第15話
「奥様?どうしました?ボーッとして」
私の目の前でリンジーが手を上下に振る。
食堂で食事を目の前に手にナイフとフォークを握ったまま、ボーッとしていた私にリンジーが心配そうな顔をしていた。
「ハッ?! いえ……何でもないわ」
私が改めて皿の上の魚を切り分けようとしているとリンジーが目を細める。
「奥様。リンジーの目は誤魔化せませんよ?何があったんです?」
誤魔化せなかったらしい。やはり嘘は苦手だ。
「ねぇ、変な事を訊くけど……私って美人なの?」
大真面目に私はリンジーに尋ねた。昼間のネル……旦那様が照れくさそうに言ったその言葉が何故か私には気になってしまう。
「もちろんですとも。奥様は美人で可愛らしくて……。申し分のない容姿をしていらっしゃいます。もう少し落ち着いた行動をとることが出来れば、そりゃもう完璧な淑女に……いやいや、それでは奥様の持ち味が……」
リンジーが止まらない。私は慌てて彼女を止める。
「待って!別にそこまで訊いてないの。私……特定のお友達以外と仲良くする事もなかったし、皆様素敵な方たちばかりだったし……元々他の人と自分を比べたりした事なかったから……」
「でも、いつもご両親にもお兄様方にも可愛い、可愛いと言われていたじゃありませんか。それに殿下にも妖精姫と呼ばれていらっしゃるし……」
確かに、両親にはいつもそう言われていたし、お兄様達にも過剰な程の愛情をかけてもらっていた自覚はある。
「でも……それは親の欲目とか、家族の情があるからだと……」
「じゃあ殿下は?殿下は家族ではないですよ?」
確かにそうだ。しかし殿下に褒められた所で何も思わなかった。
私が考え込んでいるのを見て、リンジーはやはり私の様子が気になる様だ。
「でも、どうしたんです?急に。誰かに何か言われました?」
「……う、美しいと言われたの」
そう口に出すと、とてもその言葉を意識してしまって、私の頬は勝手に熱くなる。
「……奥様……」
リンジーは私の耳元に口を寄せて小声で尋ねる。
「どなたにそれを?」
旦那様……とは言えない。旦那様は絶賛自分探しの旅の途中という事になっている。
「そ、それは……」
上手く口から言い訳が出てこない。
リンジーは更に小声で。
「奥様、一応既婚者ですので、その気持ちを大っぴらにしてはいけませんよ」
「気持ち?気持ちって何の?」
私もリンジーの圧に押されて小声で尋ねる。
「奥様はその方に好意をお持ちなのですよ。口元がニヤけてます。そのお気持ちはリンジーと奥様の心の中だけに留めておきましょう……旦那様と離縁するなら別ですが」
リンジーはそう言ってにっこりと笑う。
私はリンジーに言われた離縁の二文字より気になる言葉があった。
「私……好意を持ってるの?」
「シーッ!他の者に聞かれては流石に不味いですよ」
リンジーは自分の唇に指をあてて、私に注意する。
私は無意識に「分かったわ」と答えていた。
食事が終わり湯あみをして部屋に戻ると、ご飯を食べ終わった旦那様が長椅子で眠っていた。ピクピクと耳が動いてはいるが、熟睡しているようだ。
私はその隣に、旦那様を起こさないように腰掛けた。そう言えば、犬になってからやたらと眠い
言っていた事を思い出す。こんな所はワンコなんだと妙に納得した。
私はそっと旦那様の頭を撫でる。旦那様が人間の姿だったら……こんな行動をしようとさえも思わなかった。もふもふの毛並みが気持ち良い。
結婚してから、こんなに長く旦那様と一緒なのは初めてだが、この時間は中々楽しい。仕事には相変わらず厳しいが、少しずつそれにも慣れてきた。最近では執事に任せきりだった領地経営も少しずつ手伝える様にもなってきた……もちろん旦那様と一緒だったら……という事だが。
旦那様が耳をピクンと動かしたかと思うと、目を開けて私を見た。
『……食事は終わったか?』
「はい。ネルもたくさん食べましたか?」
流石に人間と全く同じ様にはテーブルセッティングは出来ないが、私達が食べる物と同じ肉と野菜を混ぜた食事を旦那様には用意していた。最初は直に食器から食べる事を嫌がっていた旦那様も、今では慣れてきたらしい。
『まあな』
そう言いながら、旦那様は大きく伸びをした。
『犬の姿になってからというもの……やたら眠くていかんな。……というか……どんどんと犬らしくなってきた気がする』
そう言って旦那様は後ろ脚で首元を掻いた。そんな言葉に不安が過ぎる。
「え……?もしかすると……時間が経てば経つ程……」
自分の予想が怖すぎて、口に出すのも憚られた。
『……魔女の呪いだからな……何が起こるかわからん』
そう言われて私は思わず口に出していた。
「ならばっ!もう一度キスしてみましょう!」
『無駄だろ……。さぁ、それより明日は隣国の王女がいよいよ王宮にやって来る。朝から忙しくなるんだ、さっさと休もう』
旦那様は諦めた様にそう言うと、欠伸をしてもう一度体を伸ばした。
「む、無駄じゃないかもしれないじゃないですか!」
私だって自信はない。自信はないが、このまま旦那様が本当のワンコになってしまったら……そう思うと怖かった。
だけど旦那様はそんな私をチラリと見て、何も言わずに自分の寝床へと向かうと、どっかりと体を横たえた。
私はそんな彼に何も言えなくなる。確かにまたそれを試した所で、旦那様の姿がもとに戻る確証はない。それでまた旦那様を失望させるのも何か違う。
私も黙って寝台に上がる。目を硬く閉じたが、その日はなかなか眠れなかった。