03章①『喧騒下のアブダクテッドな天使様』〈起〉
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空気がカラッと乾いて澄んでいる。
今日から2日間続くオフィエル祭には絶好の秋晴れの空だった。
懐中時計は10:20。
「本当、いいお天気で良かったねー、レイチェルお姉ちゃん! こんなにいい天気ならフィッチも連れてくれば良かった」
「うーん、鳥篭ごとお祭りに連れてくるのはちょっと難しいかなぁ。ミリーの気持ちはわかるけどね」
ご機嫌なミリーに、これまた苦笑しながら後を追うレイチェル。
いや、それは本気で勘弁しておくれ。この祭りの中でフィッチが逃げてしまうなんてことが起こったら、俺は何のために『刻戻り』をしたのやら……
「ほら! アッシュも久しぶりの『聖天使オフィエル祭』なんだから、そんな怠そーな顔をしないの!」
そう言われてもなぁ……
大広場を埋め尽くす屋台と露店と人々の群れに、若干ではすまない後悔が押し寄せる。
「ダ・メ・よ! 5年ぶりにお祭りに来てくれたんだから、今年はちゃーんと私達に付き合ってもらうからね」
日頃の鬱憤を晴らすかのようにレイチェルはニヤニヤと笑みを浮かべる。
そんなレイチェルはいつもの黒い法服ではなく、薄い秋桜色のワンピースに薄手のストールを羽織り、何故かいつもの度の無いモノクルを左眼にかけてた。
片方のミリーも、茶色のベレー帽に白のブラウスと薄青色のスカートを合わせて二つ括りのおさげに黄色のリボンをするなど普段と違った装いをしている。
「お祭りなのに仕事着で来てるなんてアッシュぐらいでしょーに」
ぐぬぬ……
「そいや、今、『聖天使オフィエル祭』って言ってたけど?」
「……呆れた。祭りの正式名すら知らなかったのね、アッシュは」
ミリーが露店で、恐らくはカナリアの餌であろうキビやアワの種子の詰合せを買ってるのを見守りながらレイチェルが説明してくれた。
曰く、この港に訪れた初代ガイウスと人々の前に幼い聖天使達が舞い降り、この地にその身を捧げることで港に繁栄をもたらした。
それがこのクロノクル市の伝承なのだと。
「流石に20年もここに住んでて知らないなんて呆れるわ。ほら、あの時計塔の下、見なさい」
大広場の北端にそびえ立つ例の時計塔を指し示す。確かに時計塔の真下、そこには天使像があった。
——『聖天使オフィエル、ここに眠る』
5人ほどのまだ少年少女の様相をした天使達があどけない笑顔を浮かべて天を仰ぎ見ている。
像の前の石板にも同じ伝承が彫られていた。
「今はもう剥げ落ちてしまって分からないけど、あの天使様達も銀髪に黄金眼だったって話よ」
「有名だよねー。ミリーも知ってるよ?」
2人の中では俺はよっぽどの物知らずになってるらしい。
……が、言い返せないのが実情……。何せ時計塔の真下にこんな像があるなんて知らなかったしな。
ふと、思い出す。
《——これは契約だ》
《——奪われた命》
《——この町の真実》
…………あれは、一体…………。
あの時、モノクロームの空から舞い降りる『天使達』。あれは……このオフィエル像?
