16章①『正義の定義とは』
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白い天井。
俺の自室、灰色の石で出来た天井とは全くの異質。
清潔なシーツに、微かにアロマの匂いが鼻をくすぐる。
まるで夢の中にいるような快適さだが、左肩のジンワリとした痛みが、現実を思い出させた。
懐の懐中時計は、
7:20
あれから、一夜が明けたことを知らせていた。
ここは、セレスさん達のソリスト教国大使館。その医務室。
あの後、シクルドの襲撃を受けた俺たちは一旦、元の中心街の大使館に退くしかなかった。
ヤツら——シクルド達は退却しているが、貧民窟の中には更に色々なポイントで黒マント達が罠を張っているはず。その中を俺たちがそのままバルのアジトに向かえば、その場所を特定される危険が高かった。
俺自身の怪我のこともあり、退かざるを得なかった。そして、セレスさん達は追われている俺をここに匿ってくれたのだ。
レイチェル……。
俺が、全身全霊を持って守らなければならない大事な妹分。
なのに、その元に行き着くことすら出来ていない。
なんて……俺は無力なんだ。
セレスさんやワルターさん、ユリウスだけでなく、13歳のキケセラと比較してすら、俺は戦いには何の役にも立たない。それどころか、こんな怪我で皆の足を引っ張ることにまで……
“大丈夫、アタシだけなら却って、気配を消してアジトに帰れるよ”
キケセラはそう言って、バル達に状況を伝えにアジトへ戻ろうとしていた。
“……ヤツら、貧民窟の中で見張っているはずだから、気をつけるんだぞ”
“オーキードーキー”
そう言って、身を翻し、貧民窟へ。
その背中へ、
“……キケセラ嬢、先の発言は済まなかった。オレが考え無しだった。心より謝罪する”
声を掛けたのは、ユリウスだった。
それを聞いたキケセラは足を止めるも、そのまま振り返ることなく、
“別に。アンタらは、どーせそんなだし。今更よ”
そう、キケセラは返すのだった。
それを聞く隣のユリウスは、グッと唇を噛み締める。
が、
“でも、さっきはありがと。……女性や子供を守ってくれる騎士様は、まぁ、好き、かな”
それだけを言って、キケセラは駆けて行くのだった。
しかし、ここからどうしたものか……
そう思いながらベッドから上半身を起こしたのだった。
「…………」
あのー、セレスさん、何故にそのベッド脇に座ってニコニコしてらっしゃるんでしょーか?
てか、まさか、ずっとここにいた訳じゃなかろーなぁ。
「フフフー、アッシュ君の寝顔、思ったより可愛いのね〜」
……しまった、ここは敵地だった。怪我の手当を受けてたんで、油断したぞ、オイ。
「まさか、と思いますが、昨晩からずっとそこに居たわけじゃないですよね?」
「流石にそれは無理かなぁ……でも、ちょっと早目に起き出してアッシュ君の寝顔をチラ見するぐらいは出来たわね」
はぁー。
ため息が出る。けど、お世話になってるのも事実だしなぁ。
「いい加減、アッシュ君が困ることはお控え下さい。セレスお嬢様」
そう注意してくれるのはワルターさんだった。
有り難いんだけど、もう少し前の時点で止めてくれませんかね、マジで。
「……このままでは、アッシュ君に『ソリスト教国の人間は変わってる』という固定観念が生まれかねません」
すみませんが、それはもう遅いです、ワルターさん。
「左肩は大丈夫? 傷は、深くはないけどあまり無理はしてはダメよ」
昨日、俺の左肩の怪我を手当してくれたのはセレスさんだった。手慣れた手付きで血止めと消毒、包帯で巻いてもらった。
「ああ。もうそんなに痛みはないですよ。ありがとうございます」
「フフッ、礼を言うのはこっちの方よ。……危ない所を、ありがとう。アッシュ君」
……俺には、ああするしか出来なかったからなぁ。戦えない俺には。
「ところで、そろそろ教えてもらえないかしら?」
?? 何を?
「……どうしてヤツらの狙いがバル君のアジトだと悟ったの?」
ああ、それは……
「例の詩集本ですよ」
あれは、アルサルトから自身の部下へのメッセージ=指示だった。
敢えて、詩集本を破ることで、同じ詩集本を持つ部下に伝えるメッセージ。
これなら、例え途中で破られた詩集本が誰か部外者に取られても、『同じ詩集本が無い限り』、そのメッセージの内容は分かりようが無い。破られた部分は、同じ詩集本が無ければ分かりようがないのだから。
中々に上手く考えられている。多分、これまでも、そのやり方で留置場内から指示を出していたんだろうなぁ。
無駄に何でも収集してしまう我が図書館に、同じ詩集本があってしまったんで、その内容が分かってしまった訳だが。
「ふーん……で、その内容は?」
「ヤツらの目的はリアンです。『天使似の子』、リアンが貧民窟のバルのアジトにいることをつき止めたんですよ、ヤツらは」
そうなのだ。なので、貧民窟に罠を張り、レイチェルと合流を目指す俺たちを追跡することで、その場所を特定しようとした。
レイチェルもだが、リアンまでもがヤツらの目的だったのだ。
……冤罪疑惑までかけてレイチェルがバルのアジトに匿われる様になった、までがヤツらの策略の内だった、というのは流石に考え過ぎか? レイチェルを囮に、俺たちがアジトへ向かう様に…………まさか、な。
いずれにせよ、今の俺たちには打つ手がない。下手にバル達に合流しようとすれば貧民窟で見張っている黒マント共に補足されてしまう。
そうであるならば、明日のアルサルトの第二公判まで、バルのアジトでレイチェルは隠れたまま、当日に裁判所で合流するのが最も安全。
そう、キケセラに、バルやレイチェルへの伝言を頼んだのだった。
——レイチェル……
“貴様が最も大切にしているモノ、それをまずは……”
シクルド……ヤツは去り際、そう言った。
“壊してやる!”
……大丈夫だ。ヤツらはバルのアジトを見つけられなかったからこそ、貧民窟で罠を張って俺たちを尾けようとしてたのだ。
冷静に考えろ、アッシュ。
レイチェルの安全のためには、ここで明日まで時間を稼ぐのが一番。
そのはずだった。
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