二度あることは三度ある。
フリーディアとアカーシャが愛美の住まいを訪れてから、一ヶ月後。
季節は移りゆき、ジメジメし始めた梅雨の時期。
休日ということもあり、千恵子はリビングのソファーに腰を落とし、テレビで録り貯めた番組やサブスクを用いてアニメなどを観ていた。
一方、アカーシャはというと、ソファーの隣で洗濯籠を抱えて、
「せっかくの休日だというのに、雨であるなー……」
カーテンをズラしてアカーシャは外を覗いていた。
晴れの日であれば、手際よく選択を干し終え、千恵子の隣に座って魚肉ソーセージ片手に目を輝かせていた。
けれど、今はどんよりした雨空と同じ表情をしている。
(洗濯物をしたかったのかー……本当、すっかり馴染んじゃって)
「雨だねー……でも、そういう時もあっていいんじゃない? 今日くらいゆっくりしようよ」
「チッ、チッ! 旦那様はわかっておらぬなー。家事に休みはないのである! そういった言動はよくないぞ」
千恵子の思いやりに対して、アカーシャは指を前に出して真っ向から否定した。
(世にいるお父さんの気持ちってこういうやつかー……あはは……まさかわかる日が来るなんてねー)
やってもらっていることに感謝していないわけではなくて、ただ単純に気遣っただけ。
それなのに、虎の尾を踏むことになってしまうのだ。
いや、アカーシャはヴァンパイアなので、虎の尾ではなくて蝙蝠の羽を掴むといった感じだろうか?
(いやいや、それじゃあ自分から掴みにいってるじゃん。何考えててんの、私)
今日もツッコミが冴えわたる千恵子である。
すると、その隣から知らないやんわりとした声が響いた。
「雨だねー♪ こういう時は、カビが発生しやすいから気をつけるんだよ~」
(ん? 誰?)
千恵子が後ろに視線を向けると、そこには尖った帽子、艶やかな白金色の長髪に豊満な胸……そして怪しげなローブ姿、いかにも魔女です。というそんな人物が何食わぬ顔でソファーに座っていた。
(胸、でっか――)
その胸に釘付けとなってしまい、固まる千恵子。
だが、瞬時に回復して、
「いや、あの……どちらさまですか?」
社会で働く女性として対応した。
「あ、ボク? ボクはねキルケー! アカちゃんのお友達だよ!」
(だよね……さすがに三度目となると、もう驚きもしないよ。胸はやばいけど……)
またもや目の前で揺れる二つの山に、視線を奪われて、動きを止める。けれどそこは社会で働く女性、即座に本筋へと戻って、
「山本千恵子です。アカーシャの……まぁ、身内みたいなもんです」
ちゃんと名乗った。
ちなみにアカーシャのことを身内と言ったのは、無意識である。
その発言を耳にしたアカーシャは、にんまりしている。
「ムフフ……」
(いや、なんでアカーシャが喜んでいるんだよ!)
こういう時に限って気付かない千恵子である。
(じゃなくて! それよりも、どうやって家に入ってきたかだわ! さっきまでアカーシャと二人きりだったよね? ダメだ、よくわからない。仕方ない、本人に聞くか……)
「えーっと、友達かどうかを聞いているわけじゃなくてすね……」
「じゃあ、なんだい?」
「勝手に、人の家に入るのはちょっと、モラルに欠けているとは思いません?」
「アカちゃんには許可を取ってたよ? ね?」
キルケーは注意する千恵子から、ベランダを覗いているアカーシャに視線を移す。
その言葉、視線に気付くとアカーシャはなに食わぬ顔で返事をした。
「うむ、我が入れたのである!」
「入れたんかい! いや、それは……それとしてですね――」
「よくわかんないけど、落ち着いた方がいいよ〜」
「お、落ち着いていますよ? 私は」
アカーシャの勝手な判断と、にっちもさっちもいかない自らをキルケー名乗った人物に苛立つ千恵子。
(なんで、こうも話が通じないんだよ! アカーシャの知り合いはっ! てか、アカーシャもアカーシャ! この家の主は私だっての!)
