10章③『それでも君を守りたい』
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俺たちは憲兵隊での情報とバル達少年ギャング団の情報とを照らし合わせる。
やはりバル達は昨日の別行動の後、ピエロ達リアン誘拐犯を捜索していたらしい。
憲兵隊とは別に、警戒の穴になりやすい路地やスラム、貧民窟などを中心に。更には臨検する憲兵自身にもこっそり見張りを立てていたが、怪しい動きはなかったらしい。
やはり憲兵隊自体に裏切り者がいる訳ではないのか。
となると、どうやってリアンが蒸気船に運び込まれたか、だが。
そもそも街の出入り口の臨検に引っかかって無い、ということはピエロ達はまだ街の外、か。
であれば、だ……
机の上に広げた地図を見る。港町クロノクル市があり、その南東の外れにあるのがエルム草原。そこに隣接するのは
「ヘルベの森……」
ヤツらが潜んでいるとすればここの可能性が高い。
だが、問題はここからどうやって蒸気船に運び込んだか、だ。しかも出航時間ギリギリに。
街の出入り口も港も厳重な警戒で運び込む隙は無かったはず。
そうなると……
「これ、か」
俺は街から海岸線沿いに南の端、漁師用の波止場を指差した。
「これ? この波止場が一体?」
「ここは街の外れです。憲兵隊達もここまでは臨検出来ていない筈」
少なくとも、さっきユリウスに聞いた警戒網の中には入っていなかった。そう、セレスさんに説明する。
「しかし、アシュ氏、ここから漁船で港に向かった、てこと? 港に船が着いたなんて連絡は聞いてないぞな?」
「港ではなく、洋上、船同士で引き渡すのであればどうなる?」
その俺の言葉にレイチェルがハッとする。
「そうか! それで蒸気船は出航可能時間ギリギリに出たのね! さっきようやく雨が止んで漁船が出れる様になったから」
そうだ。
昨日から続く大雨で海もかなり時化っていた筈だ。漁師達が使う小型の漁船では海に乗り出せないくらいに。
その雨が止んだのが、つい先程の夕方。
波止場から漁船が出せたのを確認して蒸気船も出航したので、出航可能時間ギリギリになった、というわけだろう。恐らくは。
——これで、現状を観察・分析し、何が起こったのかは大体、推定し終えた。
後は、これからどう阻止するか、だ。
リアンが攫われる事そのものはもう阻止できない。
懐中時計の時刻は19:35。
何処かで、俺が『刻戻り』で過去を修正しなければ、今の現状は変わらない。
——出来るのか!?
嫌な汗が伝う。
あの時の、過去を改変失敗した時の想い。いや改悪だ、アレは。
もう一度、過去に跳んで、俺は本当に修正できるのか!? 今よりも、もっと悪い事になってしまわないのか!?
「大丈夫」
目の前に、レイチェルの顔があった。
「アッシュなら。信じてるから」
そして、俺の両手を包み込む様に手に取り、自身の胸元で祈る様に抱きしめる。
?
何か小石の様なものが当たるが、コレは……
「うん。ネックレスは壊れちゃったけど……この石だけはあるから」
レイチェルの掌の中、それは紅玉石だった。
壊れて石だけになったもの。
「私とアッシュはちゃんと繋がってる。私は信じてる」
『私の英雄』
レイチェルは俺のことをそう呼んだ。
ただの幼い頃の幻想。憧れだろう。
でも、レイチェルは何があっても、他の誰がどうだろうと彼女だけは俺を信じてくれる。
——なら、肝心の俺が、兄貴分の俺がそれをやり遂げないでどうするのか。
「セレスさん」
彼女の名を呼んだ。
「どうしたの、アッシュ君。現状は分かったけど、キミはここからどうするつもりなの?」
ここで『刻戻り』を行うには一つ、問題がある。
既に、この時間軸は俺の先の『刻戻り』で過去が改変されてしまっている。
そして、俺は改変された後の事象の記憶が無い。
『刻戻り』はその事象と時間が認識されていなければ起こせない。この改変後の世界で俺が記憶している事象とは一体……
「セレスさんは、過去改変前の記憶も持ってるんですよね?」
「? ええ、そうよ。と言っても、おぼろげで夢のようなものなので細部をはっきり覚えていられるものではないのだけれども」
それで十分だ。
「セレスさんから見て、改変前と同じことがあったという記憶は無いですか?」
「同じこと? うーん……」
セレスさんは少し考え込み、そしてレイチェルの方をチラッと見て、
「帰りの辻馬車で、レイチェルさんが静かに泣いていたこと、ぐらいかな……同じとなると」
なるほど。
まぁ、リアンが誘拐される、されないでは行動が皆、違いすぎるだろうから、そこぐらいしか無さそうだな。
「……セレスさんにばれてたんだ……」
隣で何やらショックを受けてるレイチェル。
帰り際、レイチェルが涙を流したまま帰宅したのが確か13:50。
となると逆算して刻戻り可能になるのは……19:50?
マズい!?
懐中時計の時刻は19:45を示している。
「時間がない! 今すぐ刻戻りを使う!」
「おお? アシュ氏、どこへ!?」
「……また、使うのね。アッシュ君」
セレスさんは少し呆れた口調で言うが、今度は俺を止めようとはしない。
「止めないんですね」
「……キミなりの考えがありそうなのでね。それが吉と出るか凶と出るか、確かめさせてもらうわ」
そして、最後に俺はレイチェルに告げる。
「じゃあ、行ってくる」
「うん、頑張って。行ってらっしゃい、アッシュ!」
時計塔の文字盤は19:49。
そして、針が進み、19:50になった瞬間、文字盤が蒼く光り出す。
その指し示す時刻は
13:50
「これが、『刻戻り』……」
隣でレイチェルが息を呑む。後ろでバルも何やら騒いでるようだが。
やはり以前と違って皆にもこの異常が見えているらしい。この違いは一体……
だが、その考えがまとまる前に既に世界はその全ての動きを止め、永遠とも思える静寂が広がる。
その見える全てが灰色のモノクロームに染まり、そして彼らがやってくる。
《ウフフ……》
《アハハ……》
脳に直接響き渡る笑い声。
青い燐光を纏った少年少女達がその空からゆっくり舞い降りる。
《君と僕たちの契約……》
《この町の嘘をあばく……》
《その想いが届くまで……続けるんだ……》
《例え君の望まぬ結果になったとしても……》
《その為に見せるんだ……》
《君の意思を……》
《その想いが本当に守れるのか……》
——君の想いが、世界に抗えるのか。
瞬間、世界が反転する。
そう。俺は、もう一度、俺の意思で刻戻りを行った。
——リアンを、レイチェルの想いを守るために。
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