⭐︎外伝⭐︎23.5章①『二人のプレシャスな一夜』
***23.5-01
〈アッシュ's サイド〉
日曜の夕方。
中心街からの帰り、夕方の辻馬車は、いつもの通勤客がいない分、空いており、俺とレイチェルは揺られ続けていた。
「…………」
「…………」
共にただ無言だった。
それはそうだろう。
手の中にあるモノを再度、確認する。
そこにあるのは古びた鍵。『天使似』、いや、オフィエル達に託されたこの町の暗部。町の隆盛の秘密であり、それが明かされることはこの町の滅びをも意味する。
その秘密の重さを俺たちは痛感し——
「…………えへッ」
?
な、なんだ? どうした、レイチェル??
これまでずっと無言で俯いていたレイチェルが、ふと、顔を上げる。
にへらっとした笑顔。……こんな口角の緩んだレイチェルは初めて見る。
「えへへへ……」
ニコニコ……いや、ヘラヘラ笑顔で、再び落とした視線の先にあるのは、左手薬指に輝く紅玉石の婚約指輪。
なるほど、レイチェルはずっとその指輪を眺めながら無言でニヤニヤしてたのだな。
……どこに行った、町の秘密よ。その重圧よ、おい。
「アッシュ、本当にありがと。大切にするね……ずっと、ずーっと。一生!」
ま、まぁ、そこまで喜んでくれたのなら俺もほぼ全ての貯金をはたいた甲斐があった、というものだが。
お陰で当分の生活への影響が甚大極まり無いが。外食を当分、控えざるを得んなぁ……。
それでも、隣で終始、口角を緩ませ続けるレイチェルを見ていると俺まで幸せな気分になるのだった。
「へぇ〜? アッシュの部屋って、こんななんだ? ……想像以上に何も無いわね」
俺の部屋に入ったレイチェルが開口一番にダメ出しをする。
よく考えると、元倉庫である俺の部屋にレイチェルが来たのは初めてだったな。
まぁ、レイチェルがそう言うのは確かに。
石壁の殺風景だが、元倉庫らしく広さはある。
板張りの部屋にあるのは、中央に位置するベッドにその傍らの小さなテーブル、そして1脚の椅子。他の家具と言えるものは片隅に置かれた衣装棚と鏡、備え付けの暖炉のみだからだ。
まー、寝て起きて職場に行くだけの生活だからなー。
実際、生活には困ってないんだから、いーじゃねーかよ……。
“後で、アッシュの部屋にお邪魔してもいいかな?”
郊外に辻馬車が着いて、いつもの様にサヨナラかと思いきや、レイチェルから俺の部屋に来たいと。
いや、そりゃ構わんが……何でだ?
“夕ご飯も、ママがカルボナーラを作ってくれてるから持って行って一緒に食べましょ、ね? ね!”
そう言って、いつもより何やら気合い入り気味なレイチェルに押し切られた結果、何故か俺の部屋で二人、サファナおばさん特製パスタを頂くことに。
「えへへ、じゃあ、一緒に食べましょ!」
カルボナーラを取り皿に分けつつレイチェルは言う。
ふむ。
暖炉に掛けていたヤカンからお湯をティーポットに注いで紅茶を二人分、用意する。
「レイチェルはその椅子に座るといいぞ」
「え? でも1つしかないけど……アッシュはどこに?」
俺はいつもと同じ、ベッドを椅子代わりに腰かけるだけだ。
「うーん……」
何だろう。
何故か難しい顔をしたレイチェルは対面の椅子に座らず、俺の隣にボフッと音をさせて腰を下ろす。
「ほら、こっちの方が……取り分けし易いし……」
そうか? 狭いし、逆にしにくい気もするが。
だが、傍らのレイチェルは何やら有無を言わせぬ覇気を持ってことを進める。
「そうなの! じゃあ、いただきまーす」
押し切られた感はあるが、お腹も空いていたし、サファナおばさんのパスタを頂こうか。
ん?
