ひとりぼっちの魔女が選んだ道
惚れ薬事件の翌日。
誰も行き着くことのできない孤島にある深い森”最果ての森”の奥、キルケーはひとり、薬釜の前にいた。
「さすが、アカちゃんの選んだ人間だよね〜」
虹色から草色、ひとかきするごとに怪しく輝きを変える釜の前で呟く。
惚れ薬を渡して、アカーシャの想い人である千恵子を試した。それはアカーシャを大切に思ったからこそのお節介であった。
上手くいって欲しいと心から願っていた。
けれど、上手くいくはずがない――そう思ってしまう自分も確かにいた。
「いいことに違いないんだけど……なんか少し、羨ましいかも……ね〜」
漏れ出た本音。
違いを知って互いを認め合う、確かな絆。
そこには薬なんか必要ない。
「僕にも……そんな相手できるかな〜……って、ありえないか♪ ふふっ」
悪戯っぽい笑みを浮かべた。
けれど、その表情には寂しさが見え隠れしていた。
魔女キルケーの起源――それは古き神の血筋、薬学の神を親に持ち、寿命という概念がない存在。
だが、育ての親はただの魔女だった。
それも親である薬学の神が、どこからか連れてきた素性もわからない、名をアリスという老練な魔女であった。
彼女は、若い頃。
冒険者を生業にしていたらしく、まだ幼いキルケーに世界の素晴らしさ、誰かと縁結ぶことの大切さ、自身が経験した冒険譚を毎日、その枕元で語っていた。
しかし、そのアリスもかなりの歳だったのか、キルケーが六つの歳にはなる頃には、眠るように亡くなった。
「大丈夫。あんたは、ちゃんと生きていけるよ」
それが、アリスの最期の言葉。
気まぐれで毒舌だったけれど、どこまでも強くて優しい魔女だった。
キルケーは、ずっとその言葉だけを胸に生きてきた。
だから、彼女は今、一人なのである。
厳密に言えば、神の恩恵を受けた孤島には、さまざまな薬草、植物、魔物が生息しており、何も天涯孤独のような生活を送っているわけではない。
それに知識を得たければ、育ての親が残した莫大な量の本があって、もし人恋しければ、同じく置き土産である扉(転移魔法が施された)を使えば、どこにでも訪れることができるのだ。
夜の国であったり、エルフの森であったり、ドワーフの里であったり、ドラゴンの住まう山に、人間の国へだって……だが、今は違う。
いや、訪れることはできる。
けれど、心が躍らないのだ。
かつては、扉の先に広がる肥沃な大地に見たことない生物、多種多様の種族、初めて触れる文化など。
その全てに心を震わせた。
でも、もう何も動かない。
何も感じない。
それはきっと……途方もない時を生き抜き、全てを見てきたから――どんな栄華を誇る国も、どんなに賢い種族も、最期は全て一緒なのだ。
いつしか世界の主権争いを始め、その数を減らし、それを代替わりしても繰り返すのである。
何度も何度も、何度も――キルケーは、その事実を目の当たりにしてきた。
だから、良くも悪くも何も感じない。
もちろん、最初の頃の彼女は違っていた。
まず生まれてから、百年。
この頃は人間と同じように悲劇があれば心を痛めた。
生まれてから、五百年。
争い自体に少しずつ干渉するようになっていた。
得意な薬学をいかして、種族間のわだかまりを無くそうとも試みた。
傷の治りが早くなる薬や、寿命を延ばす薬、姿を変える薬などを用いて、それぞれのコンプレックスを解消しようとしたのだ。
けれど上手くいかず……いや、火に油を注ぐ形になってしまい、今度はその薬を手に入れる為、争いが巻き起こった。
そして、生まれてから、二千年以上経ってからキルケーは理解したのである。
どうしようと、歴史は繰り返されるということを。
だが、その事実を知った時には、もう周りには友と呼べる存在は居なくなっていた。
勇猛果敢な人間の戦士は戦や病でその命を散らし、病にも強く魔法に長けたエルフや屈強なドワーフなどの長命種であっても、二千年を越えた辺りから一人、また一人と寿命を迎えていった。
だから、キルケーはひとりぼっちで、自分すら客観的に見れるほど、達観しているのだ。
そんな中。
彼女と同じく不死であった最も古き友人、アカーシャの父ウラド・ロア・ブラッドレイから、連絡が来た。
「実の娘に薬学を教えてやってほしい」と。
今まで経験してきたことに比べたら、大したことのない役目。
子供に薬学を教えるなど、自分でなくてもできる。
けれど、この発言を受けた数秒後。
キルケーは、この長い生涯で、自らがしていないことがあったことに気付いたのである。
それは教育であった。
久しく高鳴らなかった胸が高鳴った。
まだ、経験していないことがあったことに。
なので、キルケーは、迷うことなくアカーシャの師となることを申し出た。
それが、この選択が彼女――キルケーの運命を変えたのだった。




