⭐︎後日談⭐︎30.5章④『いと清しラヴァーズ達の生誕祭』
***30.5-4
「そんな……17時開店の15分前にはお店について並んでる予定だったのに……ウソ……ウソよ、こんなの」
全身をわなわなと震わせて低い声を漏らすレイチェル。
お、おお……まぁ、ユリウスのプレゼントを選んだり、リアンやミゼルが絡んできたりしてたからなぁ。
と、取り敢えずは計画書の通りにレイチェル指定のレストランに行ってみても良いんでは?
「………………」
なんで、そんな泣きそうなうるうる目で俺を見上げるんだよ、レイチェル。
「…………だって、だって、だってッ! ……ここの生誕祭特別ディナーを一緒に食べたカップルは未来永劫離れられなくなるって、雑誌に書いてあったんだもん!」
食べたら最後、離れられないって呪いの料理にしか聞こえんが。
そう想ったけどレイチェルの手前、言葉には出さず。
悲壮な顔のレイチェルと共に最後の目的地に向かったのだが。
「…………うそ、こんなの……こんなの、最強デートじゃない……」
店の前には既に長蛇の列と、その最後尾には『本日の予約は終了しました』の看板を掲げるスタッフ。
「……うぅ……アッシュ……私、すっごく頑張ったのに……」
地面が雪で濡れるにも関わらずその場に跪き、項垂れるレイチェル。その肩が震えている。
おいおい。
「アッシュとの初めての生誕祭だったんだもん。完璧にしたかった……『最強のデート』にしたかったのにッ!」
そう言って静かに嗚咽する。
そうだったのか……すまん、レイチェル。
お前がそんなに今日のデートにかけていたとは。気付かなかった俺が悪い。
俺との生誕祭をそこまで楽しみにしてくれていたのだな。
それほどまでも想ってくれた気持ち、俺はもっとしっかりと受け止めるべきだったんだ。
だが、レイチェル。
俺はお前が側に居て、笑ってくれるのが最高に幸せなんだ。何もなくてもお前だけが居れば。
「グス……アッシュ……私が居るだけでアッシュはそれでいいの?」
ああ、そうだ。
お前が側にさえ、居てくれればそれでいい。
あの地獄のような30時間で俺はこの『レイチェルがいるいつも』が如何に貴重で大切なのかを思い知ったのだから。
だから、有名なレストランでなくてもいい。例えば——
「……え? あそこの屋台に?」
うん。身体も冷えてしまっただろう。
こんな日はあったかくなる料理がいい。
そこの、いつぞやも行ったことのあるオデンの屋台。
「オデン? 食べたことないけど……美味しいの、アッシュ…………?」
ああ、味が中まで染みてて温まるぞ。
「そうなんだ。——うん、アッシュが勧めてくれるなら。ありがと、こんな私のために」
レイチェル。
何度だって言ってやる。
俺はレイチェルと一緒の生誕祭が良いのだ。レイチェルが笑顔になれるよう、俺にも手伝わせてくれ。
「アッシュ……うん……うん……ありがと! アッシュ!」
項垂れていたレイチェルがようやく表を上げる。涙が光るその顔にはようやく、笑顔が戻りつつあった。
ヤポーン名物オデンの屋台には俺とレイチェルしかいなかった。
レイチェルは初めて見るオデンを興味深そうに見つめてる。何せ、好奇心の塊だからな。
もう日が暮れ行く中、背後を聖歌隊が歌いながら通り過ぎていく。
「ん……? 熱っ……! でも、うん。じゅわっとお出汁が染み込んでて……あったかい」
熱々のダイコンとタマゴをはふはふ言いながら頬張るレイチェル。
先ほどまでの涙目が見る見るうちに笑顔へと変わっていく。
ああ、これだ。
俺はこのレイチェルの笑顔こそ、守りたかったのだ!
