猛の好きなこと
時は遡ること、千恵子たちが新居を見つけた頃。
商店街を突っ切り、阿修羅場公園を抜け、川沿いを十五分。
桜並木の先にある高級住宅街、そこにひときわ目立つ和風の平屋があった。
その平家に住むのは、チンピラ集団“独走蝙蝠”のトップ――幅霧猛、十七歳である。
猛はというと、自室で趣味である手芸をしていた。
「チッ、難しいな……人間より、こういう人外が可愛いから、題材に選んだのによぉ」
勉強机兼作業机で、制作途中のキーホルダー片手にぼやく。
彼が手掛けているのは、羊毛フェルトを用いたデュラハンのキーホルダー。
スキンヘッドに大柄な体であるが、この男、動物や人外+可愛いものに目がない。
なんだったら将来は自分の店を持ち、自分が手掛けた作品たちに囲まれたいなどという夢を持つ、そこらの女子より、乙女な漢なのである。
そんなイメージと全く異なる猛の部屋はというと、ベッド周りには動物とヴァンパイアとデュラハンといった人外たちのぬいぐるみが置かれ、その反対側には、整理整頓の行き届いた本棚があった。
一段目には、ぬいぐるみと同じように動物、人外たちが題材のアクリルスタンド、二段目にはゆるキャラが特集された雑誌。
三段目には【戦え、ヴァンパイアちゃん】の漫画やドラマCD、そして短編集など多岐にわたる。
その趣向に熱意、実は千恵子や愛美に引けを取らないほどである。
「ああ――っ!! 上手くいかなくてイライラするぜ」
ひとりでに叫ぶと、猛はキーホルダーを机にそっと置いて頭を掻く。
(……こういう時こそ、落ち着かねぇとな……)
そう自分に言い聞かせるとゆっくり息を吸って、ゆっくり息を吐いて、気持ちを落ち着かせる。
そして、また作業を始めた。
「よし……やるか!」
猛がブツブツと独り言を呟いたり、時折発狂したりしながらも、作業を進めていると、廊下から足音が聞こえて――それが自室の前で消えた。
直後。
――ドンドン!
強めのノック音が響いた。
(チッ、クソ親父か……)
このタイミングに早く出ろと言わんばかりのノック音。
彼と同居する父親、幅霧豊、四十七歳。
千恵子の勤める会社、棺桶間ネジ株式会社という中小企業の工場長である。
(さっさと仕事に行けばいいのによぉ……)
猛の家庭は、彼が幼少期の頃に母親は亡くなった。
理由は若年性の癌。
気付いた時にはもう遅く、全身に癌は転移し瞬く間にその人生を終えた。
なので、広々とした平屋には、彼と父の二人しかいない。
高校に上がるまでは、そんなに仲も悪くなかった。
男手一つで育てあげてくれた、その凄さを理解していたから。
けれど、今は違う。
それは大人になろうとしているからこその、反応期なのかもしれない。
ただ、明らかなのはお世辞にも仲がいいとは言えないということだ。
「おい! 猛! もう学校の時間だろ?」
豊は扉の向こうから大きな声で呼び掛ける。
「んあ?! わかってる! 今から出んだよ!」
「親に向かってなんて言い草だ! 今日は朝から小テストがあると先生から聞いたぞ? 早く出ないと――」
豊が言いかけたその時、ガチャリ……扉が開いた。
「一体、なにしているんだ――」
「お、おい! 勝手に開けんじゃねぇ!」
「お前……また、そんな細かいことを……父さんはお前に男らしく、真っ直ぐに育ってほしくてだな――」
猛はその言い方に、反射的に怒りが込み上げて、
「るっせーな! 見んじゃねぇよ!」
ガンッと机を叩き、声を張り上げた。
そして間髪入れず縫ったものを抱え、家を飛び出た。
☆☆☆
バラや紫陽花が咲き、遊具の近くでは親子連れが楽しそうに遊んでいる阿修羅場公園。
猛は学校に行かず、ブランコで時間を潰していた。
(マジで、なんなんだ……あのクソ親父! 人の顔見りゃ、男らしく、男らしくとか言いやがって……)
目の前で幸せそうに遊ぶ母と子を目にしたことで、胸の辺りが苦しくなる。
(俺は……母さんに言った夢を叶えたいだけなのによ……)
そう、猛には夢があった。
病室で母親に語った夢。
何気ない会話だった。
「猛は何か好きなことはある?」
そう聞かれたから、答えた。
「僕、お店を持ちたい。手芸の! 母さんと一緒に」
すると、パアっと笑顔を咲かせて、
「……叶えたいね!」とか細くも、強く手を握った。
(母さん……)
昔を思い出し、心の内で呟く。
(俺は、どうしたらいいんだ……親父気持ちも分かるけど、誰かに相談できるわけでもねぇしな……)
父が言いたいこともわかる。
強面な自分が学校生活に馴染む一番の方法は、他の人間より、真面目に勉学に励む方がいい。
