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幽霊とラブソング

 大学卒業後、秋瀬はイベント会社で十年以上働いていた。アーティストがや芸人や俳優がライブ、演劇などをするときの会場やスタッフ集めや紹介や宣伝の提案などをする業務をしていた。彼らの頭にはたいてい売れないや昔は売れていたがつく。

 彼らが打ち上げするための店も押さえることもある。

 芸能界の隅にいるとも言える。

 もし小説家が歌を歌いたいからイベントをしてくれと言われると、本人が有名ならラジオなどで告知ゲスト出演してもらうなどしてもらう。箱のキャパは数十人から数百人。こういう自分が畑違いなどと理解しているアマチュアは楽だ。持ち出しを覚悟していて、自分たちでも楽しんでくれるから手伝うのも気持ちがいい。

 いちばん厄介なのは昔は少し売れたバンドや歌手だ。

 申し訳ないが、打ち上げもひどい。

 もうみんな忘れられているのに。

 時間は残酷だ。


 今回、秋瀬は薄汚れた酒場で騒ぎに巻き込まれた。

 音楽論、演技論、演出論、創作論、文学論、酒にまみれて飛び交い、秋瀬は冷めた気持ちで接待していた。どこからともなく集まってきたろくでもない連中が打ち上げのただ酒を求めて昔話をしているのが、今を生きているように思えるようだ。

 売れない連中が集まると、時間はあるがカネはないので◯◯論やケンカやただ酒で騒ぐのだ。今も秋瀬の前をだらしない痩せた連中がフラフラとしていた。

 帰りたい。

 

 帰宅後、秋瀬はスマホを手にした。

 ストレスで眠れない。

 原因は仕事ではない。

 リビングは洗濯の山で埋め尽くされていた。我ながら情けない。普段着はそこから引っ張り出す暮らしをしていた。これが一人暮らしの実態だ。今警察が来たら何もなくても入ってくれるなと頭を下げる自信はある。

 深夜、二時半。

 起きてるかな。

 我慢だ。

 今勢いに任せて、浜岡に電話をした。

 八回目のベルで出た。

 彼もたいがいストレスの一つではあるが、声が聞きたい。

『こんな夜中に何やねん』

 浜岡は眠そうに答えた。

『東京は夜の七時くらいなんか』

「他人の歌詞で答えないでよね。あなたの歌詞待ちなのよ。もう体中痒いの」

『シラミか』

「ストレスよ」

『コンペやろ?俺なんか待たんと、おまえの抱えてる連中で見繕えや』

 あくびが聞こえた。

「あなたのが必要なのよ。他は誰もダメ。寝てられない」

 浜岡は重い溜息を漏らした。

「詞はできてるの?」

『できとらんよ。てか創ってない』

 浜岡の作品はどういうわけかコンペに出せばほぼ選考に残るし、作品にもなる。秋瀬にもまだまだ彼へ依頼したい曲もあるくらいだ。

「まさかスランプ?」

 原因はシンプルだ。

 秋瀬はやる気が出てきた。

「誰なの?わたしくらいになると、(わたしだからこそ)あなたがスランプのときはわかるのよねえ(慰めてあげたいわよ?)」


 浜岡はゴーストライターだ。

 必要悪と言いきりたい。

 今の世の中こそ匿名を苦にしないという才能のある人がいる。浜岡のように匿名でいられるのも才能の一つなのだ。SNSもしないし、他のアーティスティックなこともしない。作詞について話すことなどほぼない。他の芸術などにも興味を持つが、売り込むことすらする気もない。一時期銀細工にもはまっていた。また彼の作品にはイラストや曲などもあるが、売る気もないようでネット販売にも興味を示さない。

