09章①『最高にリグレッタブルな過去改変』
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「………………」
帰りの辻馬車の中では誰もが無言だった。
急に降り出した大雨が馬車の幌をパラパラと打つ音が響く。
……別に、誰かが攫われた訳でもない。誰かが大きく怪我をした訳でもない。
それでも、俺たちは皆、無言だった。
襲撃者——あのピエロ達。
ヤツらは再びリアンを狙って来た。『天使似』の子供であるリアンを。
それは、きっと町の上層部も絡んでいる話。
だが、それは今は存在しない、以前の時間線の中でユリウス達と話した中で出て来たもの。
俺は……この話をレイチェル達と共有出来ない。理由が見つからない……
そう、そしてヤツらは、このエルム草原に『罠』を張った。
特別便の始発の前に直接、脚で乗り込んでさも秋のピクニックを楽しむ観光客のフリをしてタイミングを謀っていたのだ。
俺たち——リアンが今日、このエルム草原のピクニックに参加する、という事前情報が、どこで漏れたのか…………考えろ…………観察し、分析し、推定して…………
「……レイチェルお姉ちゃん……」
ミリーの悲しそうな声が響く。
ハッと顔を上げると、隣の席で、膝の上のネックレスの欠片を放心した表情で見つめ続けるレイチェルの姿があった。
「大丈夫。皆、無事だったんだから」
そうレイチェルは話すが、その声は今にも泣き出しそうに震えていた。
そんなに大したネックレスなんかじゃ無い。
祭りの屋台で買った、そこらによくある紅玉石のネックレス。レイチェルの紅玉色の瞳に似合うな、と思って。
それをレイチェルはここまで大事に思ってたのか……。
俺たちの家は郊外なので、先に降りることとなる。
放心状態のレイチェルを支えながら馬車から降りた時、セレスさんから声を掛けられる。
「……キミやバル君が『いらない』と言うので通報しないけど、本当に憲兵に連絡しなくても良いの?」
結局、憲兵隊を嫌うバルは通報することを嫌がった。そのまま馬車を使わずリアンと一緒に雨の中、マントを羽織って歩いて帰って行ったのだ。
——俺は、その理由を知っているが、それは口には出せなかった。何故なら、それはもう存在しない前の時間軸の中で、バルが告白した事実だから。今の俺は何も知らないままで居なければならない。
「それと、彼女」
チラッと傍のレイチェルを見る。そして、彼女には聞こえないように俺の耳に唇を近づけ、
「ちゃんと彼女を見ててあげなさいな、騎士さん」
そう耳打ちして、馬車は走り去っていくのだった。
「…………」
その姿を見送って、レイチェルやミリーと共に家に入ろうとする。
と、その顔を見て、俺はハッとした。
雨除けのフードを被った、その中、レイチェルは声を上げずに涙を流し続けていた。
「レイチェルお姉ちゃん……」
「……せっかくプレゼントしてくれたのに………アッシュとの絆…………壊して…………ゴメンなさい!」
「お、おい!」
「レイチェルお姉ちゃん!」
俺やミリーの声も振り切り、レイチェルは家に入って行ってしまった。
レイチェルの家の前、立ち尽くす俺たちに雨が降り続ける。
「……帰ろう、ミリー」
「……うん」
それぞれの家に帰るしか無かった。
チラッと振り向いた先の時計塔は13:50を指していた。
昼から降り出した雨は夜になってもシトシトと降り続いていた。
懐中時計の時刻は22:10だった。
家の敷地内の離れにある元、石畳みの倉庫。そこが18歳になってからの俺の部屋だった。
倉庫の窓からは隣家のミリーの2階の部屋の窓を見上げることができる。部屋の中の様子は分からないが、明かりは漏れていた。まだ起きているのか、ミリー……。
(アシュレイお兄ちゃん……ゴメンなさい……ミリーがピクニックに行こうって言ったのがダメだったんだよね……)
そう言って、ミリーも止める間もなくそのまま家に入って行ってしまった。
……違う、ミリーのせいなんかじゃ無い。
ミリーにまでこんな思いをさせてしまったのは、俺のせいだ。
彼女には、この短期間に2回も怖い思いをさせてしまった。祭りの時と、今日。
俺は……何をしてるんだ。
何も出来てない。何も守れてない。
大事な妹分達ですら。
何が『刻戻り』だ!!
何が『守る』だ!!
レイチェルのあんな悲しそうな顔、俺は許さない!
