ブレないアカーシャ
時を遡ること一時間前。
ちょうど千恵子が仕事を終えた頃の時間帯。
その職場から私鉄を乗り継ぐこと四十分、駅近くにある古びたマンション、1LDKの一室にて。
「フハハハーー! さすが、我! 今日も完璧であるな!」
【ちえこの嫁】と書かれた自己主張強めな真紅のダボダボパーカー。
フリルショートパンツ&蝙蝠柄のエプロンという攻撃力高めの服装で、掃除機片手にドヤる美少女がいた。
カーテンの隙間から差し込む陽の光が、美少女の燃えるような赤き髪と雪のような白き肌を照らして、窓から流れ込む風が頭にあるツイン団子を揺らす。
そう、夜の国の王であり、千恵子の嫁? であるヴァンパイア、アカーシャだ。
午後の掃除を終えて、気分上々状態にあった。
「次は夕飯の準備だー!」
その場でぴょーんと跳んで、足音を立てないように着地した。
下の階に住まう住人にも気遣えるようになったアカーシャである。
もちろん、ブレてはいない。
騒いだり大きな音を立ててしまうと千恵子が困るから、それが一番にあって、行動に移しただけだ。
(――しかし、どの献立にするか悩むな……)
凄腕スパイのような華麗な着地を決めたアカーシャは、掃除機をキッチン横のパントリーにしまって、腕を組みながら部屋中をウロウロする。
(あ、そうであった!)
そういうと、手をポンっと叩き、
「ふふっ、これを使う時が来たのである!」
当然のように異空間魔法を用いて、束になった羊皮紙と万年筆を取り出した。
その分厚さは、初めてメモした時とは違い、明らかに分厚くなっていた。
もう、メモというよりはノート。
それも文庫本一冊くらいのなかなかに、分厚めのノートである。
それだけではなくて、所々にアカーシャのこだわりが感じられるものとなっていた。
【戦え、ヴァンパイアちゃん】の付箋が貼られて、そこには、日常の出来事に加えて【旦那様の好きな物】や【嫌いな物】といった文字が書かれていた。
「えーっと、昨日の献立はっと――」
そこから昨日の日付が書かれたページを開いて、何を作っていたのか確認する。
「うむ、唐揚げをしたしなー……となると魚か……」
最初は読み返すことはない。
ただ、千恵子との甘くて充実した日々(本人からすると)を思いのままにつらつら綴ることが出来ればいい。
そんなことを考えていたが、次第にハマっていった。
今では付箋だけではなくて、表紙にもこだわり始めて、自分と千恵子が見つめ合うイラストまで書く始末だ。
ヴァンパイアの王、アカーシャ・ロア・山本……いや! 山本アカーシャは、なかなかにオタク気質なのである。
「そうだ、そうだ! 冷蔵庫に金目鯛があったな! 下処理は源ちゃんにしてもらったから、特に手間は掛からんであろう」
源ちゃんというのは、魚屋【鬼灯丸】店主の名前。
アカーシャと魚屋の店主は、献立の相談をするくらいには打ち解けていた。
それは彼女の持つカリスマ性、もしくは王の資質のおかげかもしれない。
「また作りたてのソーセージを食したいなー! 市販の物もよいが、やはり作りたてはモチモチしておるし、魚の甘みも強くて格別だしな!」
いや、それ餌付けでは? そんな声がどこからともなく聞こえてきそうだが、これでいいのだ。
アカーシャ的には、なにも問題ない。
そう、問題ない。
そんないつの間にか人脈を構築していた? アカーシャは、日記を異空間にしまって、今度は前日に魚屋で購入していた金目鯛を冷蔵庫から取り出したかと思えば――。
「ふむ、煮付けがいいな……であれば――」
パントリーの下段、年中日陰で涼しい冷暗所から、料理に合うお酒を見繕った。
「あったーー!! これだ、これ!」
(魚料理には、この日本酒とやらが合うからなー! ムフフ!)
日本酒片手にニマーっと顔を緩ませるアカーシャ。
その頭に浮かぶは、もう当たり前となった日常。
ダイニングで料理を食べて美味しいと喜ぶ千恵子の姿、お酒を飲んで顔を赤らめながらも、自らを褒めてくれる千恵子の姿だった。
「旦那様はお酒を飲むと正直になるからなー、今思い出しても、可愛い……ムフフ」
ついついニマニマしてしまう。
少し前までなら、千恵子の姿だけ思い起こして終わっていた。
だが――。
今は違う。
千恵子の隣に座り、笑い合いながら過ごす“未来の当たり前”を、はっきりと思い描けるようになっていた。
……ただし。
(一緒に食べてぇー、お酒を注いでぇー、あわよくば、直に匂いも嗅ぎたいな〜! グヘヘ〜!)
……ちょっぴり願望が漏れすぎている気もするが、まぁ、それはそれとして――すっかり居場所を見つけた王様である。
もう一人ではなくなったアカーシャは、数秒間イマジナリー千恵子とのイチャチャ(アカーシャ的には)に浸ると、パンッ! 頬を叩いて、
「いかんいかん! つい我を忘れてしまったのである!」
そういうと、今度は日本酒をキンキンに冷やす為、冷凍庫に入れた。
そして流れるように調理を開始した。




