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【完結済短編】追憶は、名を持たない  作者: 梦月みい


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2/2

【後編】

「……ローワン、これ」

エリナは一冊の本を手にローワンに目を向けた。

多くを説明しなくてもわかるだろう、と小さく頷きで返すと、それを受け取ったエリナは自身の名前が表紙となった本をぱらっと捲る。


生まれ年、生まれ月、生まれた日。

与えられた「名前」、そしてエリナの両親の名前と、エリナを呪った人物の名前が、呪った魔女本人の血で文字として刻まれている。

パッと見てわからないように工夫したらしく、かなり古い時代の言語を使用していた。

ここに刻まれた「名前」が、エリナの『真名』であればこの禁術とも言える呪いは完璧に発動しただろう。

自分の魔力でそれなりに当たる占い師、それなりに効果の期待できる呪術師として、国の法律ギリギリのところで荒稼ぎしている妹にしては、ここまでよく勉強したものだとエリナは純粋に、かつほんの少しだけ感心した。

後ろの方のページをパラパラと適当に見てみると、エリナの習得している魔法が魔法式として記載されている。

魔法の知識は奪われていない。

奪われたのは、“真名”に紐づいた『エリナ』の部分だけだ。


「ローワン、ありがとう。どうにかなるかも」

「まじで!?」

「…よくダリアがこれ、渡したね」

ローワンはぎくりと肩を揺らす。

毒を盛った、半殺しにしたという後ろめたさよりも、気付いていたのかという事に狼狽したように視線が泳いだ。

「こんな事思いつくのもやりそうなのも、筆頭はあの子だもの」

エリナは冷ややかにそう告げると、ローワンの仕事机に乱雑に置かれたペンを取って床にさらさらと魔法陣を描き始めた。複雑な図式に、複雑に絡んだ魔法の流れを示す設計図。ローワンは全く理解の追いつかない魔法陣に興味深そうにそれを覗き込んだ。

「…エリナが魔法陣なんて使うの、初めて見たかも」

「そんな事ないよ。私だって小さい頃はこういう基礎からちゃんとやってたよ。今は…自分の中の魔力の流れとか、魔法の構築構造、魔力の放出と変換とかの理屈や理論が染みついて、それなりの魔法なら魔法陣無しで簡単な呪文で発動できるように練習しただけ」


フーン、と呟くローワンをよそに、エリナはすらすらと先ほど言っていた理論上のモノを構造として魔法陣に起こしていく。時間にして15分、それだけの時間を要して出来上がった魔法陣は多分一般的な魔法使いでも理論的な構造含め理解出来ないものであろう程に複雑なものであった。

「さ、ローワン。悪いけど力貸してもらうわよ」

突如として白羽の矢が立ったローワンは、目をパチクリと瞬かせる。「え、俺?」と間抜けな声を出し、一体何が自分に手伝えるのかとエリナの隣に座った。

「あとでどうにかして返すから、魔力貸して」

「……魔力って、貸し借り出来んの?」

「それは知らん」

「知らんのかよ!……ま、俺程度のなけなしの魔力でも役に立つなら。ドーゾ」

「…そんな事無いけど。ローワンって、魔力はそこそこ含有量あるよ。それが貴方の場合、魔法に変換されずに体力とか嗅覚に変換されちゃうだけ。使い方さえ覚えればそれなりに魔法使えるようになるわよ。まぁ、魔力の流れの構造改革からしなきゃいけないから血反吐吐く程の修行を少なく見積もっても8年は必要だろうけどね」

8年という割と現実的かつ並大抵ではどう考えてもないであろう存在しない修行の光景に既に心が折れそうなローワンの両手をそっと握るエリナ。

ローワンは不意に現実に引き戻され、思わず心臓を跳ねさせながらいつの間にか正面にいて両手を握るエリナの顔を眺める。

ダリアと構造は全く同じなのに、全く違う顔。いや、顔自体は瓜二つであるが、髪の色以外にも形容し難い明確な違いがあるが、ローワンは「惚れた弱みだな」とそれを飲み込んで繋いだ手の真下にある魔法陣と、中央に置かれ最終ページの開かれた例の本、それから呪文を小さく唱えるエリナの口元へと目を向け、無意識に身構えた。

