つ、月が綺麗ですね!
最後のお休みはあっという間に過ぎゆき、水平線には夕日が沈みかけていた。
友達や恋人、それに家族連れ、夏を満喫しに来ていた人たちで賑わっていたビーチには、片付けをしている人がチラホラ見受けられるのみで、さざ波の音が際立つ。
そんな少し寂しさが漂う真夏のビーチに、ようやく二人っきりになった千恵子とアカーシャがいた。
二人は横並びに座り、ただ静かに真紅に染まった海を眺めて無言を貫く。
ちなみに、もうおわかりだろうが、このシュチュエーション、偶然に発生したイベントではない。
アカーシャの気持ち、千恵子の気持ちを察した周囲の生暖かい配慮の上、成り立ったものである。
つまりは、忖度、実に優しい忖度なのだ。
(ど、ど、どうしたらいいのだ! 何を言えばいいのだ?!)
家の中での沈黙なら、問題ない。
リビングに千恵子が居て、その膝の上にアラクネが座っている。
お互いに話したい時、何気ない話題を持ち出して会話する。その間の沈黙を意識するなんて最近ではなかった。
だというのに――。
(二人っきりって、こ、こんなに緊張したか?! ベッドで寝てた時、ここまで緊張しなかったぞ?!)
トクントクンと高鳴る鼓動。
出逢った頃、惚れ薬を断り、お互いの気持ちを確かめ合った(アカーシャの考えでは)日でも、ここまで胸が熱くなることはなかった。
左隣に座る千恵子の顔すら見られない。
”恩”から始まって、ようやく”恋”という物を実感したアカーシャである。
なんか色々と順序おかしくね? という気がしないでもないが、とにかくそれがアカーシャなのだ。
(し、しかし……これは我が望んだことだ……それに、あやつらが気を利かしてくれたからこそだしな……ここはどうにかして生かさねば!!!)
意を決したアカーシャは、自らの気持ちを伝えるべく、深く息を吸い込んで――。
震える唇、紅潮する頬。
「つ――」
言葉がつっかえたが――。
(ええい! 我は王! 夜の国の王なのだ! 怖気づくでない!)
などと自らを鼓舞すると、小さく、でも確かな覚悟で口を開いた。
「つ、月が綺麗ですね!」
「ふふっ、あははー! それを言うなら夕日でしょ?」
お腹を抱えて大笑いする千恵子。
対して、アカーシャはショックを受けていた。
「ムウ、そんなに笑わなくてもいいではないか! 我は……ちゃんと伝えようとして言葉にしたのだぞ?」
(なんだか、我ばかりな気がするのだ……旦那様の気持ちを聞きたいだけなのに……)
思いを寄せられることに慣れていないこと、性別に拘っていること。それも知っているから、どう伝えたらいいのか――それを真剣に悩み考えた。
だから、意味がおかしくても、使い方が間違っていても、いつものように流されるだけではかなしい。
そんなアカーシャの祈りにも似た願いが届いたのか、
「そ! まぁ、そだな……」
千恵子は頭に手を当て、夕日の方を真っ直ぐ向くと、
「これからも一緒に見ていたいなーとか、言っちゃって……」
決して大きくもない、そしてはっきりと言い切るわけでもない。
けれど、ちゃんと返事をした。
それは、傍から見たら亀の歩みなのかもしれない。
だが、自分の想いを言葉にすることを避けていた千恵子にとっては、大きな一歩であった。
☆☆☆
――この後。
腕ブンブン上機嫌に振り回すアカーシャの一步後ろで、
「……まったくもう。惚れた弱みってやつ? もう少しだけ、手を伸ばしてみようかな……なんてね」
夕日と潮風に背中を押されながら、千恵子は静かにそう呟いた。




