ちょろい王様と、優しい妹と
不動産を回ること、数軒目。
千恵子たちは、ようやくお目当ての物件と出会うことができていた。
気になる立地は、最寄りの駅まで徒歩五分。
千恵子の勤める会社までなら、乗車時間と合わせて、二十分前後で着く好立地。
その上、今現在住んでいるマンションより、一部屋多い2LDK。
それも築数年という、割と新しいマンションである。
家賃は7万円と今より1万円増えてしまうが、許容範囲であった。
つまり、千恵子的には何も不満はない。
「私的には、ここでいっかなー! アカーシャはどう?」
効率良く物件を見る為、何のためらいもなく分身を使用しているアカーシャに尋ねた。
「って、どんな絵面だよ……」
飛び込んできた光景に思わず、苦笑いを浮かべる千恵子。
一人はベランダ付近でスマホを見ながら「二階で日当たりはいいと……うむ、あとは商店街まで徒歩何分かが重要であるな」など呟き、もう一人は不動産屋からもらった間取り図を見ながら、一言も発することなく、トイレやお風呂などの水回りを吟味していたのだ。
そんな場面を前にしたら、ツッコまざるおえなくて、能力の使い過ぎを注意していた――のだが。
(まぁ、それだけ真剣ってことか! 徒歩って言ったってことは転移魔法も使う気ないみたいだしね)
アカーシャの言動から察し、信じていた。
その信頼の眼差しを受けている彼女たちは、同じタイミングで声に反応し、千恵子の元へ駆け寄った。
そして、片方はスマホ指し、もう片方は間取り図を指して口を開いた。
「「しょてしょててがいいににもも、ちかちかづづいて――」」
輪唱にもならない絶妙なズレである。
(いや、なんでズレんのよ)
五感を共有できるって言ってたよね? と口に出そうになるが、グッと堪えた。
「……んと、ごめん。声が重なってちゃんと聞き取れなかった。一人になって」
「「わかったのである!」」
千恵子の指示に従い、アカーシャズは指をパチンと鳴らして一人になり、再度自分の意見を口にした。
「商店街にも近づいておるし……水回りの導線も自然であるしな……だが――部屋がな……」
(やっぱり、一緒に寝たいのかー……それも嫌じゃないけど、自分たちの部屋はあった方がいいよね。私も気が休まるし)
遠回しであれど”あの夜”気持ちを伝えて以来、もしかしたら吸われるかも、なんてことを思ったりしていた。
「でも、二人の部屋が出来るんだよ?」
「それはわかるのだが……」
「チッ、チッ! アカーシャさんわかっていませんよ? その家で部屋を持つということは、自分の帰る場所っていうことなんです!」
いつぞやのアカーシャの真似+いつにも増してわざとらしい千恵子である。
しかし、相手は単純でちょろりんなアカーシャ。
その効果は絶大で、首を大きく縦に振って、
「ほほう……なるほど……そういうことか! つまりは家族ということであるな! 確かに、我も父や母と寝た思い出は、幼き頃くらいだしな!」
などと都合のいい解釈をし納得していた。
(あはは……やっぱり、ちょろい……)
ピュア過ぎるアカーシャに対して、千恵子はほんの少し、申し訳なさを抱きながらも、部屋の隅でウサギのようにちょこんと立っているアラクネが気になって話し掛けた。
「ラクネちゃんはどうかな? アカーシャと同じ部屋になっちゃうけど……」
「は、はい……私は、大丈夫です……というか、とても嬉しいです……アーちゃんと一緒の部屋で暮らせるなんて……えへへっ」
アカーシャとは違う、控えめだが、蕾が花開くような可憐な笑み。
オタクな部分ではなく、母性を刺激されたわけでもない。ただ、可愛い物体が可愛い仕草をしている。
その絶対的可愛いが千恵子にぶっ刺さった。
(か、か、かわいいぃぃぃぃーーーー! 癒し系じゃなくて、存在が癒しだーーーー!!)