刹那、魔法陣が光る。

周囲に光が滲んで二人を包んだ。

得体の知れない何かに怯えたローワンは、不覚にも目を固く瞑ってしまった。


「ローワン!目開けて!閉じるな!受け身!!」

空気が変わったと同時に、手を握っていたはずの幼馴染が叫ぶ声が聞こえる。片目だけ薄く開いて周囲を確認したところで、ローワンは慌てて目を見開き共に落下するエリナの身体を力一杯抱き締め──── 地面に強かに身体を打ち付ける直前、受け身を取った。

「い…………ッッッッてええええ…!!」

「大丈夫!?大丈夫だね!起きて、走って!!」

ローワンが抱えていたおかげでほぼ無傷のエリナは痛みに悶えるローワンの腕を掴み無理やり引き摺り起こす。

周囲は先程までいたはずの温室では無く、『崩壊しかけた世界』で今まさに地面が割れていく所だった。

「…ここ、地獄か何か?」

「『本』の中、喋ってる暇あったら走る!見つかったら食われるよ!一旦隠れる!」

「ふざけろよ!冗談じゃない!」

状況は全く理解出来ないながらもローワンは背中の痛みを無視してエリナの身体を抱き上げて走る。

「そこ!川の中に入れ!」

言われた通りにローワンは川の中に飛び込むと、地面のひび割れは二人を追いかけきれなくなったようでようやく止まった。


「ぶはーっ!ゲホッ、エリナ無事かっ」

少し泳いだ先の、洞窟のような窪みまで何とか泳いで二人はようやく一息ついた。エリナは小さく頷きながら周囲を見回すと、とりあえずは暫く凌げそうだと程よいサイズの岩に腰を下ろしてスカートの水を絞った。

「いやぁ、いきなりちょっとだけハードル高かったね」

「わりとあっけらかんとしてるとこ悪いんだけど、もう少し俺にもわかるように説明してくんない?」

それもそうか、とエリナは空を見上げる。曇天の雲間からは絶えず雷が降り、雨を落としそうな気配。心做しか川も先程より増水しているようで、魔力の失せたエリナにも余りにも強大すぎる力が『探している』のを察したようだった。

「……ここは、例の本の中。本に封じられた魔法を回収していこうと思って」

「……回、収?」

「そ、回収。一番手っ取り早いかなと思って『このページ』開いて入ってみたけど……わりと無理があったかもね。ごめん、ローワン見つかった」

増水した川の水が一気に洞窟に迫る。

エリナは再びローワンの腕を掴むと、逃げ場が無いので仕方がなく奥の方へと進んでいく。

「……!ローワン、そこ入るよ!」

エリナの指示で、分岐した狭い道に入る二人。一人がやっと通れる隙間で、万が一ここが行き止まりで水が迫ってきたら、恐らく溺死は免れないだろう。

ローワンは死にたくない、死なせたくない一心でエリナの背中を信じて突き進むと、ようやく少し開けた場所に出て安心する。洞窟の奥の方から光が差し込み、抜けることが出来そうであった。

エリナがそこに座ったので、一先ずの危機は脱したのだろうとローワンは安堵の息を漏らすと同じように座った。

「…で、回収って話だけど。開いたのは最終ページ?あの本、俺も見たけど全く内容理解出来なかったっつーか、読めなかったけど」

「読めなくて当然、アレは私の言語。私自身が、私のモノとして変換した魔法だもの。一般的な魔導書とはワケが違う。私以外は認識出来ないし、ダリアにも読めてないはず」

先程と同じように、妹の所業を気にした素振りの無さそうな態度。

しかし表情はこの洞窟の暗さもあってかどこか浮かなく見えるのは、気の所為では無いだろう。彼女は今、魔女としてこの場にいる。先程までべそをかいていた17歳の少女であるエリナではなく、一魔女として。


「……ま、状況?は、わかんねーけどわかった。とりあえず一個ずつ集め直せばいいって事か」

「不本意だけどそういう事」

「で?手っ取り早いってのは?最終ページだから?」

「そう、最終ページだから」

「……一応聞いとくけど、それってどんな魔法?」


そこまで聞いたところで、どうやら『見つかった』らしい。二人の背後から、水の迫る音が聞こえる。

世界に消される、そんな気配。

ローワンは慌てて立ち上がると今度はエリナの手を握って、奥の方に見えていた僅かな光を目指して走り出した。


「最終ページの魔法はね、『世界の理を書き換える魔法』よ」

「………………は、え?それ、禁忌じゃねーの?」

想定よりも相当にスケールが大きかったその魔法に、ローワンは改めて今手を引いている女の子が、世界に愛されて、世界に崇められて、世界に庇護されて、世界に疎まれて、世界に恐怖を与えんとする魔女であると改めて思い知らされた。

