27章③『この町で最も長い30時間』〈二日目〉
***27-3
市長室、大きな天板の豪奢な造りの机。
羊皮の深々した椅子に腰を下ろし、俺たちを待ち受けていたのはジーグムント・ガイウス、その人だった。
「まさか、我らの探し人の方からこちらに来ようとは、な」
フッと笑い、その腰に吊るした剣の柄に手を伸ばす。
「…………」
チラッとこちらを見たセレスさんも同じように腰の細剣の柄に手を伸ばす。
一瞬、こちらを見やったのは、“だから言わんこっちゃない”という心の声かな。
だが、ここまでに誰もいない、護衛すらも。それ自体が俺の予想が当たっている事を指し示す。
問題ない。
「ここは中心街でも最北端に位置してるんで、そこまでじゃないかもしれないけど……それでも聞こえてるんだろ?」
「……何を言いたい?」
「今、街は、クロノクル市は蹂躙されている。『ギアス』を受けた操り人形どもとお前、ジーグムントの命令によって戒厳令に準じる近衛連隊によって」
「それがどうした? 自分の命令を覚えてないわけがないだろう」
全く身じろぎもせず悠然と構え続けるジーグムント。
……余裕の姿を見せつけてるつもりなのかもしれないが、なら、なんでその窓は閉じてシャッターまで下ろしているんだ?
なんで、ここは市長以外、誰も残っていないんだ?
お前は、ここで崩壊していく町の様子を聞きたくないから、こうやって部屋の奥にこもって逃げているのだろう?
まるで、幼子のように。
——逃すものか!
シクルドは、俺への怨みから自身の自我を呼び起こした。
何がこの男の自我=想いを揺り動かせる? ジーグムント・ガイウスという男は何が許せない?
ガイウス一族の家長たるコイツならば。
許せないのは——
「……町の悲鳴を、ガイウス一族が興したこの国が消えゆく様を、お前は直視したくないのだろう?」
「…………」
「だから、こうやって目を塞いで、耳を閉じて、ただ時が過ぎるのを待ってたんだろう?」
「…………」
「クロノクル市はガイウス一族によって生まれ、ガイウス一族によって滅ぶ、か」
「…………」
隣のセレスさんが、自身がどうしたら良いか分からず、こちらに目配せをしてくる。
何故なら、これだけの言葉を投げかけているにも関わらず、ジーグムントは何も答えずただジッとこちらを睨むだけだからだ。
俺を殺す素振りすらない。——やはり用済み扱いされてる、というわけか。
大丈夫だ。
やはりコイツは『ギアス』を持つ真の『敵』ではない。
『敵』ならば自らの手足である黒マントを絶対に待機させている。それがただの一人も居ない。
そして、シクルドと同じくジーグムント自身も自立した思考が出来ている。
その眉間の皺が当初より深くなっているのがその証だ。
その仮面のような顔の下に“怒り”が渦巻いている。
ああ、そうだ。
その“怒り”はお前の一族が作り上げたこの町が、自らの手で崩壊しつつある。それを認めたくないのだろう、お前は。
さあ、あと最後の一歩は、どうしたら……
ふと、手にポケットの中の何かが触れる。
そうか……これなら……
「今、外で起こっているのがこれだ」
先ほど、記者であるトッドから受け取ったものを見せる。
平和だったクロノクル市が燃え、襲撃者に破壊され、人々が蹂躙されている写真。それはリアルにこの外で起こっていることをヤツに伝えた。
そして、取材メモであったろうそのメモ帳には、町の崩壊の様子が克明に綴られていた。
「な……んだ……これ……は……」
「なんだ、じゃないだろう。お前が下した命令の結果だ」
血走った目でその詳細を睨みつけるように読み続ける。
その指先でメモの文字を追い続ける。
「オレが……この手で……オレの町を……壊した?」
ジーグムントは呟きながら、苦しげに額を抑える。
「いい加減に気付け。これがお前の出した戒厳令が起こした災厄だ」
