アラクネの気持ち①
千恵子がお昼休みに制服姿のキルケーと遭遇してから、数日後の休日。
アカーシャは慣れた動きで家事をこなしていき、千恵子は、エアコンからの冷風をその身に受け、新しく買った三人掛けのソファーで、まるでスライムのように溶けていた。
ちなみに蜘蛛っ子のアラクネだが、自然になんの違和感もなく、その膝の上にちょこんと座っている。
「ちえちえさん、その……そういえば……キルケーがお家に来たいと言ってました」
アラクネは仰け反り、独特な上目使いでそう告げる。
(おお……可愛い……じゃなくて! なんで来たいんだろう? また厄介ごとかなー……)
「理由とか聞いた?」
「はい、引っ越し……祝いをしたいからって……言ってました」
「そっか、引っ越し祝いかー」
(確かにそういうのしてなかったな。でも、キルケーさんがわざわざ言ってくるのって、なんか不安なんだよね……あの日だって結局、なんで私たちを探していたのかもわからなかったし)
思い起こすはカレーを頬張り、愛美との会話を楽しみながらも、話題をすり替えのらりくらり――結果、肝心なことは口にしないキルケーの姿。
芋づる式に、惚れ薬を持つ姿、アラクネを紹介する姿……そして、この世界に滞在したいと言った姿。
そこから、オタク脳と、アカーシャとの日々で培った勘がシックスセンス+αが働いた。
(ん? 待てよ……これはもしかして――今回の提案を受け入れたら、キルケーさんの真意がわかるってこと?!)
今までのように、突然現れるといったものではなくて、わざわざキルケー本人が祝いたいと口にし、訪ねる意思を見せてきたのである。
(だって、わざわざ事前連絡――アポイントメントを取ってきたわけだしね)
そんな思いが頭に浮かんだ千恵子は、膝の上で不思議そうな顔をしているアラクネの頭を撫でながら、表情をコロコロと変えていく。
その様子が気になったのか、エプロン姿のアカーシャがキッチンから声を掛けた。
「旦那様は、気が進まぬのか? きっとあやつは一人がさみしいとか、そういうものだと思うぞ? 実際、誰にも会わず、何百年も深い森で暮らしてきたわけだしな」
「そうなの?」
「うむ、我が生まれた時から、あの姿であった。歳も我より上らしい」
「アカーシャより、歳上なんだ! でも、そっか……うん」
(歳を誤魔化しているのは、あり得るかも。でも、寂しがり屋かー……今のキルケーさんから想像もつかないけど……そういう部分もあるってことなのかな? アカーシャが言うってことは、全くの嘘じゃないと思うけど……)
アカーシャの話を聞いたことで、ますます魔女キルケーのことがわからなくなる。
事態は、鶴の一声……ヴァンパイアの一声で解決するような簡単な話ではないということ。
いや、寧ろヴァンパイア……アカーシャの一声には、その純粋さから妙に引っかかる深みと、考えを惑わす何かがあった。
「……お誘い受けるか!」
キルケーを知る為に、意を決する千恵子。
意を決した彼女に、アカーシャは目を輝かせて頷いた。
「さすが、旦那様! きっとベストアンサーなのである!」
「うん、知恵袋ね……まっ、とにかくありがとう!」
千恵子は緩くツッコミつつも、ちゃんとお礼を口にした。
対して、アカーシャは笑顔をパァッと咲かせた。
「うむ!!」
二人の間にゆるく優しい雰囲気が漂う中。
千恵子の膝の上に座っていたアラクネは、フードの紐を引っ張りながら、申し訳なさそうに口を開いた。
「あ、あの……伝えるの……忘れていました――」
☆☆☆
時を遡ること一日前。
商店街を突っ切り、千恵子がよく立ち寄る公園【阿修羅場公園】を抜けて、両脇に桜の木が生える川沿いを歩くこと十五分にある高級住宅街。
そこに一際目立つ、和の雰囲気が漂う【幅霧】という表札の掛かった平屋があった。
その住居の前。
「ここ……であっている……のかな?」
大きめサイズの麦わら帽子を深く被り、春色のワンピース姿で、キョロキョロと周囲の様子を伺う薄紫の髪と、紫の瞳が印象的な少女。
アカーシャの持つ子供用スマホを介して、魔女キルケーにここへ来るように言われたアラクネである。
(アーちゃんも一緒に来てくれたら、良かったのに……)
そのやり取りを見聞きしていたというのに、アカーシャは、「キルケーは、お主を呼んだのだ! だから、一人で行くのである! それに我は家事で忙しいからな――」などと突っぱねた。
「……きっと、私の……為なんだろうけど」
思い起こすは、城での日々。
半引きこもり生活を送っていたアラクネにとって、アカーシャは光だった。
常に王族の誇りを抱き、その言動には不器用ながらにも優しさが込められていた。
それだけではなくて、幾度も自ら戦地に赴き、理不尽をその圧倒的な力で覆してきたのである。
もちろん、初めは複雑だった。
蜘蛛の体を持っていても、元は人間。
父と過ごした日常に不満などなかった。
けれど、半端者になったことで、人間の脆さも理解した。
どの種族より姿形に固執し、理解の及ばない存在に対して恐れを抱き、差別することを。
尊敬する父であっても、誇りに思ってくれた町の人間であっても、それは同じだった。
だが、アカーシャは違った。
すぐに自分を受け入れて、その境遇を、待遇を非難する自国の民に対して、ハッキリと口にしたのだ。
「こやつは、誰がなにを言おうとも、我の妹である! もし、文句があるのであれば、我に直接言うがいい!!」と。
そこからアラクネは、アカーシャの後ろに付いて回っていた。
自分にはない、唯一無二の存在感。
先代の王、鮮血公にも引けを取らないカリスマ性。
戦地だけではなく、どんな時も先頭に立ち、ハッキリ物を言う”姉”となったアカーシャに憧れた。
しかし、それは突然終わりを告げた。




