06章②『喧騒下のアブダクテッドな天使様』〈結〉
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「ボス! 大丈夫!?」
リアンがこちらに駆け寄ろうとした瞬間だった。その小さな身体が宙を舞う。
——ここが13:30だったのか!?
スローモーションの様にリアンが空高く飛ばされる中、俺は『今』を把握する。
横から曲剣で切り掛かった黒マントをメリケンサックで受け止め、そのままぶっ飛ばすバル。
そして、咄嗟にミリーを自身の背後に隠し守ろうとするレイチェル。
宙に浮くリアンを受け取ろうと手を伸ばすピエロ。
レイチェル達に襲い掛かろうとするもう一人の黒マント。
——これが全て。そして俺の右腕の傷は包帯のみを残して消えていた。
『刻戻り』の際に一つ、懸念していたことがある。
それは、『刻戻り』をした時に過去の『俺』がその場にいた時はどうなるのか、だった。もし過去の『俺』と『刻戻り』した『俺』がどちらも存在したならば。
過去の『俺』は『刻戻り』の存在を知っているので直ぐに理解するだろうが、他の者の混乱をまず抑えなければならない。でなければ、次の策に移れないのだから。
が、これに関しては不要な対策だったらしい。
『刻戻り』した時点で、過去の『俺』は同時に存在しなくなっていた。
であるのならば、
推定していた動きで俺は黒マントの前に立ち塞がる。
「!? ダメッ! アッシュ、危ない!」
見よう見まねの構えで黒マントに立ち向かう俺に、口元を歪ませて、恐らくは笑ったのだろう。ヤツは右手の曲剣を振り下ろす。
「いやァッ! アッシュ!」
レイチェルが悲鳴を上げるが俺は全く動じず、声を上げる。
「バル!」
「なにッ!?」
黒マントから驚愕の叫びが漏れる。振り下ろした剣は俺に何の傷も負わせられなかったからだ。その手応えさえ。
その理由を理解する前に後ろから迫ったバルが一瞬で黒マントをのしてしまう。
「アシュ氏、今のは……」
俺の無傷に理由を問いたいのだろうが、今はそんな時間は無い。既にリアンを抱えたピエロは走り出している。
「ヤツは俺が追いかける」
そして、レイチェルとバル、それぞれに前もって用意していたセリフを告げる。
リアンを背中に抱えたまま路地の奥を走り抜けるピエロ。
小さいとは言え、人一人分を背負っている事、そして俺自身はヤツの行き先を知っている事、更に俺の身体が『刻戻り』の影響で物理的なものを無視出来る為、曲がり道など微妙にショートカットしている為、以前よりもヤツの背中に肉薄する。
「チッ!」
俺がすぐ後ろに迫っていることに舌打ちしたピエロは、例の三叉路を左に曲がる。
そのすぐ後を俺も左に飛び込む。
「ッ!」
そう、ヤツ——ピエロはリアンを背負ったまま、空高く飛んでいた。
ピエロは、ニヤッと笑いながら地面の俺に勝ち誇る。
「フハハ、お前如きではオレは止められんよ」
その冷たい声が響く。
が、その笑みに違和感があった。
「あれは!?」
ピエロの✖️の右眼。その眼は古い傷跡があり白く濁ったままだった。
——ヤツの右眼は見えていないのか!?
そして、塀を超えた、あの空き家にヤツは飛び降りる。
当然、俺も——
その塀に向かい、飛び込む。
「馬鹿な!? どうなっている!?」
塀を超えて引き離した筈の俺が空き家に飛び込んできた、その事実に驚愕の表情を浮かべるピエロ。
更に、
「アシュ氏、黒マントがそっちに行ったぞなー!」
前もって、別ルートから飛び込んでいたバルが中にいた黒マント達と対峙していた。
“まず、その先の辻にいるお前の仲間から皆に伝えて欲しい。路地から港に向かう馬車を阻止するんだ”
“いきなり、何を言い出すんだな、アシュ氏”
“そして、俺の指定するそこの空き家にバルは先回りしてくれ”
“だから理由を!”
“頼むぞ、『バルスタア団』!”
その一言で、バルは自身の疑問をグッと飲み込んで俺の言うことを信頼してくれた。
空き家の中にいた黒マントは3人。
バルがその内の2人と対峙するも狭い室内だからか攻めあぐねている。
その隙に一人がこちらに向かい、入れ違いにピエロがリアンを抱えて隣の蔵に逃げ込む。
「逃すか!」
斬りかかる黒マントの刃を全く無視して追いかける。その有様に、奴らが驚きで一瞬、動きを止めた隙を、バルは見逃さない。
メリケンサックで一人の顎を打ち抜く。骨が砕ける音が響いた。
続いて、返す刀とばかりで隣のもう一人を巨体とは思えぬ速さの回し蹴りで吹き飛ばす。
ドカッ!
黒マントの身体が壁に叩きつけられる。
残る一人が曲剣で斬りかかる。その剣先とバルの右のメリケンサックが重なり合う。
キィン!
