【幕間】夜の国 王城にて
そこは、かつて“夜の王”と呼ばれた少女が治めていた場所。
ヴァンパイアを頂点としたさまざまな人外が住まう夜の国。
夜空には満月が輝き、若草の生える丘では、掌ほどの妖精たちが、光の粒のように宙を舞っていた。
真っ白な壁も、朱色の屋根も、月明かりに照らされて別の表情を見せる。
それはまるで星空を漂う国――王城、ブラン城。
その中心、厳かな雰囲気に包まれた謁見の間にて。
豪奢なシャンデリア、質の高い真紅の絨毯が敷かれており、中央には王が鎮座し、右側には宰相ほか、内政を担当する者たちが。
左側には、王国軍隊長を筆頭に軍部を取りまとめる者たちが控えていた。
「――でだ……お前たちの考えはどうなんだ?」
低く威厳のある声で、臣下たちに尋ねるは、アカーシャの不在により、再び王座に就いたのは前王ウラドであった。
この日話し合われていたのは、三つ。
一つ、戦死とされながらも遺体の見つからないアカーシャ。
一つ、忽然と姿を消したアラクネ。
そして最後の一つは、再び侵攻を始めた人間たちの存在だった。
(どういう考えを持っておるのか……いや、愚問だな)
自身の前で頭を垂れる臣下たちの表情は、芳しくない。
幼い頃から、国のために、戦火に身を晒し、遠征にも積極的に参加していた――強き王、アカーシャ。
彼女は身分や種族に隔たりを設けず、清らかな心で国を導いてきた気高き王でもあった。
そんなアカーシャの不在は、国民だけでなく、間違いなく臣下の士気すら削いでいた。
それは父であるウラドも同じ。
それでも、ウラドは王として気丈に振る舞ったのだ。
だが、誰かが何かを言おうとしながらも、口をつぐみ本音を語ろうとしなかった。
☆☆☆
静寂に包まれる謁見の間。
すると、右側に控えていた白銀の鎧を纏った騎士が声を上げて、
「陛下……王国軍を預かる者、並びにランスロット家の当主として、発言の許可を――」
ウラドの前に足を進めた。
そして一礼すると、片膝を着き臣下の礼をした。
(レオンか……)
騎士の正体は、背中に薄い羽を生やした妖精族で、王族に忠誠を誓った貴族、ランスロット家当主。
そしてフリーディアの父でもある、王国軍総指揮するレオン・ランスロットだ。
「ああ、許可する」
ウラドが手を挙げると立ち上がり、落ち着いた口調で語り始めた。
「許可頂きありがとうございます……まず軍と致しまして、攻めあぐねている愚かな人間たちは放置してもいいかという結論に至りました」
「……それはなぜだ?」
「はっ! それはアカーシャ様の活躍もあり、我が軍の損害は軽微だったからです」
「しかし、そのアカーシャは……戦死したというのに、遺体すら確認できていないのだぞ? それだけではない! この堅牢なる城に何者かの侵入を許し、結果……アラクネまでもが姿を消したのだ!」
思いの丈を言い放つと、
「私が愚かであった!」
(“まだ見守るべきだった”のに譲位し、娘に全てを任せた……この私が……!)
そんな本音を胸の内で吐露するとダン! と王座を叩いた。
その表情、言葉にならない声には――。
人間の血を引くアラクネに辛くあたった己の未熟さへの悔いと、人間を危険視せず、餌以下と見ていた甘さへの苛立ちが滲んでいた。
数百年も経てば、友好など忘れてしまう――それが、人間という種族なのだ。
そんな愚かさを、その種族自体を、滅ぼしたいと思ってしまう自分がいる。
しかし、一時の感情に身を任すわけにもいかない。
ウラドの一声で数百万人の民が戦火に巻き込まれる可能性があるからだ。
ならば、国王として振る舞わなければいけない。
その上、
「……すまぬ。ランスロット卿。お主の娘も行方をくらましたのであったな……」
そう、レオンの娘であるフリーディアもまた、アカーシャの死を聞いて間もなく、何も言わず姿を消した……まるで何かを探すように。
「我が娘も、そうだった……アカーシャが、最期に何を想ったのか……私は、何一つ……アラクネもきっと私を恨んでいることだろう」
「殿下……お気持ちは察します……ですが、これを見てください」
レオンはそういうと、人差し指ほどの長さの細い繊維のような物を差し出した。
ウラドはそれを手に取り、吟味する。
「ん? なんだこれは――」
(木? いや、草か……?)
