十話 勲のノート①
代々続く医者の家に生まれた。
人を救おうと日々懸命に働く父を尊敬していた。
だからだろう、正義というものに憧れた。
子供の頃からヒーローが好きだった。
現実にはテレビに出てくるスーパーヒーローにはなれない。
ならば父のような立派な医者になろう。
そう思って生きてきた。
しかし今、私の意志は揺らいでいる。
2000年問題を機にして、聖毒島総合病院では多くの医療機器を入れ替えると同時に新しい機材も入れることになった。その中のひとつに、私が希望した第二種高気圧酸素治療装置がある。
圧力をかけて酸素を直接血液に溶け込ませるこの装置があれば、放射線治療の後遺症や感染症の血管障害に対応できる。火災被害者もより多く救えるようになるだろう。
火事の時に発生する一酸化炭素中毒。一度これになると普通に挿管して酸素吸入させただけでは患者を救えないことも多い。
一酸化炭素は酸素と比べてヘモグロビンとの結合力が強く、その差は200~300倍だと言われている。そのため、一酸化炭素が先に結合してヘモグロビンを独占してしまうことで、呼吸しても体内に酸素を取り込めなくなる。せっかく火災現場から助けられても、病院で治療のしようがないなんて事態になれば患者の家族もやりきれないだろう。この装置があれば、そんな患者を救うことができるのだ。採算は取れないかもしれないが、決断してくれた巌兄さんには感謝しかない。
そう思っていた。
しかし冬に入ってから、この装置を使う相手はもっぱら自殺未遂患者だった。
練炭自殺。
練炭の不完全燃焼によって発生した一酸化炭素中毒により死ぬ方法。
一時期ネット上で「全然苦しくない」だとか「綺麗なままの体を残して死ねる」などの情報が出回ったせいか、季節の問題もあってこの方法を試す人間が増加している。
実際には途中で苦しくなって止めてしまう者も大勢いる。遺体の見た目も、一酸化炭素と結合したヘモグロビンが皮膚を赤赤とさせてしまい綺麗とはとても言えない状態になるのだが、真実とは伝わらないものだ。飛び降りや飛び込み死体よりマシと言えばそれはそうだが……
ある日、担当の看護師と臨床工学技士が話していた。
「あの患者さんまただって。自殺未遂。これでもう三回目」
「あー、死にたいと思ってる人を助けるって意味わかんねーよな。こんな連中のためにこの仕事やってるわけじゃないのに」
「しかも集団自殺だから一緒に死のうとした人とは別で回さなきゃだしマジ面倒」
私は二人を怒鳴りつけた。
しかし、そう言いたくなる気持ちは痛いほどわかる。
死にたがっている人間の命を繋ぐことは医の本質にあっているのか。
それは人を救うことになるのだろうか。
苦労して助けた人間から「なんで助けた」「なんで死なせてくれなかった」「偽善者」「もう楽にさせてくれよ」「アンタは俺に苦しみ続けろって言うのか」……そう言って泣かれることも唾を吐きかけられることも珍しくもない。
そして彼らはまた自殺未遂を起こして病院に運ばれてくる。
繰り返し。繰り返し。繰り返し。
抜け出せない。
自殺未遂をした者は繰り返す。
一度罪を犯した犯罪者が悪意の螺旋から抜け出せないように。
絶望と救済が怨嗟の叫びを上げながらループする。
私の行為に意味はあるのか。
高度な医療ほど金もかかる。その金を他の事業に回せば、医療とは別の形で救える人間がたくさんいるのではないか。自分のしていることが虚しくなる。
だが本当に死にたいのなら、高気圧酸素療法ができる病院の近くで、しかも誰かに見つかって通報されてしまう場所で練炭自殺などしないだろう。確実に死ねる方法なんて山ほどある。同じ事を何度も繰り返すということは、どこかで生きていたいと感じているはずなのだ。そう信じて私は職務をまっとうする。彼らを救うにはどうしたらいいのか、その答えは出せないまま……
×××
今日、突然巌兄さんから精神科病棟のヘルプに入るよう要請がきた。
アメリカの大学にいる時にそちらも学んでいるが、今では専門外だ。あの国の安易に向精神薬に頼る考え方が受け入れられず途中で離れてしまった。
