19章④『そんなこんなでペイバックする初デート』
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陽の傾きが以前より早くなり、辺りが夕暮れに染まる中、最後に戻ってきたのは今日の出発地点。
例の高台にある路地を見渡せる公園だった。
夕暮れ時にはそろそろ冷たい小風が吹く。
セレスさんは、風にその艶やかな銀髪をたなびかせながら、ジッと夕暮れの赤に染まる街並みを眺めている。その表情には今までと違う、憂いた面持ちが浮かんでいる。
それはまるで一枚の絵画の様だった。
時計塔の文字盤は、
17:15
フッと、ため息をついたセレスさんは振り返って俺の方に向き直る。
「今日は一日、ありがとう。こんなに楽しいデートは初めてよ。本当に」
「そう言ってもらえると俺も嬉しいです」
だが、ここから、何だよな、本題は。
少しだけ。
ほんの少しだけだが、セレスさんはふと目線を逸らした。が、1度だけ、深呼吸して、俺の方に微笑みかける。
……セレスさん、もしかして、だけど、緊張してる? まさかな……。
「本当に今日はありがとう。もうこれで『貸し』はいいわ。……その上で、アッシュ君に私からの本当のお願い」
そして、目を細めてセレスさんは告げる。
「もう一度だけど……この一連の事件が解決した後で良いから、私と一緒に聖教ソリスト教国に来てくれないかしら……いえ、来て欲しい」
それは、これまで何回か聞いた話。
ようやく分かった。セレスさんがこうして時間を掛けてくれたことで。
セレスさんは真剣に、そう、俺のことを思って言ってくれてるのだ。
今日の一日は、この真剣さを俺に伝える為だけに、掛けた一日。
しかし、
「何故、俺なんです……」
「前にも言ったはずよ。『過去の修正者』というだけじゃ無い。キミは周りの皆を助け、信頼し、絆を結ぶ。それが、どんな状況であっても。それこそ、この私自身が諦めてしまう場面でもキミは最後まで諦めなかった…………レイチェルさんの言う『英雄』って言葉、今ならわかる気がする」
そう言って、セレスさんは少し寂しそうに微笑む。
それは今まで見たことがないくらい、儚げな笑み。
「アッシュ君の力があれば、きっと私の国でも救える人たちがたくさんいるわ。でも、それだけじゃない」
そして、その流麗な黄金の瞳は俺を真正面から見つめた。
「私はキミと一緒に未来を見たい。それだけなの。キミが好きなのよ、アッシュ君」
セレスさんの真剣な黄金の瞳に射抜かれた瞬間、心臓がギュッと締めつけられる感覚がした。
これがいわゆる『告白』ってやつだってことは、頭では理解している。でも、それを俺自身がどう受け止めるべきなのか……答えが出ない。
どうして俺なんだ……?
俺なんか、ただのどこにでもいる奴だ。それに、恋愛とか……そもそも考えたこともない。
感謝しているのは確かだし、彼女が特別な人だってこともわかる。でも、それが“好き”なのか? 俺には、わからない……
だが、セレスさんの表情は真っ直ぐだ。
彼女に、彼女の想いに俺は応えなくてはいけない……。
そうして思考の迷路にはまりつつあるときだった。
「アッシュ! ダメーッ!!」
「あ、レイチェルお姉ちゃん!? ……あははー、ごめんなさい、アシュレイお兄ちゃんとセレスさん」
振り向くとそこにいたのはレイチェルとミリー。な、何故に!? どうして!?