 秋瀬が売ってやっている。

 必要経費のみ。

 ダメンズメーカーだ。

「他の作品は全滅なのよ」

『そりゃそうやろう。誰もあんなややこしい曲に付き合うてられるかよ。三人いるやん。演技派へ転身するアイドルに歌わせるんやろ?』

「予定では。よくわかんないけど、あちらはあなたの詞が見てみたいみたいよ」

 秋瀬は冷蔵庫から缶ビールを出して、聞こえないようにプルタブを片指で開けた。深夜の二時に目が覚めて電話を入れる。これは普通の生活ではない。浜岡に甘えていることは理解しているが、やめられない。今も昔も信頼できるので惜しい。いや。三十路を過ぎた秋瀬が秘めている気持ちを言えるなら、惜しいのではなくて離れたくないし、今だからこそ一緒にいたい。

「誰に恋してるんですか」

 秋瀬の手汗がひどい。

 本気の恋をしていればと思うと怖い。

『クラリス』

「ロリコン伯爵が」

 秋瀬はロング缶の半分ほど飲んだ。ウイスキーのボトルを見て乾いたグラスに入れた。氷を入れるのも面倒だし、ビールで割った。

「写真見せてよ」

 安心した。写真が送られてきた。モジャモジャ頭の無精髭面に黒縁の眼鏡をしていた。あれから変わらないところもせつなくなる。

「痩せた?食べてるの?」

『嫁かよ』

(なる気はあるけど?)

 ダメンズ好きなんだよなあ、わたし。

 嫁になれればいいが、なったらうまくいかなくなるんだろうなと思っていると、すぐに金髪の小さい顔が送られてきた。

「またキャバ嬢ね」

 冷静になれた。

『留学費用稼ぐためにがんばってるねん』

「待て待て待て」

 秋瀬は溜息を飲み干した。

「わたしに紹介してよ。三人でも二人でも。まさか留学費とか援助してないわよね?」

『英会話教室の入学金くらいかな』

 これは会うしかない。

 もちろん別れさせるためだ。

 このまま彼がキャバ嬢にもてあそばれるのは見ていられないし、秋瀬としては作品のクオリティに関わるのは問題だ。そろそろ気持ちも伝えたい。もうつらくてしようがない。

「ちょうど大阪で行きたいお店見つけてあるのよね。隠れた焼き鳥屋があるのよ」

『何で隠れてんの?』

「言葉の綾よ。ちなみにお相手は何歳?」

『二十一歳かな』

 任せてください。別れるようにしてさしあげますから。楽勝だ。てか二十一てヤバい。奴は他人の歳なんてわからないだけでなく、バックグラウンドも当てた試しがない。作詞家としては優秀だが、他のすべてを落としている。


 翌日、朝の新幹線で大阪に行き、大阪の天王寺駅の裏にある小さな焼き鳥屋にいた。主は穏やかな老人。おそらく同性愛者だ。ほとんど話さない。丁寧に焼いて食べ方も教えてくれるが押しつけがましくない。

 秋瀬はL字のカウンターの短い辺のところで浜岡と亜美を挟んだ。未成年だ。ネイルはキラキラしていて、格好はシックにまとめようとしていてもできていない。秋瀬はデニムにカシミヤのセーター、浜岡はデニムにシャツとジャケットだ。何枚か似たようなものがある。これが背の高さと痩せ体型に合っていて、見た目だけでは豊川悦司の劣化版ではある。おそらくモテるはずだ。モテないように祈るしかない。

 秋瀬は瓶ビールを浜岡のグラスに注いで、浜岡は秋瀬のグラスに注いでくれた。うれしそうに何してるんだ。亜美が注ぐべきだ。同伴くらい学んでほしい。これは浜岡の無駄遣いだ。

「鳥苦手なんよね。亜美は牛肉とかお寿司が好きなの」

 亜美が言った。

「お任せで三人前ずつお願いします」

 主は小さく会釈した。

 亜美が何か言いかけたとき、

「ひとまず三人の出会いに乾杯しよう」

 浜岡がグラスを合わせてきた。秋瀬は一気に飲み干した後、手酌で注いだ。浜岡は二本目を頼んで手酌で注いだ。食べられないと言いつつ、亜美はつくねは食べた。串から箸で一つ一つ外して、手皿に置いて半分かじる。