アメリカの、薬物やアルコールを克服するための互助会だったり、宗教や家族の支えに重きを置く国民性は非常に好ましいと思うが……そうした環境を作るのは医者ではなく政治家の仕事。心の治療方法で最も大切なのは社会の在り方を変えることだ。
そもそも聖毒島総合病院は精神科に力を入れていない。精神医療の無力感を味わったから巌兄さんだって外科部長を潮兄さんに投げてクリスチャンになったのに、どうして私なんかに頼むのか。無理な患者は病院の評判など気にせず外へ出してしまえばいいだろう。
詳しい話は向こうで聞けと言われ精神科を訪ねた。
そこにはなぜか警察がいた。
私に任された患者は男子中学生の四月一日零次君という。
下は零次と書いてハジメと読むらしい。
ゼロの次は一だからハジメか。
最近、名前を読めない患者が増えていて困る。
彼は学校の友達と自殺をしようとした。
友達は亡くなり、彼だけが生き残ったのだそうだ。
すぐに問題に気づく。
警察が説明する時、零次君を悪魔と呼んだのだ。
警察と言えば私が子供の頃に医者とどちらになろうか悩んだ憧れの職業。
その正義の味方がそんな暴言を吐くことが信じられなかった。
だが、話を聞く内に彼の異常性を理解させられた。
零次君には殺人と自殺教唆の疑いがかけられていた。
警察の調べでは、零次君は友達のマキト君と二人で校舎屋上から飛び降りた。零次君だけが下に止めてあった車の上に落ちて助かった。大怪我はしたが、すでに歩けるくらいまで回復しているそうだ。
私が第一に理解すべきは、なぜ彼らは自殺しようとしたのか。
いじめに遭っていた友人が「死にたいけど死ぬのが怖い」と言うから一緒に飛び降りてあげた。車の上に落ちたのは単なる確認不足で、本気で死んでいいと思って飛び降りた――というのが本人の説明だ。
一緒に死んであげるのが優しさか。
この少年は狂っている。
そう感じたが、それはまだ入り口だった。
警察の話では自殺した友達であるマキト君の日記が見つかっている。
マキト君の日記によれば、彼が受けていたのは死を望むほどひどいイジメではなかったようだ。しかし、零次君と話している内に自分の人生、自分という人間のみじめさに気づいてしまったと書かれていた。
警察は彼が自殺に誘導したのではないか。本当は「自分こそが死にたかった」、「自分こそが一人で死ぬのがさびしかった」のにマキト君を巻き込んだのではないかと疑っているようだ。なんとまあ難しい患者を押しつけてくれるものだ。
彼は実に厄介な子供だった。
最初の内はまともに会話もしてくれなかった。
たとえば病院で携帯電話は使わないように注意すると、
「ペースメーカーが誤作動するからだっけ? でもアレ半分嘘だよね。電波強度と感度から計算すると理論値では携帯のアンテナ部分とペースメーカーを22cm以上離していれば影響はでない。しかも90年代後半以降に作られたペースメーカーは外部刺激に対してシールドされてるから携帯の電波くらいでは誤作動しないし、それより古いペースメーカーは電池切れで正規品はもうほとんど使われてない。今でも電池が残っているペースメーカーは動作頻度が少ないって話になるから、軽度の洞機能不全による徐脈の中に一回や二回誤作動で不整脈が出ても問題にならない。いつか通信規格が変わって電波強度が強くなれば、事情も変わるかもしれないけど……まあ今は、バカな一般人が勘違いしてるのをいい事に、本当のことを黙ったまま病院のマナーとして浸透させたいだけだよね」
……こんな感じの返事が返ってくる。
事件のことを聞けば無視され、話のきっかけにと別の話題を振れば適当に嘘をつかれ、何かを注意すると理論武装して反論される。
若干14才でこれとは……娘の茉莉も優秀だが、こうはなって欲しくない。
それでも私は諦めずに対話を続けた。一週間ほどすると普通に話してくれるようになった。どうやら彼は私が会話するに値する人間なのかどうか知的レベルを測っていたようだ。
それと後で聞いたのだが、精神科の他の先生方は零次君と話すことで逆に自分が病んでしまったらしい。