鋭い音が響く。
そして、そのままバルは黒マントの刃を受け止めると、腕をねじりあげ、相手の動きを封じる。
「これで終わりなのだよー」
ぼそっと呟き、拳を振り下ろす。
ガシュッ!
黒マントは一瞬、ビクッと痙攣のように身体を強直させて、そのまま倒れ込むのだった。
ピエロを追って蔵に飛び込んだ俺の目に、更に出口の庭へと走る奴の背中。
少し遅れて出口を出た俺が見たものは——
「ボスー! ボスーッ……ああっ!」
荷馬車に載せられた酒樽にその小さな身体ごと入れられ、ピエロに蓋をされるリアン。
「走れ!」
荷馬車に飛び乗ったピエロの言葉が響くと同時に、黒いフードの御者が馬に鞭打ち、馬車が猛スピードで駆け出す。
ガシャガシャと車輪の音が石畳を震わせた。
くそッ! 間に合わない!
「リアンー! くそぉぉーッ!」
遅れて庭に追いついたバルが走り出す馬車の後ろ姿を睨む。
「まだだ! 追いかけるぞ、バル!」
そう、まだ仕掛けはある!
“そこの路地を抜けた先、緑のズボンの変装した憲兵に『誘拐が発生した。路地から港へ向かう馬車を止めろ』と判事の力で命令してくれ”
“アッシュ!? それはどういう……”
“更に港へ少し行った先の憲兵にユリウスへの伝令を依頼しろ。呼び子笛を持っている筈”
“…………アッシュ……”
“頼む。俺を信じてくれ”
“……わかった。私はアッシュを信じる”
レイチェルは俺に説明する時間がないことを見てとると、一瞬の疑念さえ見せずに、ただ静かに俺を見つめた。彼女はいつだって、俺を信じてくれる。それがどれだけの勇気をくれるか、彼女は知らないだろう。
そして、ミリーの手を取り、大通りの先にいる最も近い、憲兵の元に向かう。
バルにも、レイチェルにも、『刻戻り』時には『未来に起こること』を『直接』、伝えることが出来ない。現時点で生じている『誘拐』という単語は話せるがそれ以外は伝えられない。
なので、不自然な物言いしか出来ないのだが、二人ともそんな俺を信頼してくれた。
そう、信じてくれたのだ!
空き家から路地を抜け、港に、大通りへとひた走る。
間に合え! 間に合え!
あと残り時間がどれだけなのか見る余裕もない。
路地から大通りに抜けた瞬間。
そこで、馬車は憲兵達に取り囲まれていた。
「緊急の臨検だ。荷物と身分を明かしてもらう」
「これは判事としての捜査権よ。大人しく従ってもらうわ!」
レイチェル……!
俺とバルが追いついたことを見て、レイチェルはモノクルの中で軽くウィンクする。
その隣にはミリーとユリウスの姿もあった。
俺が告げた通り、憲兵達を判事の捜査権で指揮して馬車を止めてくれたのだ!
憲兵達が荷馬車の荷物に触ろうとした瞬間、
「チィッ!」
黒フードの御者が鞭を鳴らす。
馬が嘶くと同時に周りの憲兵の制止を振り切って走り出す。
「そんな!」
「危ないです、サファナ判事!」
レイチェル、隣にいたミリーを庇うユリウスと憲兵達。その隙に馬車は走り出す。
マズい! 港に、船に逃げられてしまう!
「馬と御者をやるのだーーー!」
背後のバルが大きく叫んだ。
『おおーー!』
『やってやらー!』
『馬車を止めろー!』
そこかしこで呼応する声が上がる。
同時に、ソレが馬車に襲い掛かる。
バシバシと叩き込まれる、それは石礫。いつの間にか付近にいた少年達——ギャング団員が次々と石礫を撃ち続ける。
そのあまりの鋭さ、速さに、
「ぐぉッ!」
頭を撃ち抜かれた御者は血を流し、石畳へと転げ落ちる。
制御する主を無くして馬が走り続けるが、そこにも石礫が襲い、
ヒヒーンッ!
大きく馬は嘶き、横に倒れ込む。
同じく引かれていた馬車の荷台もゆっくりと傾き……その荷の酒樽ごと横向きに倒れる。
やった……止めた!!
歓声がそこらから上がる中、俺は必死に駆け込む。ここに、リアンが……!
「リアン、どこだなー!?」
同じく、酒樽からリアンを必死に探すバル。
ほとんどの酒樽は倒れた拍子に崩れてしまって中身が出ている。が、そこにリアンの姿はない。
「馬鹿な……そんな……リアンが……居ない!?」
失敗……失敗したのか!? 失敗してしまったのか、俺は!?
思わず、時計塔を仰ぎ見る。
13:42
あと、3分しかない。
考えろ。考えるんだ! 決して諦めるな!
観察し、分析し、推定しろ! アッシュ!
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