「はい、あーん……」
「レイチェル、これは一体……?」
差し出されたフォークの先に巻かれたパスタ。
それを自身の口元ではなく、俺の口元に飲み込め、と言わんばかりに差し出される。
いや、別に前みたいに腕を怪我してるわけでもないし、自分で食べれるんだが?
「ほ、ほら……こうやって互いに食べさせっこするのが……その……なんかデートで大事、とか……雑誌で特集してたし……」
そいや、レイチェルはよくその手の雑誌も読んでたな。カフェ特集やらで俺も同席させられてたが。
まさか、そんなデートの謎お作法なんかも載ってるとは知らなんだ。
「だから……ほら、アッシュ。あ〜ん……」
お、おう……。
やはり顔を上気させて恥ずかしさを感じつつも俺に食べさせようとしてくれているレイチェル。
が、その前に……これはデートだったのか?
「…………アッシュは、今日ずっと私と一緒だったのに、デートだと思って無かったの?」
あ、いかん。
何やら、言ってはならんことを言ってしまった、とゆーのはわかった。
さっきまでのニコニコ笑顔が消え失せ、なにやら不穏な空気。
「そう言えば、アッシュってセレスさんとの約束を『初デート』とか言ってたわよね。……私と何度も喫茶巡りとか二人で遊びに行ったりもしてたのに……デートって認識してなかったってことかしら?」
そうか、なるほど。
男女二人で会ってればそれはデートなのだな? いや、その定義で言えば俺とレイチェルはそれこそ遥か幼い頃からデートを繰り返していることになるのだが。
おお、どれが初デートかわからんぞ、マジで。
「へー、ふーん、そーなんだ、そーなんだ……アッシュ」
と、ここで隣から発される怒りのオーラに気づく。おおー、さっきまでのいい雰囲気はどこ行った?
「ねぇ、アッシュ〜、そろそろ私との数々のデートを忘れてた言い訳を教えてくれるかしら〜」
怒気のこもった笑顔という、青筋立てたレイチェルにひたすら謝罪を繰り返す羽目に。
小一時間、正座させられた。
結論、不用意な発言は己の首を絞めるのだ。以後、気をつけよう。
俺の代わりにいそいそと食べ終わった食器を片付けるレイチェルの姿を見ていると奇妙な感想が浮かび上がる。
なんか、こう、まるで夫婦みたいな……でも、婚約ってことはそうなんだよな?
そうでなくても今日一日で色んなことがあり過ぎた。
いや、昨日からだ。
『刻戻り』でレイチェルの心の傷を失くすことに成功し、そして俺はレイチェルに、本人には分からないが二回目の告白をした。その結果、恋人関係をすっ飛ばして婚約に。
で、今朝から婚約指輪を購入しに行ってその帰りには『天使似』の幽霊達に巻き込まれ、町の秘密を暴く鍵まで託される。
そして、今、レイチェルが俺の部屋にいる。
1週間前にはこんな風になってるなど全く予想してなかった。
それは、やはり一番は俺とレイチェルの関係性が大きく変わったこと。
レイチェル……。
強気で、でも俺に少し甘えたで、しかし誰よりも俺を信じ続けてくれるレイチェル。幼馴染みで大事な妹分だった彼女は今や、俺の最も大事な人になった。
俺の大事な、愛しい人。
「えへへ」
食器を片付け終えたレイチェルは再び俺の隣、ベッド脇に腰を下ろす。俺の左腕に己の両手を絡ませ、上目遣いに俺を見る。
何だろう? 何やら緊張の色が見えるんだが。
「あのね……ママに今夜、アッシュのお家にお泊まりするって言ってあるの……」
え? それって……
流石の俺でもレイチェルの言いたいことはわかる。
レイチェルは顔を真っ赤に染めたまま、コクンと頷く。
そして、俺を見つめたまま、そっと目を閉じる。
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