なるほど、巌兄さんが私を頼るわけだ。零次君は頭が良い。恐らく私よりも優れた頭脳を持っている。医学知識やチェス・将棋といったゲームではまだ勝てるが、プログラミングなど機械分野の話では手も足も出ない。天才というやつだ。
「彼は生きていても不幸にしかなれなかったよ」
ある程度信頼関係が結べた後、マキト君を自殺へ誘導したのか聞いてみると素直に答えが返ってきた。
「彼は無気力で悲観的な人だった。どうせ報われないからと努力せず、叶わないからと夢さえ見ない。自分には何もないと現状を嘆くだけで、何にも打ち込めない人生なんて続けるだけ不幸だよ。でも、どんな不幸な人生でも死ねばその瞬間、不幸から無へ上昇する。僕はね、相対的に彼を幸せにしてあげたんだ。マキト君を救ったんだよ」
狂っている。
人間生きていれば誰だって不幸な時期はある。
なぜ簡単に諦めてしまうんだ。
そもそも勝手に他人の人生を決めつけるな。
しかし、零次君はそう言う私を笑った。
「勲先生は僕と同じだよね」
どういう意味か質問で返す。
「他人の思考を計算できるけど共感はできない。先生はたまたま医者の家に生まれて、自我と価値観が成熟する前に「人の救い方とはこうだ」って教えられただけでしょ?」
………………図星だった。
子供の頃、私は人の心が分からない人間だとよく言われた。
だから分かるまで行動してみた。
けれどそれは零次君の言う通りだった。
人助けをしながら困っている人を観察した。
どうしたら人は涙し感謝するのか比較して記憶した。
私は経験とパターンから人の心を計算できるようになっただけだ。
私はヒーローが好きだ。
人を癒す医者という仕事に誇りを持っている。
だが人を救うとはどういうことなのだ。
未だに分からない。
「僕も先生と同じだよ。人を救いたい。幸せになって欲しい。だけど、僕達は人を演じる妖怪人間みたいなもの。本当の意味で他人の幸せを理解できない僕らは、自分の信じる答えを押しつけることしかできない」
ならば人の心に触れようとするな。
私のように体の傷と病だけを治していればいい。
他人から望まれたことだけしていれば間違いはないのだ。
零次君の才能があれば、医者として私よりも多くの人間を救える。
「勲先生なら分かってくれると思うんだけど、自分の幸せすら理解していないバカな人が多すぎると思わない? それどころか幸せになろうともしない。管を巻いてだらだらと社会に文句を垂れるだけ。この世界に生まれてきてしまったから惰性で生き続ける。まあ、生きていればささやかな幸せくらいはあるだろうね。でもその程度にモノに価値はあるのかな? 今すぐ死んでしまった方が、死ぬまでの長い人生を累計で計算した時、幸せに傾くんじゃないかな? そういう自分で判断のできない頭のかわいそうな人達を導いてあげるのが僕達のように賢く生まれてきた人間の義務だと思うんだ」
他の先生方が逃げ出したのも納得だ。
彼の善意は生まれながらに狂っている。
しかも彼は自分の賢さを理解し、自分の論理が一番優れていると信じている。医師として彼を変えるには、彼の論理を完璧に上回る答えで修正してやらなければならない。
だが、そんな答えがあるのだろうか。
医療でも尊厳死は認められているし、現在ではスイスやアメリカの一部の州法でのみ認可されている安楽死も、これからはより広げていくような動きもある。
正直、彼とは判断基準が違うものの、確かに私は全ての人に救う価値や生きる価値があるとは思っていない。凶悪な犯罪者だけでなく、最近では死を望む者は死んでしまった方が幸せなのではないかと考えてしまっている。
今の私の中に、零次君を変えられるような言葉は存在しない。
医師として、大人として、人間として、力不足を感じる。
私は未熟だ。
いや、未熟だと思いたいだけなのかもしれない。
彼の思想を真っ向から完全否定できるような絶対的な善があると信じたいのだ。
私は零次君に対して何の言葉も与えられないまま時が過ぎ、彼は退院していった。
この頃、仕事ばかりで家庭をおろそかにしたことを今でも悔やむ。
妻の体が癌に蝕まれていることに、私は気づいてやれなかった。




