四月の雨音
第二部:花曇り
第四章 二度目の偶然
三月が終わり、四月が始まった。気象庁が東京の桜の開花を告げたのは、三月二十九日のことだった 。遅れてきた春は、しかし、すっきりとした青空を見せるのをためらっているようだった。空は薄い雲に覆われ、花曇り(はなぐもり)の日が続いた。満開に近い桜も、その淡い光の下では、どこか控えめに、その美しさを潜めているように見えた 。
あの雨の夜の静かな共感が、海斗の心から離れなかった。彼は、自分の行動パターンを破る、珍しい一歩を踏み出すことにした 。数日後の夕方、彼は意図的に「SOL'S COFFEE ROASTERY」を再訪した。かすかな期待を胸にドアを開けると、彼女はそこにいた。窓際の席で、静かに本を読んでいた。
瑞希だった。
心臓が少しだけ速く打つ。海斗は深呼吸を一つして、カウンターでコーヒーを注文すると、彼女のテーブルへと向かった。
「あの……この間も、いらっしゃいましたよね」
彼の声は、自分でも驚くほどぎこちなかった。瑞希は本から顔を上げ、少し驚いたように彼を見つめたが、やがて小さく微笑んだ。
「はい。覚えています」
彼らの会話は、そこから始まった。それは、気の利いた口説き文句や、計算された自己紹介とは無縁のものだった 。彼らはコーヒーの味について語り、遅咲きの桜について話し、この奇妙な天気について言葉を交わした。そのやりとりは、外見やステータスではなく、相手の内面にある価値観を探り合うような、慎重で、しかし誠実なものだった 。一杯ずつ丁寧に淹れられるハンドドリップコーヒーのように、時間をかけてゆっくりと関係を築いていく。それはインスタントな情熱ではなく、プロセスそのものを慈しむ哲学のようだった 。
海斗は、彼女が醸し出す落ち着いた雰囲気の中に、強い意志と知性を感じ取った。瑞希は、彼の少し不器用な言葉の端々に、実直さと優しさを見出した。二人は、互いの中に、刺激よりも、安らぎ(あんしん)を求めている同種の人間であることに、無意識のうちに気づき始めていた 。




