最終章30章『其はエピローグ的未来な現在』
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あれから2週間が過ぎた。
俺は元の図書館司書としていつもの日常に戻っていた。
冬の日差しの中、誰もいない図書館はただただ静かに時が過ぎていく。
手元の新聞を広げてみる。そこに書かれていたのは市長選後に行われた市民投票の結果についての記事。
ほとんどの市民が投票したその結果、クリフトンの罷免となった。
で、誰が市長になるねん、てことなんだが元市長のジーグムントも自身の罪を自供(まぁ、アイツの場合は『ギアス』に支配されてたという事情があるのだが)、成り手がいないため今のところ、副市長だったヒルダ・ガイウスというオバさんが市長代理をすることに。
で、その結果についてのコメントが色々と書かれているが、その中には市長選の選挙権と違って老若男女問わない全市民の投票というのが市長選の結果との違いになったのでは、とも。
これを機に、市民全体への選挙権拡大の必要性を話し合うべき……とな。
ふむふむ……お?
この一番、スミにある記事、トッドの担当じゃないか。なになに?
『市民投票は我々に大きな影響を与えた。何よりも我々市民に正しい道を示したサファナ判事、英雄バル・ライトイヤー、そして憲兵隊分隊長のユークリッド中尉。彼らはその前のアルサルトの裁判でも活躍を見せた。彼らのような若者がこのクロノクル市を導いてくれることを期待したい』
まー、そうだわな。
世間では、この3人の活躍で盛り上がっている。
バルはこの件で更に連日、取材を受けるようになっていた。今日も今日とて、あまりに記者が来るものだから仕方なく俺が代わりに図書館に居残って、ヤツは大広場で取材を受けている。この寒空によーやるよ。
そういや、『バルスタア団』の子供達も自由に学校に行けるようになって大半が行くことになったらしい。さっきのヒルダさんってのが元校長だったらしく、教育には熱心で孤児の皆が学校に行けないのはダメだ、とバルに直接言いに来てくれたのだ。
しかし、リアンは兎も角、キケセラまでが中学に通うことを決めたのはびっくりだ。何やら学生に憧れがあったらしい。
ミゼルは『えー! 勉強なんか嫌じゃん』と全拒否だったが。イワンの意向は不明。行きたいとも行きたくないとも言わず。
肝心のバルだが、何やら翌月の年明けにある100人評議員選挙に立候補する、と息巻いておる。
“遂に、僕がこの町の政治を動かすのだなー! 目指すは貧民窟のリゾート化計画なのだー!”
いやいや、リゾート化の前にまずやることがあるんじゃないのか? と言ったのだが、あまり聞き入れた様子はない。まぁ、放っておこう。
しかし、あのバルが議員になる。全くイメージがつかんな。あの口調で、どう演説する気なんだろう。
そして、ユリウス。
今回の事件を経て、中尉に昇級したらしい。それで何が変わるのかは俺にはわからんが。
更には憲兵隊副長という大隊長に次ぐ役職にもなって毎日忙しくしてるらしい。
お陰であまり顔を合わせずに済んでるのは俺の精神衛生的にも宜しいことであり……ちょいとつまらんかな、全く見ないのは。
この前、チラッと会った時には、このクロノクル市の各所に『交番』なる小さな憲兵隊の詰め所的なモノを配置して、それこそ迷子やちょっとした事件でも憲兵が対応できるようにするんだとさ。
『バルスタア団』の子供達とも良く話すようになってるから、自分が彼らに出来ることを、と考えてのことなんだろう。
傍の写真立てを見る。
そこに写るのはセレスさんやワルターさん含めレイチェルや俺たち皆が汽車の前で撮った記念写真だ。
セレスさんが中央で、左隣に俺の右腕を掴む。で、反対側のレイチェルが俺の左腕に腕を回してジッと睨んでいる。何故か俺たち3人から他の皆は少し間を空けてる不思議な集合写真。
セレスさん達、聖教ソリスト教国の特使は3日前、汽車で帰国することに。
その出発の挨拶に俺たちが立ち寄った時に記者のトッドに撮影してもらったのだ。
“また、今度は私の祖国、ソリスト教国に来てね。歓迎するわ!”