当然、像は何も答えてはくれなかった。
そもそもだが、何故、普段より怠惰を気取るこの俺が2人のオフィエル祭に同行せねばならなかったのか、と言うと。
ミリーからは、
「この前、帰りの馬車でアシュレイお兄ちゃん、約束してくれてたよ? レイチェルお姉ちゃんと今年は3人で行くって」
……あの辺の記憶は例の『刻戻り』の影響でハッキリと覚えていない……ので、否定もできず……
「私のレモネードに口をつけた分、弁償代わりに今年は付いてきなさい!」
……たかが一口の癖に、レイチェルからはやたらと威丈高に押し切られてしまったためだった。
そこらの屋台で買った焼鳥を齧りながら、道化の大道芸を他の子供達と同じく輪になって、真剣にジッと見入っているミリー。その姿を見ると、いくら優秀な奨学生と言っても歳相応11歳の少女なんだな、と思う。
さて、この大広場でバルのやつとは落ち合う予定なんだが……。
そして、観客の輪から少し外れた露店で、俺同様どこかで買ったであろうドーナツを片手にジーッと商品を見つめているレイチェル。
見ている露店はブレスレットやイヤリングなどが並ぶアクセサリー屋らしかった。
「…………」
その視線の先を追ってみると、台の上に置かれた紅玉石のネックレスに行き着く。
……まるで金魚鉢の金魚を前にずーっと見つめてる猫みたいなんだが……
「それ、欲しいのか?」
何気なく声を掛けたのだが、
「ひゃぅっ!?」
レイチェルはそれこそ猫の悲鳴のような叫び声をあげた。
「ちょ、ちょっと脅かさないでよ!」
「いや、普通に声を掛けたんだが……」
「…………嘘つき……」
少し上気した顔で半眼で睨んでくるレイチェル。
「……はぁ、悪かったよ、驚かせて。で、そのネックレスが気に入ったのか?」
「……別にそんなんじゃ…………」
なんだ、物事を即決するレイチェルらしくないな。
「………………」
しかし待てど何も言わずにプイッとそっぽを向いている。
……本当にらしくない。
レイチェルの意思決定まで待つのは面倒だ。
横から手を伸ばして店のオヤジにネックレスを渡してもらう。……思ったより高かったのは想定外だったが。
「…………」
「欲しかったんだろ?」
「…………。別に欲しかったわけじゃないわよ……でも……ありがと。まぁ、アッシュがそんなに勧めるんなら、せっかくだから……ね」
はぁ……全く素直じゃねーんだから、この妹分は。
だが、横目で見やると、レイチェルは軽く微笑みながらも、目を逸らしてネックレスを手に取り、その頬は少し赤く染まっていた。
悪くはなかった、かな。
大道芸はボールや小道具を使ったジャグリングから、いよいよ大掛かりな見せ物に移ろうとしていた。
「わー、アシュレイお兄ちゃん、すごいんだよー!」
食い入るように前列で見ていたミリーが解説してくれた。
「ブワーッと炎が上がって、そしたら帽子の中から鳩さんがいっぱい出てきたんだー」
「……へー? 意外と上手だったわね。でも、この手品の仕掛けはきっと……ふふーん」
レイチェルは少し口角を上げて微笑みながら、ピエロに敬意を評してるつもりらしいが、どうみても『手品の種ごときとっくに分かってる』という上から目線な態度がアリアリだ。
その肝心の道化の姿もかなりのド派手である。
ウィッグであろう真っ赤なタテガミのような長髪に、右眼には×の印、左眼にも◯の印と不自然に光るモノクルが掛けられている。
「あり?」
と、ふと、その右眼に俺は違和感を感じたがそれ以上、深く考える前にピエロは動き出す。
「いよいよ、お次は最後のお題! 空中浮遊でーす! さぁ、この中でお空に浮いてみたい勇気ある男の子女の子はいるかな〜?」
ザワザワと誰もが互いに隣同士、見合ってつい牽制し合うその一瞬に、1人の女の子が飛び出す。
「はーい! アタシがやりまーす!」
飛び出したのはミリーよりも一回り小さな女の子。
「これはこれは。可愛い淑女が来てくれましたねー。彼女の勇気に皆さん、拍手を!」
パチパチパチパチ————
拍手と共に壇上に上がった少女は藍色のパーカーのフードを頭から被っていて、姿はハッキリしないが、身長からは結構、幼い感じだ。
「すごいねー、ミリーはお空に浮いてみる勇気はないから……」
「では、皆さん。応援して下さい! この小さき英雄の飛行を!」
再び拍手が巻き起こる中、ピエロが指を踊らせる。
それに引かれるように少女がふわりと空中へ浮かび上がった。
悲鳴。
すぐに地面へ落ちるかと思ったが、少女の体は空中で止まった。
安堵のため息が観衆から漏れる。
そして、ピエロが指先を動かす度に、まるで空中でゆりかごに乗ってるかの如く、フワフワと右へ左へと大きく空を揺れ動く。
「あはは、楽しいねぇ!」
「空中アクションにも耐え抜いた、この小さな英雄に皆さん、拍手を!」
肝心の本人は空中を浮遊しながら楽しげに笑っていた。
その時、辛うじて少女の額に引っかかっていたフードがバサっと垂れ下がり、その可憐な顔を露わになる。
陽光の下、輝く銀のショートヘア。
二カッと満面の笑みを浮かべるその瞳の色は……黄金色をしていた。
あの子、誰だっけ……どこかで……
「わぁ、すっごく可愛い女の子だねー」
隣でミリーが素直な感想を呟く中、俺は自身の記憶の棚を引っ張り出そうとする。
が、
「おーアシュ氏、それにレイチェル氏も。よーやく会えたんだなー」
その思いは背後からの声で邪魔されるのだった。
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