ちょっぴり特別な時間
朝食の支度に、ゴミ捨てを終えたアカーシャは、魚肉ソーセージ片手に、彼女のバイブルとなっている【戦え、ヴァンパイアちゃん】の最新刊を読んでいた。
(ふむふむ……吸血行為にはこういった意味合いがあるのか……なんとも人間らしいこじつけだなー……そもそも、我は日光の光なぞに弱くはないぞ? だが、拳一つで活躍するという点は、やはりよいな!)
自分の住む世界では、吸血という行為自体に特段意味はなかった。
生命活動の補助的なもので、つまりは、いざという時の捕食行動に近く、普段は人間と同じように食事をしていた。
それをこの世界の漫画や小説、アニメといったものでは、必ずといっていいほど、恋や愛という特別な感情に結びつけている。
(恋や、愛は……我にはわからぬ。が……旦那様は我にとって必要ということは理解できる……む? ということは、これが恋だったり、愛だったりするのか? よくわからんな……まぁ、よいか!)
ヴァンパイアの結婚感というのは、人間のそれとは乖離している。
人間は弱く寿命も短い。誰かと支え合うといった性が種族の生存本能として刻まれている。
けれど、ヴァンパイアは違う。
千年、万年……ドラゴンや妖精、魔女といったこの世界では神話などで語られる存在。
圧倒的な寿命に、一騎当千の力、魔法にも長けており、寄り添う合うという価値観が存在しないのである。
アカーシャも、千恵子と出逢った瞬間はそうであった。
だが、本人も気付かぬ内に抱いた恋という特別な感情が、いつしか役に立ちたいから、もっと千恵子個人を知りたい。という気持ちに変化し、それが彼女の合理的な思考と合わさり、夫婦となる選択をさせたのである。
しかし……当の本人はやはり、気付いておらず、新しく触れる価値観に夢中となっていた。
主人公と自分を重ねては、ご機嫌になったり、現実との違い首を傾げたりといったように。
「というか、フフッ、な、なんなのだ? この神父が掲げた十字架は?! ヴァンパイアに効かぬぞ? やはり、ここに書かれているものは娯楽に近いのだな! にしても、マヌケな……クフッ、アーハッハハー!」
【戦え、ヴァンパイアちゃん】を読んで、魚肉ソーセージを頬張っては、お腹を抱えて大笑い。
これが愛しの旦那様が起きてくるまでの、嫁? アカーシャの特別な時間だ。
「ふむ……もう少しだけ、ゆっくりしていたい気もする……が、そろそろ、旦那様が起きてくる時間だしな……」
アカーシャはリビングの壁に掛けられた時計へと目をやる。時刻は【6時00分】、千恵子を起こす時間だ。
「それに、早く我の手料理も食べて貰いたいしな! よし! 起こしにゆくか! どんな反応をするか楽しみだな……ムフフ」
もう少し寝かせて起きたい気持ちもありつつ、千恵子との時間を共有したいアカーシャであった。
☆☆☆
香ばしいパンの匂いと、コーヒーの深い香りが漂うダイニング。
二人掛けテーブルセットには、アカーシャの準備した朝食自家製サンドウィッチとコーヒーが並べられていた。
アカーシャの座る目の前で、千恵子がサンドウィッチを一口、二口と口に運ぶ。
「おお……美味しい! このタルタルソースも手作りかー! というか、ヴァンパイアの適応力凄すぎるって……来た頃は包丁の扱いも怪しかったのにさ、完璧だし。パンだって焦がしてたのに……」
死んだ魚のような目から、僅かながら光が宿り、活け締めしたくらいの目になった。
(ムヘヘ〜♪ 美味しいであろう? 我が作ったのだからな!)
胸の内でドヤるアカーシャである。
そして口には出さず、アカーシャはテーブルに肘を着いて、にんまりと微笑む。
その表情に不信感があるのか、千恵子はササッと首元を押さえた。
(む、まだ我を警戒しておるな……まぁ、仕方あるまい。初めて会った時から色々あったしな。だが、最近は我との生活にも少し慣れてきたように見える。フフ、もう少しすれば完全に安心しきるであろう……ムフフ)
「なに? 人の顔を見て笑ちゃって……血はやらないよ?」
考えがダダ漏れなアカーシャの表情に、千恵子は二度あることは三度ある、出逢ってから二回吸われているわけで(ほぼ自分のせい)、少し疑うような視線を向けた。
(もう勝手には吸わぬと言ったのに、旦那様はなかなかに警戒心が強いなー……まぁ、それが旦那様の良いところではあるが、しかしこのままではなーどうしたものか……)
どうすれば吸わないということ信じてもらえるだろうか? 誠心誠意説明すれば、わかってくれるのだろうか?
いや、それは千恵子の性格を考えるとあまりにも愚策、であれば――。
(うむ、行動で示す他ないな! 王として!)
王として……というのは、適切ではない気がするけれど、アカーシャは自分なりに、とても真剣に疑いの目を向けられたことに対して、思いついた策を講じた。
「だ、大丈夫なのだ!」
と言いながら、テーブルの脇に置いていた魚肉ソーセージに手を伸ばして、
「我にはこれがあるっ!!」
まるで有名な時代劇のワンシーンのように、その手にある魚肉ソーセージを千恵子へとバーンっと出した。
その名も【この印籠が目に入らぬ】か作戦である。
まんまじゃないか! というツッコミ待ちのような作戦名ではあるけれど、アカーシャ本人は全く持って真剣と書いてマジな感じであった。
重要なことなので、もう一度言おう。
マジであった。
(フフッ、完全に決まった!)
魚肉ソーセージ片手に勝利を確信するアカーシャ。
その様子に千恵子は、呆れながらもツッコんで、
「いや、魚肉ソーセージが印籠って……助さん格さんもびっくりだよ……」
今度はなにやら思い出したかのように、アカーシャに尋ねた。
「そういえば、気になってたんだけどさー、アカーシャってお肉とか食べたりしないの? 私のイメージだと、吸血しなくても内臓とか、血が多く含まれる物を好んで食べてるって感じだけど……」
「ああ、臓物の類かー……うーむ……そういった物も、いいのだが……個人的は魚の方が好みであるな。臭さとかマシだしな……まぁ、我はヌルヌルが嫌いなので、生の魚は受けつけんが……」
思い起こすは、その昔、他国に訪れる際、船に乗った日のこと。
その時、大きなイカ……いや、タコ。
つまりはクラーケンに絡まれて、墨をかけられたり、生臭い足でベチャベチャにされた。
それがアカーシャにとって、トラウマとなり、磯臭さとヌルヌルが無理になったのである。
(……あ、そうであった! 旦那様は、こういう話をすると喜ぶのだったな!)
過ぎ去りし日々を振り返りながら、ふと羊皮紙にメモしたことを思い出した。
千恵子がこういった彼女にとって日常、その世間話が大好きなことを。
「コホン! わ、我がなぜヌルヌルを嫌っているかだが、実は……その――」
アカーシャはわざとらしい咳払いをし、チラり千恵子の反応を伺う。
「その?」
(フフッ、やはり気になるのだな!)
グイッと前のめりになる千恵子へ、内心ウキウキモードのアカーシャである。
そして、釣った魚を逃がさんとばかりに、魔物の名前を言い放った。




