アラクネの気持ち②
あれは、アカーシャが瀕死となった人間との大きな戦の前。
夜の国、中央にある王城、アカーシャの自室。
姿見鏡に、凝った紋様が彫られたドレッサー、天蓋付きベッド、豪華絢爛とまではいかなくとも、王族の威厳を保てるほどに装飾がなされた部屋であった。
夜の国から馬車で一日のところまで、人間の率いる軍勢が迫っていたこともあって、アカーシャは単身、戦地に赴く準備をしていた。
そこでアラクネも蜘蛛の姿でヘルムを被り、震えながら両手に剣を持っていた。
「アーちゃん、私……も行く……」
アラクネは勇気を振り絞って、姿見鏡の前でフリーディアに髪を結ってもらっているアカーシャに意思を伝えた。
すると、アカーシャは何を思ったか、振り向くことなく、パチンと指を鳴らす。
直後、そのすぐ横に魔法陣が現れた。
そこにゆっくりと近づき、直前で足を止めたと思えば、
「アラクネ……自分を生きよ!」
と言い放ったのである。
(……あの言葉を最後に、姿を消した……んだよね……アーちゃん)
そう、この後、アカーシャは深手を負い追手から逃げる為、転移したのである。
とはいえ、不幸中の幸いで、先代の王である鮮血公が再び王座に就くことで、王の不在は免れた。
更にはアカーシャとフリーディアの活躍もあって、人間側にもかなりの被害を与えていたことで、退かせることに成功したわけだが――。
しかし、尊敬する”姉”はこの世界から居なくなり、それを知り塞ぎ込んでいる間に、その忠臣であるフリーディアも「アカーシャ様は、きっと生きています! ですので待っていて下さい!」と一言告げて居なくなった。
結果、全く偏見を持たない存在は、城の中にアカーシャの父一人となった。
(あの時のウラド様……怖かったな……)
自らの父親と呼ぶには恐れ多い存在。
ウラド・ロア・ブラッドレイ、戦地に赴き敵の返り血で染めた姿から鮮血公と呼ばれ、人間からはその名を口にすることすら憚れる。
自分の矜持に沿わなければ、神にだって啖呵を切るアカーシャの父だ。
一線を退いたこと、アカーシャが活躍していたこともあって、無理に人間へ関わろうとしてこなかった。
だが、アカーシャの訃報を聞いてから、それは一変した。人間という存在に明確な憎悪を抱くようになったのである。
それはいつしか元人間であったアラクネにも、向けられた。
「アラクネ、お前には……人間の血が流れていたな……」
これは昼食の時間に、鮮血公がぼそりと口にした一言。
その顔には、深い哀しみと憎しみが交錯しており、声色にも温度を感じない。
寧ろ敵意だったり、嫌悪感を感じるほどの冷たさがあった。
無理もなかった。
餌、非常食、自分たちの我欲を満たす為に愚かな行いをする短命種。
そう思っていた相手に大切な存在を、奪われたのだから――。
もし彼になにも守るものがなければ、すぐさま人間を滅ぼそうとしていただろう。
けれど、ウラドには王という立場があった。
(きっと、アーちゃんを失った悲しみを、ぶつける先を探していたんだ……それが元人間の……私だっただけ――)
アラクネは、その時を思い出し震える。
(それも……あったけど――)
怖くてかなしくて、どうしようもない気持ちが溢れ出した……けれど、同時にアカーシャが最後に言い放った「自分を生きよ!」という言葉がループしたのだ。
当時は、よくわからなかった。
それはアカーシャが生きている知らせを耳にした際も同じだった。
けれど、この世界に来て――今になって、その言葉の意味が少しわかったのである。
千恵子とアカーシャ、あの二人を見て”自分”を生きるという意味を。
(す、少し……ちえちえさんに、お熱が過ぎるような気も……するけど……)
今まで見てきた完璧なアカーシャではない。
笑ったり、泣いたり、怒ったりする不完全なアカーシャ。
でも、それがきっと自分を生きるということ。
そこに自分も居ていいと言われた。
なので――深呼吸し、帽子のつばをぎゅっと握って、一歩前に出る。
(わ、私も……頑張ってみなきゃ……)
そして意を決し、インターホンを押した。




