可愛い部下兼同志
あれは五年前、千恵子がまだ役職の付く前で、愛美が入社一年目のだった頃。
千恵子と愛美は、たまたま同じ大衆食堂で昼食を取っていた。
千恵子が店内の少し奥にある窓際の席、愛美がその後ろの席といったように。
いつもなら、席に着くなり大盛りの一番安くて美味しいカレーライスを注文していた。
だというのに、気になって振り向いた先にいた愛美は、冷水を片手に俯いて黙り込んでいるだけ。
だから、千恵子は心配になって声を掛けた。
「今日は何も食べないの?」
その時だった。
「私……全く成長出来ていないんです。皆さんに迷惑ばかりかけて――今だって、こうやって山本さんの優しさに甘えて……」
彼女の言葉を受けた愛美が突然泣き出したのである。
目の前で人が泣いたら、色んなことを思うだろう。
それこそ「泣いても意味はない」と辛辣な言葉を投げかける人間だって、けれど、真面目で純粋だからこそ、自分ができないことを大きく捉えてしまった。
そして、その口に言い表せない思いが、こうやって、涙となって表に出てきた。と千恵子はそう捉えたのである。
なので――。
「誰だって、失敗はあるし、泣いてもいいんだよ? でも、食べられる時にご飯は食べないとね? あ――っ! そうだ! 魚肉ソーセージいる? 夜食に買ってたんだよねー!」
今、愛美がアカーシャに与えたように、コバラサポート用に買っていた魚肉ソーセージを鞄から取り出して渡した。
「……ありがとうございます! 頂きます」
それを、その魚肉ソーセージを顔を鼻水や涙でぐちゃぐちゃさせながらも、美味しそうに食べたのだ。
(もう五年も経つのかー……本当に色んな意味で腐れ縁だね)
彼女が愛美との日々を懐かしんでいると、千恵子に買って貰った水をアカーシャが手に取って、
「我は構わんぞ?」
ゴクリと飲み二人に向けて返事をした。
「アカーシャがいいとか、悪いとかじゃないの! 私は仕事で面倒見られないんだからね?」
旦那というよりは保護者な千恵子である。
「う、うむ……では、こういうのはどうだ?」
アカーシャは一度、名前を呼んでもらったことで耐性が出来たらしく、顔を赤らめてはいるものの、噛みつきたいという衝動は少し落ち着いて、ちゃんとやり取り出来ていた。
けれど。
(噛んでこないし、叫ばない。成長なのかな……でも、やっぱり顔見ないし、怪しい……)
依然として千恵子の目を見ようとしない。
それどころか、
「我がま、ま、毎日送っていくというのは? 通勤とやらはストレスがたまるであろう? 家が心配であればそちらも任せるがよい!」
こうやってカミカミになりながら、提案をする始末である。
(ますます、怪しい……絶対、何か隠してるよね)
アカーシャが送ると言っているのは、転移魔法で送るという意味合いだろう。
しかし、そうなると色々とおかしな点が出てくる。
(不本意ながら、アカーシャは私にぞっこんだと思う。それなのに……)
嫌がり苦しむかも知れないことを敢えて、提案してきた。
その上、自分から家を任せろという、口するはずのない言葉である。
(……どういう風の吹き回しだよ)
何かしら裏があるに違いないと思う千恵子であった。
☆☆☆
お昼休憩が終わろうとしていた頃の休憩室。
なんだかんだと言いながらも、和やかなおしゃべりタイムは続き、話はアカーシャに帰ってもらうか、どうするのかという話題になっていた。
「旦那様の仕事がなんであるかはわからんが、忙しいのは理解した。だからこそ、我が必要だと思う! 我であれば邪魔する人間は我が全て生き血を抜いて、干物にもできる。なんだったら串刺しにして、この細長い城の前に置くのも可能なのだ! なのでだ、早く済ませて充実した新婚生活とやらを初めようぞ!」
(まーた物騒なことを……というか、それただの欲望だからね……)
とんでもないことを言うアカーシャに、千恵子が心の内でツッコむ中。
アカーシャはまたまた、ズレた答えを腰に手を当てながら口にした。
「であるからしてだ! 旦那様に面倒などかけぬ! 安心して仕事をこなすがよい!」
「いや、もう……」
(所構わず噛みつこうとする癖は、収まったのは良かったけど、やっぱりなんかズレているんだよね……私、旦那のままだし……まぁ、良いんだけどね)
自分を貫いて満面の笑みを浮かべるアカーシャ。
対して、彼女を変えようと説得するも失敗ばかりで肩を落とす千恵子。
人を変える事は難しいということを証明したいい例だろう。
厳密に言うとアカーシャは人間ではないのだけれど。
「あははー! 設定しっかりしているね! さすが、山本さんの血筋」
頭を抱えている千恵子とは違い、愛美は何やらご満悦といった感じだ。
「ま、まぁね」
(こっちもこっちでだし)
気苦労が絶えない千恵子である。
「ん? 設定などではないぞ? 我は夜の国の王であるし、れっきとしたヴァンパイアだ」
アカーシャは二人の会話に首を傾げると、パチンと指を鳴らして、
「これでどうだ?」
こともあろうか、隠形の魔法を使用した。
このヴァンパイア、リスクマネジメントがまったくできていない。
気を許すラインが高いくせに、一度でも気を許してしまえば何も気にしない。
豪快のような繊細なような、実に困った王様である。
「いや――ちょっ――」
千恵子が立ち上がり、制止しようと試みたが……時すでに遅し、姿は煙のように消えて見えなくなった。
(やばい……これじゃ言い訳できない。何でしちゃいけないことがわからないの? さっきも騒ぎになり掛けたのに!)
千恵子は憤り焦っていた。
けれど、よくよく考えてみれば、この世界で何がダメで、何がいいかを説明していないことに気付いた。
気付いてしまったのだ。
(あれ? これもしかして、私の監督不行き届き……?)
違う、断じて違う。
事の顛末を知っている者なら、そう証言してくれることだろう。
だが、残念なことにこんな摩訶不思議な出来事を。
あり得ない出来事を。
説明したところで理解できる人間なんて、千恵子以外にはいな――
「え――っ?! すんご! 不思議な子だとは思ってたけど、まじもんだったんだぁ……」
――いた。
己が蓄えてきたオタク知識を総動員し、脳内CPUをフル回転させて、瞬時に千恵子と領域に至った者が、未知との遭遇に目を輝かせているオタクが。
「フフフッ、理解が早いな。さすが我の臣下」
「はい! 殿下!」
再度、パチンと指を鳴らして姿を現した、アカーシャに跪いて臣下の礼を取る都会で働く女性。
葛城愛美二十八歳、愛称マナちゃんである。
「だが、まだ驚くには早いぞ! こんなことも出来るのだ!」
アカーシャはそう言うと、もう一度、指をパチンと鳴らした。