現にその顔のせいで、高校に上がってからは、年上の不良に目をつけられ、喧嘩に明け暮れる日々が待ち受けていた。
それだけではない。
根が優しいからだろうか。
偶然助けたチンピラたちに慕われてしまい、いつの間にか【独走蝙蝠】などと呼ばれるような、不良たちのトップになっていたのだ。
(って、こんなんじゃ安心できねぇか……)
振り返れば返るほどに、分かり合うことはできないそんな考えが過る。
遊ぶことよりも、自分を育て、仕事一筋で生きてきた。
仕事に対して勤勉で熱意の溢れる父親。
職場にたくさんの部下がいて、それなりの役職に就いている。
そんな父には正直に話したところで、やはり理解は得られない。
しかも、今年は進路を決めないといけない高校三年である。
アウトローな彼らとの関わりや、将来の見えない手芸をするより、真面目な友人を見つけて、手に職を付ける潰しの効く資格を取った方がいい。
「わかるけどよ……あんなに否定しなくても、いいじゃねぇか……それにあいつらだって――」
一般的に不良と言われれば、素行が悪く、自分より弱い者をイジメる。
けれど、一緒に彼らはそんな弱い者いじめを一切したことはなく、全員が裁縫好きであったり、流行のコスメ情報や料理が得意といった女子っぽい趣味を持つ。
純粋な女子力であったら、一般的な女子なんかよりもよっぽど乙女で心優しい者たちだった。
ただ、周囲はそのありのまま――外見と内面の違いを認めてはくれない。
例えば、外見がアイドルのように可愛かったら、そんなことはなかったのだろう。
でも、彼らの見てくれは真逆。
結果、ぶつけられる言葉は区別(悪口)という差別だった。
つまりは、独走蝙蝠は彼らにとって仮面。
これ以上傷つきたくないから、世間がイメージする自分たちを演じているだけ――ただそれだけなのだ。
(まぁ、それで……結果的にハミられるし、喧嘩が絶えなかったのは自分たちのせいなんだけどよ……)
そうである。喧嘩や争いごとも自ら望んでしたわけじゃない。
ただ、その見た目に引き寄せられて、殴られたから殴り返しただけであった。
「チッ! こんなところで振り返ったって仕方ない……”あの日”から、らしくねぇな……」
あの日、それは千恵子に怒鳴られ、アカーシャにボコボコにされた日のことであった。
あれ以来、猛の中で”今”のままでいいのか? なにかもっとできることがあるのではないか? という考えが、変化の兆しが芽生え始めていた。
人は自分に理解を超える経験と、命の危機に陥ると素直になったりするのかもしれない――たぶん……とにかく、彼は、大きな一歩を踏み出そうとしていたのである。
そんな中、場違い感MAXな軽いものすごーくかる〜い明るい声が響いた。
「おに〜さーん、なにか悩み事かな〜♪」
「んだ、てめぇ? は――っ?!」
猛が声のする方に視線を向けると、
そこに立っていたのは、昭和の少女漫画から飛び出したような制服姿の魔女だった――。
(こ、これやべぇ……やつじゃねぇか?! く、薬とかやっているとか!! ま、まぁ――)
美人ではある。
しかしながら、白金の髪色、青みがかった瞳からして、明らかに日本人ではない。
そもそも海外の人って感じでもない。仮に、この目の前にいる人物がコスプレするくらいに日本の文化を知っているとしよう。
だが――。
(――それでも、知らねぇやつに話し掛けんのはヤバすぎるだろ!!)
そうである。
いくら日本の文化が大好きでも、目の前の人物がコミュケーション強つよであったとしても、ヤバいのである。
朝の健全な時間帯に公園へ、茶革のブーツにルーズソックス……からの、赤と緑のチェック柄スカート。
そして、紺色ブレザーに弾けんばかりの胸元には、大きめの赤いリボンを身に着けているのだから。
「な〜に? お兄さん照れているの〜♪」
驚き固まる猛に対して、グイグイ距離を詰めるコスプレ美女。
「は、はぁ?! 意味わかんねぇ!」
などと、言い放つと、
「――どう見たって不審者だろうが……」
ボソリと呟いた。
「え、ええぇーー!? そんな風に言われたの初めてだよ〜!」
そう、ここにタイミング良く現れたのが、アカーシャの痕跡を辿って現れた魔女キルケーだったのだ。
そこから、海外出身の女学生(色々と無理がある)とか、千恵子の知り合いで、住み込みで働けるところを探しているとか、ありとあらゆる口説き文句を駆使し、居候兼家庭教師として猛、豊と一つ屋根の下で暮らすことになった。
つまりは魔女らしく、のらりくらり、自分の全てを持ってして、押し切ったのである。
ちなみに、千恵子本人が名前を出されたことを知るのは、まだ少し先。




