妹の決意と姉の生姜焼き
時間は進み、夕飯時の山本家。
キッチンではエプロン姿のアカーシャが立ち、小柄な体格を生かしたアクロバットな調理を繰り広げていた。
食材は宙に舞い、アカーシャ本人も包丁片手に宙を舞う。
それはさながら、キッチンに降りったプリマ・バレリーナ。
「ふーんふん♪ 愛するぅ〜♪ 旦那様のためぇにぃ〜! 美味しいご飯になるのだ〜!」
などと、斜め上のセンスを漂わせる鼻歌のおまけつきなので、プリマドンナ兼プリマ・バレリーナといったところだろうか。
そんな表現者アカーシャがフライパンを揺する度に、室内には香ばしい肉の匂いと、生姜の食欲をそそる爽やかな香りが漂う。
今日の献立は残暑が厳しく、食欲が低下しやすい、この時期にピッタリな献立、生姜焼きだ。
気分が乗っている時、奇声を上げたり、包丁を振り回したり、色々と突拍子もない行動に出るが。
このヴァンパイア、料理の腕だけなら、とんでもなく向上しているのだ。
つまりは、山本家のコック長でもあるということ。
その数多なる肩書を得たアカーシャをよそに、千恵子はソファーで寛ぎ、その右隣にアラクネがちょこんと座っていた。
(止めるのはやめとこ……なんだか楽しそうだし)
キッチンで動き回るアカーシャを前に、千恵子は生ぬるーい視線を向ける。
すると、その袖をアラクネがクイクイと引っ張った。
「ちえちえさん、あの……聞いていますか?」
「あ、ごめんごめん! 学校だっけ?」
アラクネは学校に興味があるらしく、一体いつ手に入れたのか、近所にある小学校のパンフレットをその手に持っていた。
「はい、だめ……ですか?」
そういうと握ったパンフレットを、そっと差し出して千恵子をじっと見つめた。
対して、千恵子はその気持ちを理解しつつも、一抹の不安を抱えていた。
「うーん」
(きっと、触発されたって感じだよね……)
アカーシャにフリーディア、そしてキルケー。
近しい存在が少しずつ、でも確実に馴染み、自分の居場所を見つけつつある。
アラクネも、もちろん、馴染もうとはしている。
アカーシャが買い物に行くときは必ず付き添うし、千恵子が傘を忘れた時は、電車を乗り継ぎ、職場まで届けたこともある。
家の中においても、その卓越した裁縫スキル、糸を生み出す能力を駆使して、穴の開いた衣服の修繕、千恵子とアカーシャが好む洋服を新たに作り出すといったことをこなしていた。
けれど、それは千恵子とアカーシャがいてこそ。
(一人で大丈夫かな……?)
ただでさえ重い過去を抱えている。
人間にも人外にも差別を受けてきた。
だからこそ、学校に行くことは果たして、アラクネにとってプラスになるのか。
行った時点で、自ら人間とコミュニティを築かないといけない。
それはあまりにも――。
(難しいよね……)
通ってみないとわからないが、今と変わることは確実で、難しい問題。
それは自分が通ってきた道だからこそ、知り尽くしている。
(どう返事しよう……)
千恵子が返事をしないまま、腕を組み唸っていると、キッチンからアカーシャが声を掛けてきた。
「何を悩んでいるのだ? アラクネが行きたいと言っているなら、行かせればよいではないか? まぁ……旦那様の事情が絡んでくるのなら、また話は変わってくるかも知れぬが」
こちらへ視線を向けながらも、焼けた生姜焼きをお皿に盛り、キャベツをノールックで千切りにしている。
まな板はノールックだが、アラクネの、妹のことはよく見ているわりと出来た姉である。
そんな出来た姉からの鶴の一声を受けたことで、千恵子は自身の中にあった不安は取り除かれる。
「確かに……」
(……平日にしないといけない手続きとかあるかもだけど、ラクネちゃんが勇気を出して、自分のしたいことを言ってくれたわけだし……)
とはいえ、フルタイム社畜の自分に休みが取れるのか、そして今後起こり得るかも知れないイベント(参観日、運動会など)を保護者として、責任を持って参加できるのか――。
(そもそも、何か問題とか起こさないかな?)
信用していないわけではない。
されど、アラクネの中にどれほどのトラウマがあるのか、それを完全に把握しているわけではないのだ。
(いや、出逢った時のアカーシャとは違って、人間を絶対的に下って見ていないっぽいし、大丈夫かなー)
「うーん……」
自由奔放の振る舞う姉アカーシャと、この世界に訪れた人外の癒し枠となっている妹アラクネ……その二人から考えて……千恵子が出した答えは――。




