17章②『飛んで火に入るカムバックな裁判劇』
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「あら、少尉。ここでは分隊長とお呼びするべきかしら? ここを通していただけるわよね?」
「セレスティア特使。今、クロノクル市に入る者たち皆に緊急の臨検をお願いしている。外交特権が存在しているのはわかっているが、その上で我々の臨検を受けて頂けないだろうか」
そのユリウスの依頼に、セレスさんは、
「イヤよ」
一言で却下した。
いや、早すぎっしょ! その上で更に、
「不可侵権である外交特権を無視した捜査を行う、という事は国家間同士の大きな問題、場合によってはクロノクル市国が我が聖教ソリスト教国と、ことを構えようという風にもなり得るわけだけど、その解釈で良いかしら?」
とのダメ出しをする。
国家間問題。
このレベルにまで話が大きくなることに憲兵たちもざわめきを隠せない。
ここで、もし対応を間違えれば戦争の火種となりかねないのだから。その責任さえも。
「さあ……この状況、本国やクロノクル市長にもお伝えするべきかしらね?」
ニヤニヤしながら更に煽りまくるセレスさん。本当に容赦ないなぁ。
そのセレスさんの言葉に、憲兵たちは一瞬顔を見合わせた後、互いに頷き合う。誰もこの状況を収拾する自信がないのだろう。唯一、頼るのは分隊長の判断——
と、そのユリウスが右手をスッと上げて、憲兵たちの動揺を制止する。
「仕方あるまい。ここはお通ししよう。……但し、妙な真似がないかどうか、私がこのまま追走させて頂く」
「それはどうぞ、ご勝手に」
そして憲兵たちが開けた道を、俺たちを乗せた馬車はゆっくりと進み出す。
ソリスト教国の聖十字騎士、それに憮然とした表情のユリウスも騎馬に乗って続くのだった。
まーここまでが最初からのお膳立てだからな。
人、これをマッチポンプと言う。
続く中心街までの道中も、憲兵隊の臨検があるのだが、追走するユリウスが外交特権の事情などを話して、逆に馬車はスムーズに進んでいく。
その度にユリウスの表情がドンドンと険しくなってってるが。身内を騙してるとか思ってるんだろーなぁ。しかし、作戦に同意した時点で、こーなるのはわかってたろーに、ユリウスよ。今更だぞー。
そして馬車が裁判所のある中心街に着いた時には、時計塔の文字盤は、
13:45
開廷、15分前を示していた。
裁判所前、その広場には大勢の人達、そして記者たちでごったがえしていた。
アルサルトの第ニ公判だけではない。恐らくは一昨日に発したレイチェルへの嫌疑、更に昨日の近衛連隊による貧民窟の掃討作戦。
このわずか数日で起こった一連の出来事が何から来ているのか。彼ら記者達もその『真実』を取材しに来ているのだ。
あふれる傍聴希望の人達。
その中には、近衛隊に護衛されながらも傍聴席に並ぶ精悍な壮年男性、ジーグムント市長の姿があった。
そう、俺たちの『敵』。
さて、そろそろか。
「ん、行ってくるね」
「ああ。……レイチェル、頑張れよ。俺がついてる」
そう言って、レイチェルの頭を撫でてやる。
いつもの仕草。こうすると、幼かった頃のレイチェルはいつも落ち着くのだ。
「ありがと、アッシュ。……私、勝ってくるね」
レイチェルは、モノクルの奥、紅玉色の瞳で俺を上目遣いに見上げて微笑む。
ああ、レイチェル。お前ならやれるさ。
俺も応援しているからな。
レイチェルが立ち上がると、セレスさんは無言で頷きながら馬車の扉を開ける。
無数の人たちが取り巻く中、レイチェルはいつもの黒の法服姿で、皆の前に姿を現す。
「君には証拠捏造の容疑がかかっていたはずだが。聖教ソリスト教国の特使も共謀していた、と言う事かね」
記者達に囲まれたジーグムント市長は馬車から降りるレイチェルを見ながら話しかける。その目の中にある敵愾心を隠そうともしない。
「私に掛かっている容疑はこれからの公判の中で晴らしてみせます。それとも法廷を開くことすら阻止するつもりですか? それは、民主主義の正義じゃないわ!」
啖呵を切ったレイチェルに周りの記者達が『おお〜!』と感嘆の声を上げる。
そうだ。レイチェルは単なる『史上最年少の美少女判事』じゃあない。
これが、レイチェルの強さなのだ。決して、不正に負けたりはしない。
「君には違法捜査の容疑が掛かっている。法の下に逮捕・勾留すべきと思われるが」
それでもジーグムントは、レイチェルを裁判所に行かせまいとするかの如く、馬車と裁判所の間に立ちはだかる。
