当たり前となった日常
チンピラ集団との一件があった日から、数週間後。
まだ日の出前で、薄暗い千恵子の寝室。
そこには枕元に積み上げられていたはずの漫画や小説はなく、牛乳瓶のような眼鏡は、ケースに入れられていた。
それもこれもちゃっかり千恵子の隣で寝ている子供姿のアカーシャの功績であった。
ちなみに、子供の姿に戻ったのは、こっちの姿で千恵子に褒めてもらいたいという何ともいじらしい理由である。
そんな彼女は眠気眼をこすると、部屋に掛けられた時計で時刻を確認する。
(そろそろ起きねばな……)
そう心の内で呟くと、自らの左側で寝息を立てる愛しの千恵子が寝返りをうって、アカーシャの腕を掴んだ。
(む、むぅ……心臓に悪い。こ、こ、これは寝相が悪いだけであったな……)
ドキがムネムネなアカーシャである。
だが、声を上げることもなく、吸血行為もすることなく、優しく腕を振り解いて布団を被せた。
(旦那様は最近、我に頼るのが当たり前になってきておるな……フフフ! っと、安眠妨害は、仕事の敵であったな! 旦那様を起こさぬようにせねば……)
そこから慎重にベッドから降り、空間魔法を使って、いつぞやの羊皮紙を取り出し、メモに目を通してからの、抜き足差し足忍び足。
細心の注意を払いながら、部屋から出ていき、扉をそーっと閉め、「へーんしん! 最強ヴァンパイア、アカーシャ登場なのだ!」とかなんとか言いながら(小声で)、パチンっと指を鳴らして着替える。
バレンタインのお返しに千恵子からプレゼントしてもらった蝙蝠柄のパジャマから、いつもの【ちえこの嫁】と書かれたダボダボパーカー&フリルショートパンツ+蝙蝠柄のエプロン(これも千恵子からもらった)姿に。
「ムフフ〜! 今日も華麗に決まったなっ!」
ご満悦なアカーシャである。
ちなみにこの特徴的な掛け声だが、必要か、必要でないかと聞かれたら間違いなく後者であろう。
では、なぜ彼女が口にするのかだが、これはアカーシャが初めて読んだ漫画【戦えヴァンパイアちゃん】の有名なセリフなのだ。
そして、彼女はその主人公、マヒルの格好を真似するほどにのめり込んでいる。
つまりは……。
(推しという概念はイマイチよくわからんが、旦那様が好きな物は、我も好きだしな……もしや、これが推しということか?)
千恵子=推しのせいで、もうすっかり現代に毒された最強ヴァンパイアということである。
この時点で時刻【5時00分】。
アカーシャは、その足でテクテクと玄関先に向かう。
着いたら、そこに置かれた姿見鏡を見て、顔をパンっと叩き、気合いを入れてから朝の支度に取り掛かった。
「よぉし! やっていくのであるっ!」
そう、こここからが新妻? 一日の幕開けなのだ。
まずは、駆け足でキッチンへと向かい、冷蔵庫から朝食の材料をピックアップする。
(昨日は……米であったな。であれば――)
「ふむ……今日はパンでよいか!」
メニューを決めたアカーシャはハム、レタス、前日に作り置きしていたタルタルソースを手に取って良く切ったり、さいたり、小鉢に分けたりと、手際よくこなしていく。
このヴァンパイア、やればできる子なのである。
そこから流れるように、パントリーからの食パンを取り出して、空中に放り投げた。
「それーっと!」
パンが宙を舞っている間に収納スペースから包丁をまるで剣を抜き放つかのように出し、目にも留まらね速さで、食べやすい大きさに切り揃えて、
「ざんてつけぇぇーーーん!!」
つい最近、アニメで目にした侍という人間の亜種みたい種族(アカーシャはそう思っている)の真似をした。
そして切られたパンが落ちてくるタイミングを見計らって、食器棚から、平皿を取り出し落下地点に。
パフパフパフと、小気味いい音を立てて、平皿に乗るパン。
そんなパンをアカーシャは満足そうに見つめて、
「フフッ! さすが、我、完璧であるな!」
いつものように腰へ手を当て鼻高々といった感じだ。
(あ、そうであった。ゴミ捨てもせんとな)
今度は冷蔵庫に貼ったゴミの収集日確認して、ゴミを纏めて捨てに行った。
☆☆☆
マンションの一階、階段を下りた先にある入居者専用のゴミ置き場。
そこには雨の日でもゴミ捨てができるように、屋根が設けられ、前後には扉が取り付けられている。
簡素ではあるが、建物として成り立っている小屋があった。
その中でアカーシャは、この世界の法律に則って、ゴミ捨てをしていた。
(なんというか、毎回思うのだが……人間というのは、細かく分けるのが、好きだな……)
燃えるゴミ、燃えないゴミ、ビンに缶、電池に粗大ごみ。その他にも細かいルールが設けられている。
(こういうのなんと言うのであったかな……ふむ)
山積みにされたゴミを前にして、腕を組み考えるアカーシャ。
「あ、そうであった! 初見殺しというのであったな!」
別に間違ってはいない。けれど、どこかズレているアカーシャである。
(こんなゴミを捨てる行為であっても、頭を使わしてくるとは、やはり、我には人間の考えていることはわからん! まっ、我からすると旦那様の以外の人間はどうでもいいのだがな……あ、まなみは臣下であったな……ふむ)
恐ろしいのか、恐ろしくないのか、なんとも判断に困ることを思い浮かべながら、アカーシャはゴミ捨て場をあとにしようとした。
すると、タイミングを同じくして、マンションの住民が現れ、親しげに話し掛けた。
「おはようー! アカーシャちゃん、今日もゴミ捨てかい偉いわね!」
「うむ! 愛しの旦那様の為であるからな!」
「旦那様だなんて、ふふっ! きっと山本さんも喜んでいるわね!」
「そうだな……そうであってほしいな! その為に、今日も頑張らねば……ではな――」
「はーい! 山本さんにもよろしくねー」
「うむ、任せるがよい!」
アカーシャは特に揉めることもなく、卒なく言葉を交わして、その場をあとにする。
(人間とは、不思議だな……表面上ニコニコしておれば、親しげに話しかけて来るのだから……)
このヴァンパイア、千恵子や臣下以外の人間に対して、情などは持ち合わせていない。
しかし、これがアカーシャにとって、当たり前であり、常識なのだ。
(まぁ、悪い気はせんがな……っとそんなことはどうでもいいか、早く支度を終わらせて、戦えヴァンパイアちゃんの続きを読まねば!)
難しい顔から、一転、無邪気な表情を浮かべて、軽快に階段を駆け上がっていった。




