偶発的な現象ではない。“何か”が、因果律の向こう側で、こちらへと働きかけている。私は今、その“手ごたえ”を感じているんだ」
翔太は、こくりとうなずいた。だがそのうなずきは、博士の理屈にではなく、自分の中に芽生えた“それでも納得できない何か”に対してだった。これは、ただの騒ぎではない。
胸の奥の、ごく小さな場所が、そう告げていた。