そう俺たちに話した後、俺の耳元で、
“特にアッシュ君なら移住してくれてもいいんだから”
と言って、レイチェルが怒って無理やり引き離すなどのエピソードもあったのだが。
今頃、無事に祖国の聖教ソリスト教国に着いているんだろうか。大体、汽車で3日って言ってたしな。
で、レイチェル。俺の婚約者。
彼女が、今回の事件で最も劇的にこれまでと変わってしまったことになる。
何せ、市長選直後の演説で市長やクリフトンの悪事を明かし、市民投票を呼び掛けクリフトンを罷免に追い込んだ。
まさしく、クロノクル市のヒロインだ。
当初は今度の市長選立候補を、という話もあったのだが、レイチェル自身が頑なに断ったためそちらは流れた。
そもそもまだ女性では選挙権がもらえる年齢でもなかったはずだしな。
外務大臣であるクリフトンが逮捕勾留となった為、レイチェルが外務副大臣に急遽指名。これはレイチェル自身が、オフィエル達、『ギアス』の被害者の祖国に贖罪の行脚をする、と言っていたこともあり断れず、そのまま受けることとなったのだ。
以来、もう毎日、朝から晩まで山のような書類と仕事に追われているらしいが。
それを嬉々としてこなすレイチェルは、やはり俺とは違って生粋の天才少女だ。
「ふー」
窓から見える時計塔の時刻は16:20。
いつもの如く、早目の図書館仕舞いを始める。
テーブル前に回って掲げられた札をひっくり返して『本日は終了しました』に変える。バルもいないんで一人だから仕方ないんだよ、と言い訳しつつ。
何も起こらない、ただ流れる日常。
だが、俺はこの日常がどれだけ貴重で大切なものなのか、それを知っている。
「あ、アッシュ!」
そこにやって来たのは我が婚約者たるレイチェル。
いつもの黒の法服姿に左眼に度のないモノクルをかけ、自作のネックレスをつけている。
その左手に輝くのは紅玉石の婚約指輪。
「えへへ、今日は何とか早目に仕事を終わらせて来たの。一緒に帰らない?」
「ああ、そうだな。俺もちょうど締めるところだったし」
「ふふ、相変わらずね、アッシュは。勤労意欲がなーい」
ほっとけ。俺が怠惰大好きなのは知っとるだろーに。
だが、レイチェルは注意した割にそれを咎める素振りはなく、むしろ、早く帰ろうと促してくる。
「だって、少しでもアッシュと一緒に居たいんだもん」
レイチェル……。
少し恥ずかしそうにモジモジしながらレイチェルは俺の胸に飛び込んでくる。そして、その腕を背中にギュッと回して抱きしめる。
「うん……うん! アッシュとこうしていられるのが本当に幸せなの」
それは俺のセリフだ、レイチェル。
その白い顎を指で摘んで上向ける。
「あ、誰かに見られたら……」
大丈夫。今日だって誰も来なかった。
「もう……でも、私も同じ気持ち、だから……」
そっと口付ける。
そして、しばらく互いに抱きしめたまま、少しして離れる。
「今夜はまたアッシュの部屋で晩御飯、一緒していいかな?」
ああ、良いぞ。
「今日はママがピザを焼いてくれるって言ってたわ」
サファナおばさんのピザか。あれも絶品なんだよなぁ。それ聞くと、もうお腹が鳴りそうだわ。
俺たち二人は辻馬車で郊外の自宅へと向かう。
「そう言えば、年明けにオフィエルさん達の祖国に順に回ることになったの。大半は汽車を使うことになるんだけどね」
諸国行脚、か。それは中々に大変そうだな。
「でね……良かったらアッシュも、一緒にどうかな? 今なら私の秘書的な形でいけるみたい」
レイチェルと諸国巡り、か。
俺は、この町、クロノクル市から出たことがない。今まで出ようと思ったこともない。
昔の俺なら、面倒だと言って断っていたはずだ。でも、今は違う。
俺の最愛の彼女となら。
「え! 良いの!? うん、ありがと。アッシュ! 一緒に海外に行くの、とても楽しみ!」
そうだな、楽しみだ。
レイチェルと一緒なら。
ああ、何気ない日常。
二人の日々。
これからも一緒に守り続けよう、レイチェル。
過去でもない、未来でもない、この愛すべき『今』を。
レイチェルが居ればそれは必ず叶うのだから。
〈完〉
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