第5話
女性の支度には時間がかかるものだ。
「お待たせいたしました」
私がリンジーの手を借りて玄関ホールに向かった時には、既に旦那様は渋い顔で待っていた。
「遅い」
「申し訳……」
私が謝罪をしようとすると、リンジーが『チッ』と舌打ちした。
私は驚いてリンジーの顔を見る。リンジーの視線は真っすぐ旦那様に向かっていた。その視線の先の旦那様は何故かリンジーからサッと目を逸らし、バツが悪そうな顔をする。……二人の間に何があったのだろう……。
「あ、謝る必要はない。さぁ、行くぞ」
旦那様は一人先を歩く。
執事の『旦那様!エスコートを!』という声と、リンジーの舌打ちが重なった。リンジーの態度に私はハラハラする。
しかし、旦那様はそんなリンジーを咎める事なく、私の横に戻ると、サッと腕を出した。
「ありがとう……ございます」
私は恐恐その腕を取る。何だか様子がおかしい。
「行ってきます」
私の言葉にリンジーは
「行ってらっしゃいませ」
と頭を下げながらも
「ドレス姿の一つも褒められないんですか……」
と呆れた様に呟いていた。
馬車の中でも旦那様は相変わらず無言だが、私はそんな事なんて気にならない。
「旦那様見てください!あのカフェ可愛らしいですね!」
「…………」
「旦那様あれなんでしょう?屋台?」
「…………」
一方通行の会話だが、私は馬車の窓から流れる街並みを眺めているだけで楽しかった。
「旦那様、あれは……」
「……君はもう少し落ち着いて馬車に乗っていられないのか?」
私のお尻はきっちりと座面に付いてるし、自分として十分に落ち着いているつもりだった。
「えっと……申し訳ありません」
私は外を眺めるのを止めて、自分の膝に置かれた自らの手を眺める事にした。
ドレスと同じ濃紺の長手袋に銀の刺繍。とても綺麗だけど、風景よりは見ていても面白くない。
すると……
「別に怒っているわけじゃない。不思議なだけだ。君という生き物が」
と向かい側から旦那様の声が聞こえてきた。
私は顔を上げて旦那様を見つめる。
「私も不思議です。どうして旦那様が私と結婚したのか」
私は前々から思っていた疑問を口にする。旦那様は結婚自体を嫌がっているのだと思っていた。
「君のお父上から声がかかったからだが?」
「では何故断らなかったのです?」
「断る理由がない。それだけだ」
「じゃあ、今までの婚約者の方……」
『とはどうして結婚しなかったんですか?』と尋ねたかったのだが、
「ほら、着いた。無駄話は終わりだ」
と旦那様から話を切り上げられてしまった。
馬車は静かに王宮へと滑り込む。
旦那様は先に降りると私に手を伸ばす。私がその手を取って馬車からピョンと飛び降りると、直ぐさま旦那様から、釘を刺される。
「落ち着け。そして私から離れるな」
「はい!」
元気良く返事をしたらしたで、旦那様は益々渋い顔をした。
……このドレスに相応しい振る舞いをする事をリンジーと約束したんだった。私は気持ちを切り替えて、旦那様の腕を取る。
気が重いと思っていた夜会も、素敵なドレスのお陰でテンションが上がるなんて、私もつくづく単純だと思いながら、私は旦那様と共に会場へと入って行った。
「うわぁ……豪華!」
私が口を開けてキョロキョロするのを、
「口!そして前だけ見てろ」
と旦那様から早速釘を刺された。
名前を呼ばれ、ホールへと足を踏み出す。既にたくさんの招待客がホールに居て私達の一挙手一投足を見つめている様に感じる。なんだか緊張する……。
「大丈夫だ。君など誰も見ていない」
そう旦那様に言われて、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。私も周りを見る余裕が出てくる。
会場には若いご令嬢が多い。しかも一人で参加している様に見える。私はリンジーとの会話を思い出し、驚きを隠せない。
「旦那様……これって殿下の婚約者の座を狙っている人達ですか?」
小声で尋ねる。旦那様も小さな声で、
「誰から聞いたかは知らんが、その通りだ。まぁ……陛下も焦ってる。早く身を固めて貰いたいんだろ」
確か王太子殿下は二十二歳。せめて婚約者ぐらいは決めて貰いたいという親心だろうが、私はこの状況に何となくモヤモヤした。
貴族達が全員ホールへと入場した事が確認され、さて、王族の入場が待たれる中、
「ガードナー公爵!申し訳ありません。ちょっと緊急の用で宰相がお呼びでございます」
と近衛が旦那様に耳打ちする。
「宰相が……?仕方ない。直ぐに行く」
旦那様は近衛にそう答えると、
「ヴィヴィアン、ここに居ろ。一歩も動くな分かったか?」
と私の腕を離した。
「分かりました。いってらっしゃ~い」
私が小さく手を振ると、何故か旦那様は渋い顔をした。……今の私の振る舞いに何か間違いがあったようだ。
旦那様が居なくなりポツンと一人で立っていると、陛下と妃陛下が入場してきた。私はそれをボーッと見つめる。しかし、何故か殿下が出てこない。皆が少しざわつき始めた。
確か……ここから陛下と妃陛下。王太子殿下と……何処かのご令嬢がダンスを始めて、この夜会がスタートするはずなのだが……。殿下が会場に現れない事に皆のざわつきが大きくなる。特に一人で参加しているご令嬢達はコソコソヒソヒソと扇で口を隠し、何かを話している様だ。そりゃそうか……婚約者を裏切ってこの夜会に参加したのに、殿下が現れなきゃ意味がない。殿下に選ばれる事を夢見てやって来たご令嬢達には、大誤算だろう。
まぁ……私には関係ない事だ。ここを動くなと言われているし。
お腹減ったな……そう言えば朝食べたっきりだった。ドレスを着るのにコルセットをギュウギュウに締めている。お腹いっぱい食べるなと言われた弊害が今まさに私を襲っていた。お腹がキュルキュルと鳴る。私は自分のお腹を咄嗟に抑えた。……そんな事をしてもお腹の虫は治まってくれないが。すると隣に居た男性が笑い声を上げる。
「アハハ!君、お腹空いてるの?」
そう言われて、私は咄嗟にその男性を睨んだ。
「シーッ!確かにお腹は空いてますけど、気づいても声に出さないで!」
男性の顔……。何だか見覚えがある気がする。
男性はまだ笑っている。失礼な奴だ。
「面白いな」
「だから黙ってって……!」
するとその男性がお腹に当てていた私の手をバッと取ると急に、
「この娘に決めた!!」
と私の手を高々と上げる。
「は?へ?」
戸惑う私に、周りの声が聞こえてきた。
「ちょっ!殿下じゃない!」「居ないと思ったらこんな所に」「あの女誰なの?!」「あれって……さっきガードナー公爵と居た……?」
色んな声が私の耳に入ってくる。その中で見過ごせない……いや、聞き過ごせない言葉が……
「あの……もしや王太子殿下?」
私の質問に、男性はニャッと笑った。
「さぁ、踊ろう!!」
私は彼に手を握られ引っ張られる。あれよあれよと言う間に、私はホールの真ん中で、その男性……王太子殿下と向かい合う羽目になっていた。