心の内で叫びまくるが、決して声には出さない。
ここで大声を出してしまえば、せっかく心を開こうとしているアラクネが、怖がり閉ざしてしまうかも知れないからだ。
溢れ出る感情を大人として、飲み込んだ千恵子は、スタスタと歩みを進めて、
「ふふっ、そっかそっか」
アラクネの前に立つと腰を落とし、頭を優しく撫でた。
その表情は仏のような慈愛に満ちたもの。
人は本当に可愛い存在を目にすると、愛でることしか出来なくなる……そう、真理? である。
二人の間にあたたかな空気が漂っていると、後ろから刺されたような感覚が千恵子を襲った。
(アカーシャ……だよね……てか、妹でもダメなの……?)
どうやって事態を収めようか、ぐるぐると思考を回しながらも、振り向いて、
「アカ――」
名前を呼ぼうとアカーシャを見つめた。
「いや、え――っ」
予想もしていなかったその状態に固まる千恵子。
「ズルいのである……ぐすっ……我だって、たくさん頑張っているのに……」
真紅の瞳を潤ませて、小さくて整った鼻も赤くしている。
そう、まさかの涙していた。
相手がアラクネということもあったのかも知れない。
けれど、少し前のアカーシャであったなら、怒りで我を忘れていただろう。
(こんな顔……初めて見たかも……せ、成長しているってこと……かな?)
それは違う、お風呂でもないのにレンズが曇り始めているぞ? 千恵子よ! と言いたくなる場面ではあるが、確かにアカーシャは拳を握り締め、口を噤み自らを自制しているようだった。
(やっぱり……ちゃんと我慢しているよね……)
千恵子が、身内びいきの甘々ジャッジを下そうとしていると、その横をアラクネがトコトコ通り抜けて、
「アーちゃん、泣かないで……」
アカーシャの前に立つと指先から出た糸で、瞬時に純白のハンカチを形成し、そのハンカチを使って、グズついているアカーシャの涙を拭った。
「私、アーちゃんには笑ってて……ほしい……な」
純粋な反応に、儚げで柔らかな笑顔。
そんなものを食らってしまっては、王である側面が顔を出さないわけはなくて……
「だ、大丈夫である……ちょっと目にゴミが入っただけなのだ!」
妹分に介抱されながら、テンプレのような誤魔化し方で乗り切ろうとしていた。
それを目撃した千恵子は、共に過ごしてきた日々を思い起こす。
(それじゃあ、誤魔化せないよ……アカーシャ。でも、当たり前になり過ぎていたのかな……)
自分なりに感謝の気持ちは伝えてきた。
けれど、相手は人間ではない、孤独を抱き締め続けたヴァンパイアのアカーシャなのである。
(こうやって言われるまで気付かなかったけど、はじめの頃より、お礼を言ったり、頭を撫でたりする回数が少なくなっていたかも……ちょっと反省しないとだな……)
千恵子は自責の念を抱きながら、アカーシャに近づいて、同じように頭を撫でた。
確かに目配せや何気ない仕草から感じ取る、マンネリ化は偉大である。
それだけ過ごしてきた日々が濃厚で、本音を交えてきたという証だから。
けれど、だからこそ、気持ちを伝えることが大切になってくるのだ。
関わり合うというのは、そういうものなのである。
「アカーシャ、いつもありがと」
「ムフフ……好きでしているから気にしなくてもいいのである!」
満足そうな笑みを浮かべるアカーシャ。
一方、そのすぐ横にいたアラクネは、「ちえちえさんも、えらいえらい」と言いながら、千恵子の頭を撫でた。
一瞬、固まるが、自分へ向けられた無垢な好意に顔が綻び、無意識で気持ちを伝えていた。
「……ありがと、ラクネちゃん」
そして、ふと自分の幼少期を思い出した。
何気ない日々、ただお遊戯会で木を演じたことを嬉しそうに語って、母親が褒めてくれた。
だから、そのお返しで、「いつもありがとう。お母さん」と言って、アラクネがしたように頭を撫でた。
それだけ、それだけなのに……。
(なんだろう……お母さんってこんな気持ちだったのかな……この歳になって頭を撫でられるって……)
純粋に肯定してもらえる。
それだけで、あたたかい気持ちになる。
アカーシャといる時は、また違ったぬくもり。
(たまには連絡しないとな……)
千恵子はそう、思いを馳せると、アカーシャとアラクネを見ながら、とても優しい声色で、
「ふふっ、こんな家族もありだよね」
と呟いたのだった。