俺の中ではもう決めていた。
明日の17:40。
そこで『刻戻り』を行えば、今日の11:40、あのピエロ達の襲撃前に戻れる。
そして、あのネックレスを守るんだ!
……もう、これ以上、彼女の涙を見たくないのだから。
前回と違って俺は今回の全ての状況を既に把握している。大丈夫。俺だけの力で充分だ。
そう、俺がやり遂げるんだ……
ひどい雨足が止まぬ翌朝、レイチェルがいつもの時間に出てくるのを待つ。
「……ありがと、アッシュ。昨日はゴメン。心配かけて」
いつもよりは少し遅れて家から出て来た彼女の目尻はまだ赤かった。その笑顔は明らかに無理して作ったものだ。
俺は敢えてそれに気づかないフリをしたが、胸が痛んだ。
その憂いた表情は昨日と変わらない。あの強気な彼女のオーラは何処にも無い。
誰がこんな彼女にしたのか……言うまでもない。俺自身だ。俺が守れなかったからだ。
辻馬車は大雨の中、いつもの様に走り、いつもの時間に中心街に着く。
そこでそれぞれに別れて自分の職場へ向かう。
……そうして、今日の17:40まで待てば、刻戻りで全てを無かったことにできる。
そう、無かったことに。
時計の針は、いつもと変わらず過ぎていく。ゆっくり、17:40へと。
昨日のことがあるのだろう。バルは急遽、休みを取っていた。
誰もいない図書館で俺だけが一人、その時が来るのを待ち続ける。
早く……早く過ぎてしまえ。刻戻りさえしてしまえば、全てを無かったことに出来る。
皆を守るんだ。あの涙を無かったことにするのだ。
昨日から続く大雨は夕方になって、ようやくその雨足を止めていた。
窓からは、少しずつ晴れゆく雲の中、夕焼けが差し込みつつあった。
「相変わらず、この図書館には誰も来ないのね」
そう言ってセレスさんが現れたのはそろそろ閉館時間になる頃だった。
「……セレスさん、済まない。出来たら今日は締めの作業を早目にしたいんだ。そうさせてもらって良いかな」
「ええ。私は構わないわ。調べ物は明日でも出来るから。アッシュ君は今から彼女の所に向かうのかしら?」
俺がその問いに答えず、じっと無言でいると、セレスさんはムッとした表情になる。
「アッシュ君。あなた達がどれだけの付き合いの深さがあるのかわからないけれど、彼女、レイチェルさんがあれだけ傷ついたのはわかってるんでしょ? 恐ろしい目にも遭ってるのよ。少しでも長く彼女の側に居てあげなきゃいけなくて?」
…………イラっとした。
彼女は何を言っているんだ? どれだけ傷ついたのか、なんてのは幼馴染みの俺が良く分かっている。
あのレイチェルが……あの強気な天才少女が、その全てが崩れ落ちてしまっているのだ。どれだけ傷ついているかなど、俺が分からないわけないだろう!?
だから、俺はそれを取り戻す。だから……
「だから……やり直してやる……」
「やり直す?」
……言葉がつい、出てしまった。
「ちょっと昨日のあなた達が心配で来てみたのだけど……さっきの『やり直す』とは、一体、何のこと……?」
「いや、単に言い間違えただけですよ」
「そんな感じには聞こえなかったのだけれど?」
やけにセレスさんは食い付く。
俺は締めの作業に入ることで、敢えてセレスさんを無視するようにして、それ以上の追求を避けた。
その作業も終わった頃、窓の外は夕陽で真っ赤に染まり、時計の針は17:25を指していた。
もうあと15分。いよいよだ。
汗がじっとりと背中を流れ、俺は何度も窓の外の時計を確認していた。
「……終わったのに帰らないのね」
それまで黙って俺の作業を見ていたセレスさんが再び俺に問いかける。
何がしたいのだ、この人は。
もう、俺は『刻戻り』に入る直前だと言うのに。
「それに、やたらとあの時計塔を気にするのは?」
…………時間を気にするのが、何が悪いというのだ。
一つ一つ、セレスさんは何やら俺の表情を確かめるように問いただす。
それは、何かしらの解答を俺の顔から読み取ろうとするかのように。
「まるで、あの文字盤を見逃さないようにしてるみたい」
!?
しまった!
彼女の言葉につい……顔を歪めてしまった。
それを見た彼女はしてやったり、と言う様に片目を瞑る。
「そう。やはり、そうなのね……」
何も言わない俺の前でセレスさんは何かを悟ったかのように呟く。その次に彼女が放った言葉、それは、
「キミが『刻の改変者』だったのね。アッシュ君」
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