「大丈夫〜?」
「大丈夫です!」
「そう? でも、大丈夫っていう時の方が危ないっていうからね〜」
「はぁー……そうですね」
こんなふうに千恵子がキルケーと禅問答のようなやり取りを続けていると、アカーシャがリビングの窓を開け、
「よいっしょっと!」
ベランダから身を乗り出して、背中から黒い翼を生やした。
今にも飛び立ちそうな雰囲気である。
「ちょ、ちょっとアカーシャ?! 何してんの?!」
「いや、梅雨とやらに腹が立ってきてだな。ちょっと雲を消してきてもよいか?」
「ダメ! てか、どうやって消すの?! いくらアカーシャでも無理でしょうよ!」
「そうか、簡単であろう? 我が上空まで飛んでいって」
「飛んでいって?」
「転移魔法を発動して」
「て、転移?」
「うむ、転移だ」
「まぁ、うん」
「でだ、ところ構わず、バンバン放つのだ! あ、ちゃんと隠形の魔法は使うから安心してほしいのである!」
「違う違う、そこじゃないからね!? いい?! 天候とか簡単に変えたらダメなの! ちゃんと意味だってあるんだから」
「ふむ……意味とな?」
今までのアカーシャであったなら、普通に千恵子のいったことを鵜呑みにしていた。
しかし、学んだのである。
日本の文化や歴史を効率良く覚えることのできる、サブカルチャーで。
(め、珍しく、食い下がらない?)
虚を突かれたことで、千恵子はコンマ数秒反応が遅れて、
「えーっと、雨降って地固まるとか……そういうやつだよ」
曖昧な答え、そしてキレを失う。
その機微を察したのか、アカーシャは目を細めてじーっと見つめた。
「ふーん」
「なにさ、その納得いっていなさそうな顔は」
「特になにもないのだ」
(たぶん、これさ意味をわかってて、不貞腐れてるよね。ヴァンパイアの適応力恐ろしいわ……お世話になっているから、何とも言えないだけどねーって、これじゃ……完全に尻に敷かれた夫じゃん!)
気付き、何とかブーメランを回避した千恵子である。
一方、円熟味が増した千恵子とアカーシャの寸劇に飲み込まれてしまっていた魔女キルケーは、放置プレイに困り果てた様子だった。
「あの~ボクはどうしたら……」
軽快な口調ではあるけれど、視線は千恵子とアカーシャを行ったり来たりと泳いでいる。
だが、イベントの渋滞により、千恵子の脳内回路はパンク寸前で、脳内の千恵子が書類を投げてストライキしているレベルだ。
「あー、聞こえなーーーーい!」
と言い放った一人ストライキ状態の千恵子は、リモコンを手に取り、録り溜めたほのぼの人外アニメに切り替えた。
「ええ……せっかく面白いもの持ってきたのに〜! ボクが調合したんだよ〜! これがあればみんな幸せになれると思って♪」
画面では、人外ゆるキャラたちが笑っているが、現実ではキルケーの残念そうな&ちょっと浮かれたような矛盾した声、そしてカランカランと不穏な音が鳴り響いている――。
(面白いものに……魔女が調合……嫌な予感しかしない……)
波乱を呼びそうなキルケーの発言に、千恵子はテレビの音量を上げていき、聞こえないフリをする。
(……絶対、見ない。見たら負けだわ……これ)
どんなフラグであろうとも、見なければ立つことはないのである。
これがアカーシャと出会う前の千恵子なら、不機嫌になっていたはず。
けれど、楽しそうな声と、何かが動く気配に、千恵子はため息をついて、
(ふふ……まぁ、賑やかな方がいっか)
テレビの音に耳を傾けながら、そっと心で呟く。
突然、現れたキルケーにも動じることなく、ぶった斬る千恵子だったが、相反する気持ちも抱いていたのであった。