マズイな……
こちらの護衛、ソリスト教国の聖十字騎士、それに対抗するかのように市長を取り巻く近衛隊。更に記者達や傍観者たち、この無数の人だかりの中、ヘタな行動をされない様に、先に中心街へ潜入しているバルやキケセラ、イワン達が気配を隠してこの集団の中で見張ってくれているはずだが。ここで膠着状況になるのは得策では無い。
となると、やはりこの状況を動かすのは……
と、その時、人波を割ってくるもう1台の馬車。刻まれているのは憲兵隊の紋章である。
その馬車を騎馬にて誘導するのは、ちょっと前に俺たちから人知れず隊列を離れたユリウス。
憲兵隊の馬車は俺たちソリスト教国の馬車に横付けすると、その扉から彼が現れる。
扉が開き、重々しい足音とともにその姿を現したのは、クリフトン教授だった。
白髪が陽光を受けて輝き、その瞳は冷静さと威圧感を兼ね備えていた。
そう、留置場で囚われていたはずのクリフトン教授が今、まさに憲兵隊の馬車に乗ってこの場にやってきたのだ。
ユリウスがこっそり、こちらに向けて視線で合図する。
……やってくれたのだな、ユリウス。
レイチェルだけではジーグムント市長に対抗しきれない場合を想定して、ユリウスには事前にクリフトン教授の解放を依頼していたのだ。
『だが、それには憲兵隊・大隊長の許可がいる』
ヤツは最後までそう言って『できる』とは断言しなかった。
だが、こうして結果を、クリフトン教授を解放してきてくれたのだ、ヤツは。
それはつまり、大隊長の許可すらも手に入れてきた、という事。
いまや、憲兵隊は市長の命に対し、真っ向から反旗を翻した、ということ、か。
「ふむ。これはまさに真打ち登場、の場面と言う事かね」
これまた真っ白に染まった口髭を指でいじりつつ周囲を見渡してそう述べる。
いや、そんな感想を述べていられるほどお気楽な状況じゃ無いんですけどな……頼むから今日ぐらいは真面目にやってくださいって。
「これはこれは、クリフトン外務大臣。貴方もまた、彼女の証拠捏造疑惑の共謀容疑で逮捕・勾留されている、と聞いていましたが、何故にこの場に?」
「ふーむ、その共謀容疑の前のレイチェル判事の証拠捏造疑惑が既に嫌疑不十分である、というのが私の主張なのだが、中々それが受け入れられなくってな。そうこうする内に勾留されていたのが事実だ。君の命によってな」
二人のやり取りで周囲の記者達が騒めき出す。
そりゃ、そうだろう。
一国の首長が自身の勝手な理屈で嫌疑を掛けて憲兵隊を動かして勾留していたかもしれない、などというスキャンダルが目の前にあるのだから。
「まぁ、私の身の上を案じてくれた者達がこうして公判に間に合う様、手助けしてくれた、ということかな」
クリフトン教授の側でユリウスが頭を下げる。
それを憎々しげに睨むジーグムント。
「ホッホッホッ、ジーグムント市長。いや、ジーク君」
ジーク君? それが……アイツの幼少期の愛称なのか?
「ジーク君、君は私が家庭教師をしていた頃、8歳の頃は、もっと素直だったと思うのですがな。……君が民主主義を唱えるのならば、法廷内で事の是非を争うのが筋というもの」
そして、辺りを見回し、無数にいる記者達に、目を向ける。
「証人は、彼等ですぞ。彼等にこそ、判断してもらうのが本当の民主主義でしょうな」
と。
「…………私が貴方の生徒だったのはもう30年も前の事です。そんな古い過去を持ち出しては欲しく無いものですな」
苦々しげに応えるジーグムント市長。
そこに、
「法廷で争うべき事実を武力で封じ込めようとするなら、それは『民主主義』の名を汚す行為です! 私は法廷で真実を証明するわ!」
バチパチパチパチ……
誰とは言わず、レイチェルの言葉に皆が拍手をし、その音は広がっていく。
レイチェル……お前が皆の想いを動かしたのだ。これだけの賛同者が、今、レイチェルの背中を押している。
凛とした眼差しでジーグムント市長を睨みつけるレイチェル。
ジーグムント達も、無理にレイチェル達を捕えることは出来ない状況になる。
これで闘争はアルサルトの法廷内で付けることへ、この場の皆が賛同する形になったのだ。
この場の雰囲気を持って行って、武力衝突じゃなく、法廷内に持って行ってくれた。
……さすがだよ、教授、そしてレイチェル!
これで、最後の策を出せる土台が整った、という事だな。
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