全てを持ってして
「ね……私の血吸う?」
酔いがそうさせたのかも知れない。
ついさっきまで、オタク友達と人外談義で盛り上がっていたから、こんな突拍子もない行動に出たのかも知れない。
真実はわからないが、見知らぬ土地で孤独な死を迎えようとしていた、アカーシャにとってはどうでも良くて……雷に打たれたかのような感覚が全身を駆け巡った。
(むぅ……妙に脈が速いな……それに何だか顔も熱い気がする……一体、どうしたというのか……)
恋に落ちたのである。
ちょろいと言われてしまえばそれまで……しかし、命の危機+孤独+意外性+優しさを同時に食らってしまえば、たぶんそう誰だって恋に落ちてしまう。
とはいえ、これはアカーシャにとって初恋であった。
つまりは、この胸がドキドキする不思議な感情を彼女自身だって知る由もなく、
(フッ……そうか。我としたことが、少々面を食らってしまったようだな。やるではないか人間)
千恵子が吸血行為を了承したことに驚いたものだと勘違いしていた。
そして、掌で上目使いをし、恐る恐る尋ねた。
「ほ、本当に吸ってもいいのか?」
姿形がコウモリであろうとも、内々にある真なる想いにも気付いてなかろうとも、その態度と口調は恋する乙女そのもの。
そして恋してしまったからこそ、無理やり吸おうという気も起きず、特に意識したこともなかった吸血行為自体に、自らも気付かぬ内に……ほーんのちょっぴり、えっちなものを感じていた。
そんな感情を微塵も抱いていない酔っ払いの千恵子は、アカーシャの問いに満面の笑みで頷いた。
「うん、いいよ!」
躊躇いもなく応じたことに、アカーシャは思わずしどろもどろしてしまって、
「な、なぜ、そんなすぐに返事ができるんだ? お主は我が怖くないのか?」
口を詰むんで不安そうな表情で尋ねた。
「怖い? 何で?」
「何で……と返されても……喋るコウモリなんて気味が悪いだろう?」
アカーシャはそう言いながら視線を逸らした。
初めて経験した恋という未知なる感情。
加えてアカーシャのいた世界では、コウモリの姿になったとしても不気味だと言われ、忌み嫌う人間しかおらず、ましてや自ら血を吸うか? と尋ねてくる者など、どの種族にもいなかった。
だというのに、目の前にいる人間は堂々と会話し、手を差し出しているのだ。
アカーシャは戸惑うのも当然だった。
「気味が悪いとか、よくわかんないけどさ、コウモリってヴァンパイアの親戚かなにかでしょう? 血を吸えば元気になるかなーって思ってさ。あ、さっきまでね、友達と話していて――」
聞いてもないのに「コウモリは、ヴァンパイアに近しい存在だから、血を吸ったら元気になるはず」とか「コウモリは可愛い」とか、それはそれは夢を語る子供のように目を輝かせて語り始めたのである。
その姿を目にしたアカーシャは心に決めた。
「……わかった。吸う」
「うん、どうぞ!」
「ふ、ふむ。お主の名前は?」
「ヒック! え、ああ、私?」
「うむ、ここにはお主しかおらんであろう?」
「あはは〜っ! 確かに! コウモリちゃん面白いねー! じゃなくて、名前だね。私の名前はね……千恵子。山本千恵子だよ」
「ちえこ……わかった。ちえこだな、忘れない。必ずこの恩は返す。我の全てをもってして――」
そういうと手首にかぷりと嚙みついた。
これが、アカーシャのいう運命の出逢いである。
ちなみにこの後だが――。
千恵子は血を抜かれた影響と泥酔コンボで、案の定その場でぱたりと意識を失ってしまう。
けれど、それを見ていたアカーシャが、一時的に大人の姿へと戻り、自身の外套で千恵子を包み込み、そっと抱き上げた。
「……恩は返す。必ず」
月明かりの下、彼女はそう小さく呟きながら、黒き翼を羽ばたかせながら夜の街を駆け抜けていった。