世界を書き換える魔法など、ローワンは童話や神話でしか見たことがない。エリナやダリアと一緒に魔法の勉強をした事もあったが、魔法史にもそんな魔法の記述は無く、完全に空想のものだと思っていた。

「禁忌、というか、そうだね……うーん、使った記録が無いから存在を知られていないってとこかな。使った奴が歴史を書き換えでもしたら、そんなの史実には残らない」

なんと言う恐ろしい魔法だ、と、ローワンは迫る水からすんでのところで逃げ切ると、開けた出口の下は真っ逆さまに崖であった。

「あっ……ぶね…!落ちるとこだった!でも逃げ場が」

「ローワン、逃げ帰ろう!無理だ!」

潔くエリナは負けを宣言すると、『ここ』に来た時と同じようにローワンの両手を握る。


握った手から、よくよく意識してみるとローワンの右手からエリナの左手、エリナの身体を通じてエリナの右手からローワンの左手へと、なにかが循環するような感覚を覚えた。

これが魔力の、そう思ったところでなにか物凄い力に引っ張られるのを感じ、ローワンは先程と同じように目を固く瞑ったが、エリナの手も決して離さないようにしっかりと指を絡ませた。



「……ふう、酷い目にあった」

嗅ぎ慣れた草や薬の匂いに、ローワンは恐る恐る目を開く。

先程まで居た荒廃した自分達を襲ってくる土地では無く、見知った自分の仕事場である温室が目に入り、何度目かわからない安堵の溜息を深く漏らした。

「…………死ぬかと思った……」

「そうだねごめんね死ぬとこだったね。私達にはまだ早かったみたい」

ケロッと返しながら言うエリナに多少の苛立ちは覚えつつも、気付けば離されていた両手を見てローワンは少し名残惜しそうに掌を握ったり開いたりしていた。

思考は途中だったが、『魔力の巡り』というやつだろうと理解し、答え合わせを求めてエリナに目を向けると、エリナは既に件の本のページを捲り直していた。

開かれていたページは、一番最初のページ。文字は先程エリナが言っていた通り、エリナの思考によるものなのであろう、一切読めない。しかし一番最初のページにある魔法とは?とローワンが首を傾げていると、エリナは物凄く不服そうに唇を尖らせていたので不覚にも可愛いと思ってしまった。

「……すんごい不本意だけど、最初から順番に行く必要があったね。世界の理が書き換えられれば、『こんな事』になる前に事象を書き換えられるかなと思ったけど流石に安直だったよ」

先程と同じように、魔法陣の真ん中にページの開かれた本を置く。ちょいちょいと手招きされるままに、先程の行動をなぞるようにローワンはエリナの正面で両手を差し出した。

差し出された両手を、小さな手が握る。小さく呪文が紡がれると、見慣れた光で周囲が充満する──── と、ローワンは先程の恐怖を思い出して無意識に腰が引けて目を瞑ってしまった。


「……?」

先程のような、雰囲気と気配と空気だけで殺しに来るような感覚は無く、ローワンは目を開く。

まるで何もない、あるのは少し先に見える小さな祠のようなもの。

どこかおっとりとした、そよ風すら感じそうな草原に拍子抜けしたようにエリナの服の袖を引っ張る。

「エリナ、一番最初のページって言ったよな」

「そーよ」

「一番最初の魔法ってことだろ?なんの魔法?」

「…………カ」

「あ?」

そよそよと吹く程度の音に掻き消される程に、小さな返答。一体どんな魔法なのかとローワンはエリナの顔を覗き込むと、そこには羞恥と屈辱に顔を赤くしたエリナの顔があった。

「え」

一体なにか彼女を辱めるような事を言ったのだろうかとあたふたしていると、エリナは忌々しそうに再度口を開いた。

「ゼーカよ!!」

「え」


ゼーカ、それは余程の事がない限り、この世界の人間であればほぼ使うことが出来る風の魔法。

あまり魔法は使えない、センスもないローワンでさえ使える超初級魔法であった。ただし、扱う人間の魔力やセンス次第では、ただの風起こしだけでなく風で濡れた衣服や髪を乾かす、鋭い風で皮膚を刻む、竜巻を起こすなど、使い方は多岐に渡る。