「うん……本当にあったまるわね、このオデン。ありがと、アッシュ」
ん? 気付くとレイチェルは俺の肩にちょこんと頭を預けていた。
「アッシュと一緒なら……どこだって素敵なデートになったのよね。うん。なんか、焦ってたのかも、私」
そうだな。俺もレイチェルが側に居てくれればいい。
そうやって微笑んでくれるなら。
——そのためなら、俺はなんだってやってやる。
「えへへ、ありがと。アッシュ。そう言って私を、ううん、この広場にいる皆を、この町全てを救ってくれたのがアッシュなんでしょ?」
え、それはまさか。
「うん。セレスさんから聞いたわ。皆が、町が……私自身さえも失われそうな中、アッシュが全てを救ってくれたって。自分自身も傷つきながら」
それは、あの長い30時間の中の出来事。
消え去ったもう一つの時間軸。
だが、それは俺だけの力じゃない。
セレスさんやワルターさん。バルやユリウス、何よりもレイチェル。お前が居てくれたから。その想いがあったから、俺は『今』に繋げれたんだ。
「でも、それも含めてアッシュが私たちを町ごと救ってくれた。だから、お礼を言わせて」
そしてレイチェルは俺の両手をギュッと握り締め、
「ありがと、アッシュ」
そう言って微笑むのだった。
ああ、これだ!
この笑顔を守るために俺は。
俺はあの地獄のような30時間を駆け抜けたのだ。『刻戻り』を繰り返して。
レイチェル。
「きゃっ、こんなところで……」
わかってる。……でも、離したくないんだ。
隣のレイチェルの肩を抱きしめる。
「えへへ……」
レイチェルも俺の肩に顔を寄せる。
温かい時間が流れる。
そうだ、今がチャンスだ。
「レイチェル、これを受け取って欲しい」
「え? これって……生誕祭のプレゼント!? ウソ! アッシュ、この前の指輪でもう貯金が無いって言ってたから……」
だから、プレゼントがあるとは思ってなかった。
だろうなぁ。
なので、欲しいイヤリングがあってもレイチェルは言わなかったのだ。
そうだろうと思って、ちょいと無理はしたけど、何とかお金は工面したのだ。
「どうだ。レイチェルに似合うと思ったんだが」
そしてお前自身が欲しいと思ってそうだったから。
「ああ……! アッシュ! これ、シンプルで綺麗だな、て思ってたの!!」
プレゼント用の小箱に入っていたのはシルバーのイヤリング。
レイチェルの目を引いていたそれを手にした彼女は感激に目を潤ませる。
「どう、かな?」
早速、付けてみる。
うん、やはり似合ってる。
「アッシュ、ありがと! 大事にするわ、本当に」
これだけ喜んでくれれば頑張った甲斐があったものだ。
と、
「えーと、ね。……私もアッシュにプレゼントしたいものがあるの」
え? 俺に?
「うん、これを」
手渡された包装を開けてみる。
そこにあったのは緋色のネクタイ。
「アッシュのネクタイ。ずっと同じだったから。これなら、私の婚約指輪とお揃いになるかなって。えへへ」
照れながら自身の頬をかくレイチェルの指に輝くのは紅玉石の指輪。それはネクタイの緋色と同じ色合いだった。
身も心も温まった俺たちは互いに手を繋ぎながら辻馬車に揺られ続ける。
すっかり暗くなった夜の闇を辻馬車はランタンで道を照らしながら駆けていく。
遅い時間だからなのか、他にはもう客は居ない。
今日は朝からずっとレイチェルと一緒だった。すぐ隣にはレイチェルが常にいた。
どんなデートだって良い。
レイチェルが傍で微笑んでくれるなら。
「アッシュ……今日は明日になるまでアッシュと一緒に居たい……」
俺の肩に頭を預け、レイチェルが囁く。
ああ、そうだな。
俺もだ。
ふと、二人の視線が絡み合う。
無言のまま、その頬に手を添えた。
レイチェルはゆっくりと瞳を閉じる。
俺は……その桜色の唇にそっと口付ける。
「ん……」
ふわりと広がる、出汁の味。
ちょっと笑いそうになるけれど、こんないつもが俺たちには丁度いい。
「……オデンの味がする」
くすっと笑うレイチェルの唇に、もう一度、そっとキスをする。
そんな変わったキスを繰り返す俺たちを乗せて、辻馬車は自宅のある郊外へと駆けていくのだった。
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