どこかで見たことのあるような、カラカラ乾いた枯れ草のような物。
(知っている気はするが――)
思案しようともなかなか答えが浮かばない。
すると、その表情になにかを感じ取ったのは、レオンが口を開いた。
「魔女キルケーが使う魔法箒の一部かと……」
魔女キルケー、幼少期のアカーシャに師事し、アラクネとも面識がある、数少ない人物――あのキルケーである。
「ほう……そういうことか……あの変わり者か!」
彼女の持つ転移の扉は、城の近くに通じている物があり、以前、アカーシャたちの近くに現れ、アラクネに姿を変える薬などを処方していた――。
それだけではない。
さまざま知識、魔法を使うことに長けた魔女キルケーなら、半要塞と化した王城にも難なく侵入できるだろう。
「あやつめ! 恩を仇で返すとは……」
渦巻くは言葉に言い表せない気持ち。
神に見捨てられた彼女に、かつて自分が救いの手を差し出したのは――ただの情けだったのか、それとも……。
(情け? いや、違うな……私は、お前が願ったから耳をを傾けただけだ)
そう、自分の大切な存在であった魔女”アリス”の、その願いを聞き入れてあてがった。
(しかし、アリスよ……お前が最期に願ったことが、まさかのこんなことを招くとは――)
愛していた。
だから、聞いた。
人間である自分には”娘”を育てる時間は足りない。と落ち込み、でも、眷属になる選択もしないという変わり者だった妻アリスの願いを。
自分の代わりに娘を育てる者を、自らが育てるという理解の及ばないことを。
(ああ……愛しき、アリスよ……私には、なにが正しかったのか、もはやよくわからない……娘たちを誑かしたキルケーを処断するべきなのか――)
かなしみと後悔、そして怒りにも似た感情がふつふつとわいてくる。
自然と唇を噛み切ってしまい、口元に血が滲む。
「殿下、魔女への処罰はのちに。今はこれがどういう可能性を現しているのかということです」
「うむ……しかしだな……」
「殿下、私の全てを持ってして、これ以上、好き勝手はさせませんと誓います! ですので、どうか怒りを鎮めて下さい!」
「まったく……私の鼻が曲がるほど情に流されちゃって……これだから、お熱い騎士様は苦手なんですよね……」
などと、嫌味を言うのは宰相である女人狼、サンテリ・クラストル。
女傑でやり手ではあるが、レオン相手だと、どうしても小言を口にしてしまう曲者だ。
それはランスロット家と同じように、遥か昔から王家に忠誠を誓う貴族ということが関係していた。
いわゆるライバルという感じである。
「いやはや、クラストル嬢からお褒めをいただけるとは、明日は血の雨でも降りましょうか?」
「フンッ! 嬢と呼ばないでもらえる?」
「小競り合いなどやめよ! しかし……キルケーにフリーディア、アラクネ。全員がアカーシャと仲が良かった。そうか! 転移魔法を使いどこかに生き長らえている可能性があるということか。だが……この現状を生んだのは人間なのも確か」
「私も、人間を……許すことなど、到底できません。……けれど、それでも――」
「わかっておる……まずはアカーシャたちが何処に行ったのかを調べねばならぬということだろう?」
「はい、そうですね」
「……ランスロット卿よ、礼を言う。お主のおかげで気を落ち着かせることができた」
「はっ、勿体なきお言葉です」
「皆のもの! 話は聞いていたな? ただちにアカーシャ、並びに姿を消した者たちの行方を突き止めよ!」
「「「ははー!」」」
こうして、静かに幕は上がった。
消えた王たちを追う、新たな探索の幕が――。
――無論、この動きを、アカーシャも、ましてや千恵子など知る由もなかった。