「主人が一本一本刺してくれてるのに」

「ええがな」

 浜岡さんよ。おまえ、わたしといるとき串から外して食べたことないだろうが。むしろ串から外したらボロカス言われたぞ。そうしてうれしそうにつくねをつまむんじゃない。

「亜美さんは英会話できるのね」と秋瀬。

「オンラインでやってますよ」

「スマホで見られる?わたしも英会話やろうかななんて考えてるんだけど」

「せっかく楽しみに来たのに勉強の話なんていいやんね。英会話なんてすぐにできるもんやないし。確か秋瀬さんは外国語学部出てたやん。珍しい名前の」

 高浜が答えた。


 秋瀬は外国語を学んだ。今はパキスタンの公用語でインド北部でも使われ、ヒンドゥにも似ている。書き文字や単語にペルシャ語も組み込まれていた。音のみで伝えられていたために詩一つ一つの美しさが素晴らしい。

 高校三年のとき、

『そんなマイナー言語なんて学んで何の意味がある。就職もできない』

 進路指導からは都落ちしなくてもまで言われて悔しい思いをしながら勉強して合格した。

 やがて至福の大学生活も終わる頃、

『そんなもの趣味やん』

 進路指導にも言われた。

『親の金で趣味とはええ身分やな』

 関西弁を呪い殺したかった。

『すみません』

 しかしとっさに出てきた自分の言葉に唖然とした。言われたこと以上に謝ったことが今でも泣きたくなる。言葉が好きなのに言葉を悪者にしてしまった。好きで学んでいたのに情けなくて心が死んだ。なぜか秋瀬は複数の友人に連れて行かれた記憶のあるお洒落なバーに一人で飛び込んでいた。他はそれぞれ恋人になってしまい、言葉に恋をしていた秋瀬はいつの間にか一人で残されていたし、誰もこの気持ちを理解してくれるとは思えなかった。そんなやけ酒のとき声をかけてきたのは、この劣化版豊川悦司だ。お持ち帰りされてもいいと思い、実際にお持ち帰りされた。朝起きたとき冷や汗が出たが、秋瀬はベッドに寝ていて、浜岡はB5コピー用紙が乱雑に積まれたデスクに突っ伏していた。繊細な文字の一枚の詞を見て盗まざるを得なかった。わたしのものだと思った。


「亜美さあ」

 ブランドの腕時計を見た。

「そろそろお店行きたいな。これ買ってくれたの覚えてる?ブルガリブルガリ」

「買うてあげたんかな」

 浜岡を覗き込んだ秋瀬は睨んだ。

「亜美の自慢やねん」

 みんなに買わせている。亜美は秋瀬に笑いながら甘い匂いの腕を見せてきた。同性だからわかる。すでにこちらを見下している顔だ。金づるの邪魔はさせないわよと言いたいのか。

「お店行こうよ」

「ほとんど食べてないわよ」

 秋瀬が制した。予約してあるのにこのまま帰るのも主に申し訳ない。

「亜美ちゃん、ダイエットもしてるんやもんね」

「腹筋鍛えてるの」

 ニットワンピースの上から触らせた。

「浜岡くんに触られると暖か〜い。でもやってるのが家やからさ。できれば本格的にジムに行きたいんよね。ヨガとかもしてみたい」

「そんなきれいになってどうするねん。今のままででもきれいなのに?」

「どうしてほしい?」

 整形でもするんだろうが。てかもうしてるじゃないか。ヒアルロン酸入れ続けなければならないわね。もう空っぽの頭に入れてもらいなさいよ。目と鼻は確実にしてるな。秋瀬は二人の会話を聞きながら二本目を空にした。そっと置かれたしつこくない皮をすべて食べた。