その瞬間だった。
「グワアアアァァァァァッッ!」
ガンッ ガンッ ガンッ
叫び声を上げながら何度も額を机に打ちつける。
「ちょ、ちょっと、何なのよ、これは……」
突然の市長の奇行にセレスさんは驚きを隠せないが、俺自身はこの光景は二度目だ。
……そうか、あの時、アイツは自分を取り戻そうとしてたのか。
不思議な納得感が生まれる。
「アアアアァァァァァーーッ」
割れた額から血が流れ落ち、机も、顔も、身体も紅に染めていく。
「く、ハハハ……まさか、こんな方法で、『ギアス』の檻を……己が取り戻せるとは、な……」
血で染まりつつ、ジーグムントは泣いていた。
「先祖代々、一族が守るべき町をオレ自身が壊した……壊してしまった……オレが……その手で……」
「今がお前の、本当のジーグムントの自我、なのだな」
「ああ……そうだ……30年になるのか……」
30年……やはり、そうなるか。
もし、ジーグムントの中に、元々の自我が残っているのなら。それを呼び起こせるとしたら、ガイウス家がこの町に掛ける想い。それしかない。
初代が残した懺悔録から見ても一族の想いは強固なはず、という見込みは当たっていた。
「もう……町は終わる……そして、ガイウス一族も……そして……オレも……終わる……」
ここだ!
「いや、まだ終わらない。俺が終わらせない!」
血と涙でぐちゃぐちゃなジーグムントがこちらを見る。
「知ってるだろう。俺は『改変者』だ。町を、全てを救ってみせる」
だから、お前も、俺に託せ!
俺の差し出した右手を、何度も見返して、そしてジーグムントは自身の右手を差し出すのだった。
「……正直、何がどうなってるのかわからないけど……これでいいのよね?」
セレスさんの問いかけに頷いてみせる。
一見、自身の自我を取り戻したかのように見えたジーグムントだが、30年の時は長過ぎたのか。
キーワード的な単語、『ガイウス家』や『町』、『滅び』といった言葉には反応して返事するも、その会話はいまいち成り立たない。疎通がうまくいかないのだ。
片言の反応であり、どこまでこちらの話を理解できるのかが不明な面もあるのだが。
今も意味不明な独り言をブツブツと呟いていて、その目は何もない宙を見つめている。
最初こそは会話のやり取りが出来たのだが。それも時間を置くに連れ、その内容は滅裂なものになっていった。
……考えたくはないが、この30年という長きに渡って自身の自我を眠らされてる中で、やはりもう元の状態には戻らなくなってたのかもしれない。
「取り敢えず、必要なことは終わったのね。にしてもその書類、日付は昨日で良かったの?」
「あー、大丈夫です。昨日の日付で必要なんで」
俺が求めていたものは手に入った。後は『刻戻り』のタイミングを待つのみ。
「!」
セレスさんが俺ごと抱いて横に飛び去る。
背後から、飛んだソレがジーグムントの胸を貫く。
「グホッ……ぐぅぅ……」
身体を突き抜け、椅子の背まで貫通するそれは——刺突剣。
「フハハッ、まさかこちらに忍び込んでいたとはな。どおりで何処を探しても見つからないわけだ」
それは、例の黒いフードのリーダー格。あの刺突剣は——レイチェルを貫いた凶刃!
コイツが!!
「こちらが不利よ、焦らないでアッシュ君」
ああ、わかってるセレスさん。
ついて来ている黒マントは2人。リーダーも入れて3人か。
「しかし、こやつも使用限界が来てたのでな。最初の『ギアス』被験者。初回故か中途半端に自我が残る羽目になったのだが。処理するにはちょうどいいタイミングだったわけか。その点には君に感謝するぞ、アシュレイ君」
その呼び方はやはり……推定通りだったわけか。
「あんたが本当の黒幕だったんだな……クリフトン教授!」
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