エリナはプライド故に、その事実が屈辱だったのであろう。

ローワンは彼女がただの才能だけで今の地位にいる訳では無いことは充分に知っていたし、それこそ血反吐の出る程の修行を課していた時期がある事も知っている。

そんな彼女が、お手伝い魔法を。


「……ふ」

「ローワン、力が戻った暁には覚悟しておいてよね」

思わず小さく吹き出したローワンに、エリナは羞恥に耳まで赤くしながら睨みを効かせ遠くに見える祠に向かって歩き出した。

ローワンを伴わなかったところから見ても、恐らく『一人で』行く必要があるのだろうとローワンは察してその場で待つことにした。

「わーっ!」

突如、何も無いところでエリナが派手に転倒した。

確かに運動神経はいい方では無いが、そこまで鈍臭くは無いだろうとローワンは呆れたように肩を竦めて近寄った。


──── 風…?


エリナに近づくと少し風が強く感じた。

しかし、転ぶ程の風ではない。

「きゃーっ!」

吹く風が、地面の砂を巻き上げる。砂埃にエリナは悲鳴を上げ、目を開けていられないように顔を覆った。

「エリナ!」

思わず傍に駆け寄ろうとするローワンをエリナは慌てて制した。

「ダメ!待ってて!……この風は、私の魔力の一部。コレに負けてたら私は私の魔法を回収できな、うぶっ」


待てと言われると、彼女を信じて待つしか出来ないローワン。なるほど確かに、吹き荒ぶ風はどこか懐かしい気配を感じるようだった。

ローワンは、揶揄うようにまとわりついたり吹き付ける風を浴びて転んだり砂を浴びたり草を食べたりしながら前に進むエリナの様子をただ黙って見守っていた。

ようやくエリナが祠に到着した頃には、すっかりボロボロになっていた。

あの大魔女が見るも無惨だな、こんなの誰にも見せられやしない、とローワンは貴重なエリナの姿を眺める。

比較的簡素な祠の扉を開くと、小さなガラス玉のようなものが遠巻きにも見えた。恐らくあれが、エリナの魔法の具現化した根本のようなものなのだろう。

しかし、エリナがそのガラス玉のようなものに手を伸ばすと、今までにない強い風が吹いてローワンの元にもその強風が届いた。まるで、エリナがガラス玉を手にするのを拒むようだった。


「……大人しくしろ、お前は私の一部だろう。似た血かもしれないがお前は本来の宿主の血も分からないなら──── 抹消するぞ」


底冷えするような、聞いた事のない冷ややかな声。

その声は明らかにエリナの口から発せられたもので、声そのものは聞き覚えのあるエリナのそれで間違いなかった。

直近でも覚えのあるような、有無を言わさぬ、圧倒的な力をもって全てを支配するような覇気に、抵抗するように吹いていた風はすっかり大人しくなった。

エリナはそれを確認すると、ガラス玉をようやく手中に収めた。

す、と溶けるようにガラス玉は彼女の中へと取り込まれていく。

振り返ったエリナは、見慣れた屈託のない笑顔でローワンは幾度目かの安堵の息を漏らす。気が付いたら、立っていたはずなのにその場に座り込んでいた。

風に煽られたからではない。

腰が抜けていたのだった。


震える足で何とか立ち上がり、こちらに戻ってくるエリナを迎える。

「…おつかれ、良かった?のか?」

「うん、まずはひとつね」

そう言って笑う彼女は酷くボロボロの姿で、二人で思わず笑ってしまう。


「それにしても……教科書魔法でこんなにズタボロになるなら、先は長そうだな……」

「そうだね、ま!ローワンがいるから大丈夫でしょ」

頼りにしてるよ、と多少の他力本願さを滲ませつつエリナは屈託のない笑顔を向けた。


ローワンは、エリナの笑顔に労うように頭をぽんぽんと撫でてやる。

力になれる事は、してやりたい。

そう誓いながら、屈託なく笑う彼女の笑顔の目の奥は一切笑っていない事に気付かないふりをした。


そう、先はまだ、長い。

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