四月の雨音
第四部:葉桜
第十一章 決断
四月も下旬になり、桜の季節は完全に終わりを告げた。あれほど華やかに咲き誇っていた桜並木は、今やみずみずしい新緑の葉に覆われている。葉桜の季節。空は安定した暖かな日差しに満ち、力強い生命力に溢れた新しい季節の到来を告げていた 。
一週間の、重苦しい沈黙の後、瑞希と海斗は会う約束をした。場所は、蔵前公園。特別な遊具もなく、ただ広場が広がるだけの、何の変哲もない地域の公園だった 。ロマンチックでも、洗練されてもいないその場所を選んだのは、夢のような時間から現実へと歩みを進めるための、二人にとっての無言の合意だった。
公園のベンチに並んで座る。先に口を開いたのは瑞希だった。
「あのプロジェクト、リーダーを降りました。代わりに、もっと責任の軽いサポート役を引き受けたの」
彼女の声は、驚くほど穏やかだった。
「空いた時間で、ずっとやりたかったことを始めようと思って。この辺りの、なくなりつつある職人さんのお店を、スケッチと文章で記録していくの。……だから、やっと、あのノートを買ったわ」
彼女はそう言って、鞄から「かきもり」で買ったばかりの、真新しいノートを取り出して見せた 。それは、劇的なキャリアチェンジではなかった。しかし、他者からの評価を求める生き方から、自らの内なる充足感を大切にする生き方への、決定的で、そして静かな転換だった。彼女は、自分自身の「成功」を、自らの手で再定義したのだ 。
瑞希の話を聞き終えた海斗も、静かに語り始めた。
「俺も、大阪への転勤、断ったんだ」
彼は、転勤の話を断ったことで、自分が本当に不幸だった原因に気づいたと続けた。会社や仕事内容ではなく、自分の役割に対して受け身だったこと。マネジメントという役割から逃げるのではなく、自分なりのやり方で向き合ってみようと決めたこと。部下の成長に喜びを見出すような、そんなマネージャーを目指してみようと思う、と 。
彼もまた、自分自身の「成功」の意味を、見つめ直していた。
二人の告白は、互いの肩にのしかかっていた重い荷物を、すっと軽くした。壮大な愛の誓いや、未来への約束の言葉はなかった。ただ、彼らはそれぞれ、独力で、より困難で、より不確かで、しかし、より自分らしい道を選び取った。逃げ出すのではなく、今いる場所で、自分の問題と向き合うことを決めた。その決断そのものが、互いへの、言葉にならない誠実な約束のように感じられた。




