けれど、悪い子ではない
絶賛道路へと、コロコロと転がり続けているアカーシャはその回転が速いようで、目を白黒させていた。
それが、あまりにもコミカルな描写だったからだろうか、千恵子は一部始終を見ていたというのに、心配よりも驚きが勝って、「ええ……」目を丸くして声を漏らした。
(ええ……じゃないわ!)
けれど、心の内で自らにツッコを入れ、頭をブンブンを振って、「誰か止めてぇぇぇぇーーーーーー!!」力の限り叫んだ。
アカーシャその声に反応し、真紅の瞳を光らせると、同時にバサリと艶やかな翼を背中から生やす。
そしてクルリと華麗に一回転し地面を蹴って宙に留まった。
「やってしまった……」
確かに止まってとは叫んだし、無事を願った。
けれど、これではあまりにも――。
「誤魔化せないよね……」
千恵子の言う通り、その姿を目にした人たちは数刻に及ぶ沈黙の後。
声をあげた。
それはもう、大きな声。
興奮や憧れ、恐れ色んな興味が入り混じった歓声であった。
それは道行く者にも、車やバイクで道路を走行する者にも届いてしまって……皆、足を止め、翼を羽ばたかせて宙を浮くアカーシャに釘付けとなっていた。
遠くから鳴るクラクションが、この場面の異様さを掻き立てる。
(まずい……ヴァンパイアってことが、バレたら――)
その状況に千恵子は、恐怖にも似た不安を感じて、
「アカーシャ!!」
咄嗟にその名前を叫んでいた。
千恵子の鬼気迫る表情に心配するような声色、それに何処か身に覚えのある人間特有の興味から来る嫌な視線。
「うむ!」
アカーシャもこの状況は良くないと判断したようで、パチンと指を鳴らす。
そして隠形の魔法を発動させて姿を消した。
不幸中の幸いか、目撃者はいても動画や画像を撮れた者はおらず、集まり始めていた野次馬も次第に散り散りとなっていった。
その光景に千恵子は安堵して、
「よ、よかったぁ……」
腰を抜かして、ポスンと尻もちをついた――が。
ふと背後に悪寒を感じて……
(ん……?)
振り向いたら――。
「え――っ!?」
息を荒くしたアカーシャが、犬歯を光らせて、
「旦那様が、初めて……な、名前を……我の名前を呼んでくれた……グヘへ」
不敵な笑みを浮かべて立っていた。
そう、アカーシャはあの一瞬の間に、その翼で滑空して姿を消したまま背後を取ったのである。
千恵子は顔を引きつらせながら、後ろに下がった。
「あのー……アカーシャさん?」
けれど、アカーシャはジリジリとその距離を詰めて、
「つきたい……」
視線を落として呟いた。
「つ、つきたい?」
「やっぱりぃぃぃぃーーーー! 嚙みつきたぁぁぁーーーーーーーい!!」
大空の元、めいっぱい手を広げて、消えていたはずの艶やかな黒き翼を広げて、溢れんばかりの想いを叫んだ。
そびえ立つビルに声が反射して、やまびこのように声が木霊する。
世界の中心かどうかは別として、純粋の愛なのかどうかも別としてだ。
とにかく、その言葉には間違いなく気持ち(欲望)が籠もっていた。
「は、はぁ?! だから無理だって! まだ凝りてないの?! って、翼!」
小さな体に生えた黒き翼。
千恵子が指摘するも、もはや手遅れ、アカーシャの目には千恵子しか映っておらず、翼を生やしままであった。
恋は人を盲目にすると言うが、どうやらそれはヴァンパイアにも適応されるようである。
(って、やばい! また騒ぎになる――)
千恵子は身ぶり手ぶりで翼を消すことを指示する。
(早く翼をしまって!)
けれど、アカーシャはバサバサと翼を羽ばたかせた。
(ち、違うーーーーーーーー!! しまってぇぇぇぇーーーーーー!)
千恵子は空で羽ばたくアカーシャに向かって、全力でツッコんだ。
正しい。実に正しいツッコみである。
ただしバレてはいけないで、心の中でだ。
(全く、なに考えているんだよ! 皆に見られているんだよ?)
ただでさえ、大声をあげたことで注目を浴びているというのに。
それなのに翼を動かすなど、自ら注目してほしいと言っているに等しくて、愚かな行いでしかないのだ。
しかないのに……
「フフーン! どうだ! 旦那様の指示通り動かしたぞ?」
当のおバカなヴァンパイアちゃん、アカーシャは腰に手を当て、バサバサ翼を羽ばたかせた。
何とも可愛らしいウィンク付きである。
そして今度は千恵子の元へとスタスタと歩いて、
「その、だから……血を少しだけ欲しいのだ」
指をツンツンさせながらも、真っ向から千恵子におねだりした。
(ウインクからの、おねだりって……でもなーズレてはいるんだけど、悪い子じゃないんだよねー……)
この短い間にほんの少しだけだけれど、成長したのである。
いくら好きでも(吸いたくても)、ちょっぴり欲情しちゃっても(無自覚)、無理やり襲うと相手が嫌がってしまうということに。
言うなれば、齢千歳を超えても、例えヴァンパイアであっても成長出来るという証明だろう。
だから、どうということはないのだが、恋愛初心者のアカーシャにとっては大きな一歩であった。
(成長に歳なんて関係ないしね……でも、しでかした場所が致命的過ぎる)
そんな決定的な出来事が周囲に晒されている最中。
それなりに顔も良くて、それなりに背丈もあるボブヘアが似合うスーツ姿の女性が駆けてきた。




