29章②『誰が為にリンギングな鐘の音か』
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どよめきが起こった。
いや、当選発表直後のお祝いムードの中で真っ正面からクリフトンと闘う気なのか、レイチェルは!? 無茶な!? 勝算はあるのかよ!?
「ええ、これがレイチェルさんの作戦よ」
隣でセレスさんが頷く。そして、『刻の揺らぎ』にて過去と現在を知る彼女が俺にこの間のことを手早く説明してくれる。
——なるほど。
やはり、レイチェルはクリフトン教授が俺を罠に掛けようとした手紙の下書きからその正体に気付き、全ての襲撃の機会をバルやユリウスと阻止、逆に反撃を狙っていたわけか。
「……でも、レイチェルさんにも気づけていない事実もあるわ」
ああ。例えばアルサルトの船内に潜む黒マントども。このままではここが危険になる可能性もある。
その俺の言葉にセレスさんは真剣な顔つきで頷く。
そうか、『刻の揺らぎ』でそれに気付いたセレスさんはそのことを伝えるためにこの群衆の中、俺を探し出したのか。
考えろ、アッシュ。
今ある状況、これまでの過去、全てを観察し、分析し、推定するのだ!
ここで、全てを終わらせてやる!
ここからは全てを使ってやる!
一筋の道筋が俺の中に形作られる。
「アシュ兄ちゃん、アイツがこっちに行くように、て言ってたわ」
「オイラもボスが兄ちゃんのとこへって」
人混みの中、俺の元へ合流してきたのはキケセラとミゼル。
分かってるじゃないか、バルもユリウスも。
よし!
「セレスさん、ワルターさんに言伝を」
「ええ、任せて」
さあ、ここからはタイミングを間違えるな!
俺が僅かの時間考え込んでる間に、壇上のレイチェルとクリフトンの討論は加熱を帯びていた。
「これがクリフトン外務大臣とカルタ帝国の間で結ばれた密約よ! 児童奴隷売買の密約と特殊部隊によるスパイ行為。全てアルサルトが持っていたものよ。あなたは、この国の子供を売り渡していた……それも何年も前から!」
「フッ、ただの捏造だな。それが本物だと言うならここではなく正式に法廷で鑑別して貰えば良いではないか」
「……市長となったあなたなら法廷での証拠も揉み消そうとするでしょうね。先日、ジーグムント市長を使って私を陥れようとしたように」
「ハハハ! レイチェル君はあの事件も私のせいにするのかね? あれは明確にジーク君の仕業であろうに。何より私も被害者であったはずだがな」
「いいえ。クリフトン先生。あなたが、これまで市長の影に隠れて指示を出していた事はもう分かっているわ」
「何を根拠にそんな世迷言を言うのか教えて欲しいものだな」
「ええ。今、それを証言してくれる人が来るわ」
そう言って、レイチェルは背後を振り返る。
額に巻かれた包帯にまだ血を滲ませながらよろよろと歩む、その男は——ジーグムント!
その肩を抱いて隣で支える大男は……あれはウォルフガング近衛連隊長か!?
「うぅ……オレは……ジーグムント・ガイウス。クリフトン、貴様がオレを支配し続けたのだ。全ての命令は貴様が……『ギアス』でオレを操って……」
お、おい。アレは……ジーグムントの『ギアス』の枷を解き放ったのか!? しかも、近衛連隊長の協力まで手に入れるとは。
だが、これは通じない。
「ジーグムント君か! 何を言い出すと思えば。『ギアス』とは一体なんだね? それよりもこれでレイチェル君の発言がガイウス派の捏造である事が判明したようであるな!」
“やはりただのやっかみなんじゃないか!?”
“ガイウス派と通じてたってことか”
ヤツの言葉に押されて野次馬たちが勝手な事を言い始める。
一度、疑い始めた民衆はその言葉の刃をレイチェルに向け始める。
レイチェルがチラッと、この群衆の中、俺を見た。
“ああ。今がそのタイミングだ”
“ええ、わかったわ。じゃあ、やるわよ”
その視線だけで俺たちは互いを理解し合う。
ミゼルにあの鍵を渡し、そっと背中を押す。
「もう一つ、私はここに集まったクロノクル市民に話したい事があります。それはこの町の秘密、私たちのこの美しい祖国の大罪を」
“何を言い出すんだ”
“この嘘つき女が”
バルやユリウスが前に出て、群衆への盾となっているが、あの罵倒の飛び交う中で居続けるのはとてつもないプレッシャーのはず。
だが、そんな中でもレイチェルは毅然とその胸を張り続けていた。
「私たちは知らなければならない。この国が好きだからこそ。私たちの祖先が犯してしまった原罪を。そして、今なお続く悲劇を!」
ああ、そうだ。だから——行け、ミゼル! キケセラ!
「これが、時を越えて初代ガイウスが私たちに残した贖いの記録よ!」
レイチェルはその右手を上に掲げる。
それと同時に、
ガラガラガラ……
大きな音を立てて時計塔の四面の壁、そのレンガが崩れていくのだった。
——あの時に見たイメージと同じく。
よし、ミゼルが例の仕掛けを起動させてくれたんだな。
次々と剥がれ落ちていくレンガ。
その下に新たに現れた壁面に刻まれているのは。
初代ガイウスによって、あの懺悔録に記された、この町の成り立ちとギアスによる犯罪の証。
30人にものぼる『天使似』達、全員の名前とその生涯。
その筆頭に挙げられた名前は、オフィエル・クランシス。
「そう、これが私たちの町が犯した大罪。そして、現在もまだ続く犯罪の証!」
突然の出来事に畏れる市民に向け、レイチェルはその小さな身体で負けないように声を張り上げる。
その時だった。
《ウフフ……》
《アハハ……》
脳裏に響くその笑い声は……!?
《そう、僕たちはその身をギアスに奪われた……》
《この町の犠牲として……》
《初代ガイウスの手で、命も、自分自身という意識すら……》
《お前達の“現在”は、僕たちの死を積み上げた上にある……》
ああ、まるで『刻戻り』の時のように全てが灰色と染まり切り、彼ら、少年少女達は宙にその姿を現していた。
誰もが、声も出せない。動くことすら。この静止した世界で、俺たちは見せられる。
幼いオフィエルが初代ガイウスの手によってギアスの仮面を被せられ、その全てを失う様を。何人も何人も……ギアスで意思の光を刈り取られ、擦り切れるようにその命を失う様を。
その中で、あれは……クリフトン? まだ若いヤツがギアスの仮面を取り出し、顔に押さえつけるのは……隻眼の少年……幼いシクルド!?
いや、それだけでは無い。他にも何人も何人もクリフトンが仮面を子供に掛けさせ、ギアスでその自我を塗りつぶしていく。
そんな映像を俺たちは声を出すことも手足を動かすことさえできない中、延々と見させられ続ける。
最後に、クリフトンが仮面を掛けさせたその子供は……あれは小さい頃のジーグムント!?
《かつての罪、怨讐の元……》
《封印されし災禍を再び、呼び覚すのか……》
《それが、その町の、君たちの総意というのか……》
《それとも別の道もまた……選ぶが良い……滅びか贖いの道を……》
《僕たちの憎しみを知ってなお贖うというのなら……》
《……………………》
最後の言葉はよく聞き取れなかった。ただ、なんとなく俺は、彼らが……恨みでしか存在できなかった彼らが、微笑んだような気がした。
気のせいかもしれないが。
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