「レイチェル? ミリーまで……」
「うーん、これは……本当にゴメンナサイなのですー」
ミリーが何やら申し訳無さげに俺とセレスさんに謝る。最初、何故そんな真剣にミリーが謝るのかは良くわからなかった。
だが、それは続くセレスさんの言葉で理解することに。
セレスさんは眉を顰めてビシッとレイチェル達に言う。
「レイチェルさん、こっそり後を尾けてきてたのは百歩ゆずって許すとして、私が真剣に告白している場面に割って入るのは、流石にマナーとしてどうかと思うわ」
「…………」
セレスさんは少しだけ微笑みながらも、目には明らかな怒りを湛えていた。そして、レイチェルを鋭く睨みつける。
「ねぇ、レイチェルさん。貴女はアッシュ君に何をしてあげられるのかしら? 私は少なくとも、彼を信じて共に未来を作りたいと思っている。でも貴女はただ“見守る”だけ。違う?」
そのセレスさんの強い非難に、レイチェルは伏し目がちに、俯く。その桜色の唇から、小さな声がまろび出る。
「……でも、私は……」
レイチェルの握りしめた手が微かに震えていた。その震えた小声には、自身でもどうしようもない葛藤が滲んでいるように思えた。
「見守るだけ、なんて……そんなの、わかってる。けど……私は……」
彼女の言葉は途切れ、再び沈黙が訪れる。
えーと……要約するとつまり、レイチェルとミリーは今日一日中、俺とセレスさんの後を尾行してたって訳なのか?
しかし、俺の問いに誰も答えてくれない。
ミリーの苦笑いだけが、多分、俺の問い掛けに肯定してくれてそーなのだが。
レイチェルはただ、じっと俺を見つめ続けていた。そのモノクルの奥、紅玉色の瞳を潤ませて。
レイチェル……。
「はぁー。まぁ、結局はアッシュ君自身の気持ち、なのよね……」
セレスさんは、フゥーッと嘆息する。
「仕方ないわね、レイチェルさん。この場は貴女に預けてあげる。今回だけよ。アッシュ君、答えはまた後日でいいわ……でも、今度はちゃんと返事を頂戴ね」
そう言って、セレスさんは俺を置いて去って行くのだった。
「ミリーもサヨナラするねー。……レイチェルお姉ちゃんも、また明日なのですー」
ニコッと笑顔だけ残してミリーも去って行く。多分、それはわざと。
俺とレイチェルだけにするために。
……本当によく出来た妹分だよ、ミリー。
そこから、しばし、無言の時間が続いた。
俺も、レイチェルも何も口にすることなく。
どう、声を掛ければわからなくて……多分、この戸惑いはレイチェルもなんだろうな、とは思うが。
ふと、決心した面持ちでレイチェルが口を開く。
「……アッシュ。アッシュは……セレスさんのこと、好きなの?」
それは、つい先ほど俺が自身に問いかけていた事だった。
俺自身、彼女の事が好きなのかどうか。
いや、今まで色々と助けてもらっていて彼女からの好意もあり、決して嫌とかではない。
その小悪魔的なところも含めて、俺はセレスさんを好意的に思ってる……筈だ、多分。
ちょっと急な無理難題とか、ぶっ飛び要素がついてけない気もするけど。
誰かを好きになる……
「……考えたこともない、なんて言えば聞こえはいいけどさ」
俺は過去を振り返る。
いつも目の前のことで精一杯だった。
レイチェルを守ること、ミリーを支えること。それだけで、十分だったはずなのに——。
いつの間にかレイチェルは、俺が守るべき存在じゃなくなってたんだ。彼女が飛び級を重ね、“天才”なんて呼ばれるようになってから、俺は何もできなくなって……。
俺の中に空いたその隙間を、どう埋めればいいのか、まだ答えが見つからない。
ふと気づくとレイチェルは先ほどと同じく、ただジッと俺を見つめ続けていた。
そのモノクルの奥の瞳は涙で潤みながらも俺を真っ直ぐに見ている。
俺は右手を伸ばして、レイチェルの頭をいつもの様に撫でてやる。
そうすると、レイチェルは目を瞑って、満足げに微笑む。
昔からの俺とレイチェルのいつもの仕草。
「…………」
「…………」
俺たちの間に何も言葉は交わされなかった。
ただ静寂の中、俺たちはただ並んで歩いた。レイチェルの肩がほんの少しだけ震えているのに気づく。声を掛けようとしたが、何も言葉が出てこなかった。
「ありがとう、アッシュ……」
ふと、彼女が小さな声で呟いた。振り返ると、レイチェルは涙を浮かべながらも微笑んでいた。その表情が、どうしようもなく胸を締めつける。
頭ではわかっているのだ。
俺自身が決断しなければならないのだ、と。
それでも……この時の俺は、何も言葉を返すことができなかったのだった。
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