29章①『誰が為にリンギングな鐘の音か』
***29-1
ああ……オフィエル達、お前たちが、俺たちに希望をくれたのだな……。
この『刻戻り』の力を。
《君が守った、この世界……》
《友を、仲間を、想い人を……》
《我々の想いすらも、君は背負い、全てを守った……》
《その全てが込められたこの町を……》
《絆を結ぶ者、君がその全てを……》
《なればこそ。過去を超え、未来を示せ……僕らの怒りと憎しみさえも超えて……》
——その為になら……罪を贖うというならば……僕らもまた、その選択を……手伝おう……
そうか……お前たちは……お前たちも、救われたかったのだな。ともに。
なら、お前たちも……俺たちの仲間だ。
行こう。オフィエル、そしてシクルドよ……。
ここは——。
気がつくと、そこは騒然とした人混みの中だった。もう、日も暮れて今年最後の月に差し掛かるちょうど前日。寒さが沁みてくる季節にも関わらず、超満員の人達で広場が埋め尽くされる。
そして、俺はその中で、もみくちゃにされそうな中、隣の彼女を身体を張って支えていた。
隣の彼女——?
ふと、視線が隣に。
そこに居たのは——レイチェル!!
「レイチェル! レイチェル! ——ッ!!」
ああ!
いつもの笑顔で、そのモノクルで、俺の顔をジッと見つめ、微笑んでくれている!
俺は……この、彼女の笑顔を守るために。そのために!
レイチェルは——そして、俺たちの町は、クロノクル市は救われたんだッ!!
「あ、アッシュ、いきなり大声でどうしたのよ? ちょ、ちょっと……もしかして、『刻戻り』を使ったの!?」
急に抱きしめ、啜り泣く俺の様子に驚くレイチェルだったが、すぐに状況を覚る。
そうだ。俺は『刻戻り』でようやくレイチェル、お前を守れたんだ。
苦しかった。寂しかった。……もう会えなくなるんじゃないかと、怖かった。
恐怖だった。
でも、レイチェルが今、俺の隣にいる。俺を抱きしめ返してくれる!
こんなに幸せなことはない……。
「うん……アッシュ、ありがと。私のために、いっぱい……そう、本当にいっぱい頑張ってくれたのね。……わかるわよ、幼馴染みなんだから。アッシュが一生懸命、ひたむきに頑張ってたことなんて」
ああ、そうだ。この笑顔を取り戻すために俺は全てを賭けた。
レイチェル……。俺の大事な人。
「ふふ、もうこんな所で泣かないでよ……でも、アッシュの想い。すっごく嬉しい。だから……」
そう言って、レイチェルは目を瞑り、そっと上向きに唇を尖らす。
え!? お、おい、こんな所でって、お前が言い始めたんじゃないのか!? ……良いのか?
コクン、と頷くレイチェル。
「お願い、アッシュの勇気を私に分けて欲しいの。……ね?」
わかった。
周りの人混みのことなど、俺たちにはもう関係がなかった。
そっと、頬に手を触れ、その桜色の唇に口付ける。
甘い吐息。
風に晒され冷たくなった唇を割ると、その奥の舌が熱を持って絡む。
しばし、互いに口付けた後、どちらからともなく顔を離す。
「えへへっ。勇気、もらった。ありがと、アッシュ」
あ、ああ。
「うん、これで私も頑張るね。——応援、お願いね」
頑張る? 応援?
今から何をする気なのだ!?
と、それを問う前に群衆の前の方で大きなどよめきが起こる。
『選挙結果が出ました! 結果は大差でクリフトン現外務大臣が市長当選です!』
同時に巻き起こる歓声と拍手の嵐。
そ、そうか!
懐中時計の時刻は19:45。
18:00で締め切られた市長選の結果が、今、この中心街の大広場で発表されたのだ。
恐らく、この時間軸ではクリフトンは俺への襲撃チャンスが見つけられなかったのだろう。その代わり、選挙は問題なく実施され、下馬評通り、ジーグムントを退け、ヤツが市長に当選してしまったのだ!
アイツが、結局はこの国の長になってしまう!
ダメだ!
このままでは『ギアス』を持つクリフトンが、クロノクル市国の元首となって世界に……。
それを阻止するのが俺とオフィエル達との契約だったはず!
止めるんだ。
だが、どうすればいい!? どうすれば……。
「大丈夫、アッシュ。今度は私に皆を守らせて」
これからの策を練ろうとする俺の隣で、レイチェルはフッと微笑み、その視線の先を促す。
人混みの中、そこに居たのはバルとユリウス。
どうしようと言うのだ?
そもそも、レイチェルはあのクリフトン教授のことを……その正体を知っているのか!?
「言ったでしょ! 私を信じて」
そう断言したレイチェルのモノクルの奥の瞳は自信で溢れていた。
それはあのいつもの強気なレイチェル。天才少女の姿だった。
そのまま、バルを先導に人の波を割って進んでいく。
何をする気かわかってない俺はその場に取り残されるのだが……
「フフーン、こんな公衆の面前であんなイチャラブ、良くするわよねー、アッシュ君もレイチェルさんも」
のわっ! そんな背後から急に現れないで下さいよ、セレスさん。びっくりするじゃないですか。
……え? セレスさん?
「ううん……この、いつものアッシュ君が、レイチェルさんが戻ってきたんだなって。そう思えて、ね。ほんと、全てを救ってしまうんだもの。キミは救国の英雄よ、アッシュ君」
それは、セレスさんにしては珍しく涙ぐむ姿だった。
そうか……セレスさんは『刻の揺らぎ』で全てを知ってるから。
この町が内乱状態になったことも、俺たちが皆、倒れていった姿も。そして、俺を身を挺して守ってくれたことも。
ありがとう、セレスさん。
「だからって、こんな外で。しかも、私の目の前でキスするなんて許さないわよ。あんな、でぃーぷなヤツ!」
痛た! 痛いっす、セレスさん! ほっぺたつねらんで下さいよ。
「ほら、そんな馬鹿なことしてずに。キミの婚約者が、遂にやってのけるわよ」
いや、馬鹿なことしてたのはセレスさんですやん……。
と、文句を言いそうになったが、その前に俺の視界に入ったのは大広場中央の壇上、市長当選に市民からの祝福を受けているクリフトン教授の横に颯爽と駆け上がるレイチェル。
彼女は隣にバルとユリウスを引き連れると、広場に集うクロノクル市民、そして目の前のクリフトン教授達に対峙する。
「皆さん、聞いてください。大事な話です。私の名前はレイチェル・サファナ。この町の判事です」
“レイチェル・サファナ”
“聴いたことあるぞ”
“確か、最年少の女性判事だったか?”
“この前の裁判で活躍した娘じゃないの?”
“隣にいるのは、英雄、バル・ライトイヤーさんじゃないか!?”
“あの騎士さん、分隊長じゃなかったかしら”
様々な憶測が、人の口から騒めきのようにこぼれ落ちる。
「ほぉ……レイチェル君、わざわざ私の市長当選を祝いに、いの一番に来てくれたわけじゃな。これはこれは、上司思いの愛弟子を持って私も幸せなものであるな」
心にも無いであろうセリフを語りながら、クリフトンは油断なくレイチェルを見据える。
彼女が、これから何をしようと言うのかを見破ろうとするかの如く。つまり、これはヤツの予想にはない行動、ということか。
「いえ、せっかくですが、それは違いますクリフトン先生。今から私が話すのはあなたの犯罪と悪事の数々。あなたが行おうとする政治は市民のためではなく、支配のためのもの! 民主主義にあらざるその考え……それを今から証明してみせる!」
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