「トイレ」

 浜岡が立つと、亜美はスマホで店に連絡を入れた。他にもいくつかの客へラインを入れながら顔も上げずに話してきた。

「おばさん、いくつ?」

「三十ちょっとよ」

 砂ズリが珍しくタレで出てきた。三十三がちょっとなのかは考えないように。

「付き合ってるの?」

「仕事関係よ」

「ここ三ヶ月よく来てくれるのよね。飲んでもくれるし、きれいに遊んでくれる。仕事関係くらいなら邪魔しないでよね」

「仕事に関わるのよ」

「音響関係でバイトしてるらしいね。四十すぎてバイトとか笑えるんやけど」

 浜岡が戻ってきたとき、

「浜岡くん、長かったね。調子悪いの?ちゃんとお店来られる?亜美、心配。つい今迎えも連絡したんだけど。ママも待ってるって」

 浜岡は秋瀬を見た。あ、わたしが亜美と話す時間を与えてきたんだなとわかった。

「行かないわよ」

「ホスト派じゃない?」

 亜美が笑った。


 三人は迎えに乗り込んだ。亜美は助手席で運転席の憧れの彼氏を見た。片思いだ。店の関係者同士が付き合うようなところは格下だ。

「わたしは行きませんよ」

「そんなこと言わないでえ」

 浜岡は助手席の亜美を覗き込んだ。

「レディース料金ある?」

「半額です。秋瀬さんもご一緒にどうぞ」

「行こうよお。楽しく飲もうよお」

 浜岡が誘った。

「腹立つわね」

「秋瀬入ります〜す」と浜岡。

 三ヶ月くらいで百万円以上費やしているではないか。同伴アフターを入れれば、もっと使っている。他に楽しみがないのか。ずっと家に籠もっているのだからしようがないか。しかし浜岡は遊ぶ女ができると仕事をしなくなる。セックスなんて二の次のようで、暇つぶしに付き合う人がいればいい。彼の求めているのは命を削るように生まれてくる言葉なんだ。

 繁華街の二階のビルがワンフロアでぶち抜かれていて、華やかな天井の下、各ブースには異なる雰囲気のソファが置かれていた。黒服とキャバ嬢が付き合えることはない店だ。

 いい店を選んでいるな。

 ソファに座らされた浜岡は、ボトルを一気に振る舞った。ほとんど本人は飲んでいないのではないかと思っていると、秋瀬には着物姿のママがついてハイボールを飲んだ。

「ママも飲んでね」

「いつもありがとうございます」

 若い子が次々と挨拶に来たときの亜美の表情が険しいのに驚いた。たまに会うときの売れない人たちと同じでギスギスしていた。秋瀬はグラスをあおると、カウンターのところで手持ち無沙汰そうにしている子を見つけた。かわいいのはかわいいが、という子だ。

「霞澄ちゃんを呼んでいいかしら。歌手になるために専門学校に通ってるのよ」

「夢があるのはええことや。おいで」

 浜岡は笑顔で呼んだ。

 霞澄は遠慮がちに来た。さすがに亜美を差し置いて浜岡の脇にはつかない。でもそれくらいしないと生きられない。彼女はそっと秋瀬について、おっかなびっくりでハイボールを作ってくれたが、続けられるの?と思った。

 しこたま飲んだが、酔えない。浜岡といるときはいつも酔えない。毎日でも会いたいが緊張して心臓が苦しくて誘えない。忘れるために働いているようなものだ。

 支払いは浜岡がカードを出した。

「いくら?」

 タクシーを待つ間、秋瀬はクシャクシャにした明細を引ったくるように見た。

「いちにさん……さ、三十万?」

 秋瀬はゼロを数えた。

「腹減ったな」

「焼き鳥のせいよ。予約までしたのにもったいないし悪いことしたわ、でもあの人……」

「人のことええやんけ」

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