だけど、アカーシャは決めきれない
アカーシャが調理を始めて、小一時間くらい経過した頃。
彼女は金目鯛の煮付け、炊飯も終えて、キッチンでいつものように【戦え、ヴァンパイアちゃん】を読んでいた。
「フフッ、相変わらず、小気味いい話だな」
初めて読んだ時とは違って大笑いとまではいかない。
けれど、内容を噛みしめるようにクスクスと笑っていた。
今、読んでいるのは、主人公の吸血鬼少女マヒルが学校に通う日常回。
そこで人間たちと触れ合って、価値観の相違などをコミカルに描いているほっこりするパートだ。
それを真祖の血を引く正真正銘のヴァンパイアが、読んで笑っているという、なんともツッコミどころ満載な状況だが、アカーシャ本人は心から楽しんでいた。
だから、いいのである。
【戦えヴァンパイアちゃん】を読み終えたアカーシャは、異空間に漫画をしまって、
(旦那様、早く帰ってこないかなー)
そんなことを心の内で呟きながら、ショートパンツのポケットから子供スマホを取り出す。
画面に目をやると、時刻は17時を指していた。
(17時かー……あと二時間は帰ってこぬな。ふむ……先にお風呂へ入っておくべきだろうか……悩ましいな)
千恵子が定時で帰れたとしても、18時半くらいに家へ着く。
とはいえ、夏休みという長期休みの前、仕事に妥協しない女性である彼女が、定時で帰ってくる可能性はとても低い。
(むう……やはり、遅いであろうなー)
千恵子の帰宅時間を考慮して、この後のことを考えていると、何かが通じたのか、スマホが鳴った。
――ブブッ、ブブッ、ブブッ。
「旦那様ではないか、噂をすればなんとやらであるな!」
液晶画面に表示された名前は、千恵子。
図ったようなタイミングに思わず、笑みが溢れた。
けれど、通話アイコンに触れるのを躊躇って、
(――しかし、あまりにも早いな……何かあったのか?)
手を止めた。
千恵子や個性豊かな文化のおかげで、平和なこの世界に馴染んできた。
とはいえ、幼少期から戦に身を置いてきた王族でもあるのだ。
早い知らせほど、構えないといけない。
つまりは……。
(終電コースということか……となると、迎えに行くことも考えねばならぬな……いつ何時、変な奴が現れるかわからぬしな)
絶妙にズレてはいるが、このご時世不審者など何処からでも沸いてくる……それも夜遅くとなれば、その確率はグンと上がるに違いない。
アカーシャはそう考えていた。
(あの公園でも、そうであったしな……)
公園で絡まれていた千恵子の姿が脳裏によぎって、感情が高ぶってしまう。
けれど、自らを落ち着かせるようにゆっくり息を吐いて、
「ふぅー……出るか」
内心不安になりながらも、電話に出た。
一般的に見たら小さくとも、アカーシャにとっては大きな成長である。
《もしもし》
「どうかしたのか? 旦那様」
《ううん、ちょっと早く終わったから、商店街に寄ってるんだけど、何か買ってこようか?》
「おお、今日は随分と早いのであるな! お勤めご苦労なのだ!」
(そうか、そうか! サプライズ帰宅だったのだな! 気遣いができる上、その斜め上をゆく! やはり我には旦那様しかおらぬなー!)
なんとも単純で一途なアカーシャである。
《うん、ありがと。で、何かある?》
「ふむ、何かか……あ、そうであった! ちょうどラップが切れたのだ! あれがないと、食材を適切に保管出来ぬからな! どんな時も備蓄は大切である」
《いや、備蓄って……まぁ、いっか。とにかく必要なのは、ラップね。お惣菜とかはいいの?》
「うむ、大丈夫なのだ! 今日は金目鯛の煮付けを作ったので、必要ないのである」
《おお、金目鯛の煮付け! 日本酒も合うやつじゃん! って、もう作ってたの?!》
(ムフフフ〜! 驚いておるな! しかーしっ! それだけではないのだ! 旦那様よ! 何故なら、我は――)
「フフーン、当然である! 我はアカーシャ・ロア・山本、ちえこの嫁だからな! そ・れ・にだ! 旦那様がそういうと思ってだな、辛口の日本酒をキンキンに冷しておるぞ! あ、冷凍庫に入れてたの思い出したのだ!!」
アカーシャは、冷やす為に冷凍庫へ入れていたことを今になって思い出して、慌てた弾みで通話を切ってしまう。
「ぬわぁっ! しまったーーー!!」
頭を抱えてその場でバタバタ。
けれど、もう遅い完全に切れていた。
「やってしまったものは、し、仕方ないのである……それよりも今は日本酒を――」
凹みながらも、日本酒を救う為、切り替えて冷凍庫に手を伸ばす。
完璧に決めきれないアカーシャであった。




