予想外の出来事、揺らぐ信念
その衝撃音の正体は――。
「おりゃああああああっ!」
捨て身の勢いで飛び込んできたのは、強面の人間の男だった。
「――な、なにっ?!」
取るに足らない。
そんな攻撃、平常であれば目を瞑っていても躱せる。
だが、ほんの一瞬、反応が遅れた。
対峙するは、真祖ウラドの血を引くアカーシャ王女。
養子とはいえ、王族に連なる半神半魔のアラクネ。
薬学の神の血を引き、アカーシャの母アリスに育てられた魔女キルケー。
さらに、王家の剣ランスロット家の娘であり、元王国軍騎士団長フリーディア。
いずれも侮れぬ強者である。
ゆえにサンテリは虚を突く形で先手を取った。
その選択に間違いなく油断はなかった……はずだった。
(なぜ人間がわたくしの邪魔を――?!)
予想外で理解不能だった。
魔女を守るために、人間が身を挺して飛び込むなど――そんな光景、今まで見たことがない。
(――考えるより先に動け!)
ブンブンと首を振って切り替える。
そして迫る拳を寸前のところで体を捻り避けて、着地。
間髪入れずに二撃目を仕掛ける。
「こんのぉっ! さっさとくたばれ!……」
床が割れるほどに踏み込み、体勢を立て直そうしているキルケーに襲いかかる。
けれど――その瞬間、今度は背後から何かが飛びかかってきた。
「ぬぉぉぉぉおっ!」
「むわぁぁぁあっ!」
「こ、今度はなんですかっ?!」
サンテリが振り向く。
「な――っ」
そこには思わず言葉を飲み込んでしまうほどの光景が広がっていた。
(脆弱で下等な存在が……このわたくしの手をここまで煩わすなんて――)
「あり得ない!」
パッとしない若い男たち二人が鬼気迫る表情でしがみついていたのである。
「――は、離せ! この穢らわしい人間どもがっ!」
どうにか振り払おうとするが、男たちの力は異様なほど強く、しがみついたまま離れない。
いや、普段の彼女であったなら、確実に振り解き、その生命を奪っていた。
(……なぜだ? なぜ、この人間たちは恐れない? わたくしは、人狼なんですよ?!)
そう、サンテリは戸惑っていたのだ。
恐怖も怯えもない瞳で、自分に飛び掛かってくる人間たち――ただ、ただキルケー守ろうとするその覚悟に。
(まさか、キルケーを仲間と思っているということ……? そんなバカな――)
長い戦いの中で、人間とはずる賢く、力ある者に対しては媚びへつらう。
確かにその中に秀でた者もいた。
夜の国の者に対しても、偏見を持たず肩を並べるの強さの人間たちが。
けれど、どんなに優れた者であっても、必ず終わりが訪れるのだ。
そして残された人間たちは薄情にも平和を当たり前と捉えてその歴史も存在も忘れていき、最終的には自らの保身に利益、権力を欲する。
だから、下等で愚かと思ってきた。
管理してやらないと、争いが生まれてしまう。
明らかに種として、劣化した存在。
だが今、目の前にいるこの者たちは違う。
己の命を顧みず、あの魔女キルケーを庇おうとしている。
その事実がサンテリの心をかすかに揺らす。
(わたくしは、一体……何を考えて――)
――刹那。
「もらったよぉぉぉ!!!」
軽快な声が響き渡る。
その一瞬の揺らぎを、キルケーは見逃さなかった。
サンテリはつかさず防御の体勢へ。
腰にしがみついていた人間二人を振り払い、両腕を体の前でクロスさせる。
だが、キルケーはそれも見込んでいたようで、右ストレートを撃つことはなく、
「遅いよ! サンテリちゃん♪」
そう言って、その視界から消えた。
「ど、どこに?!」
突然消えたキルケーに慌てふためくサンテリ。
「下だよ〜♪ ちゃんと目を開けていたのかな〜? 戦闘中は冷静でいないと♪」
とそれをキルケーはいつもの軽快な口調で諌めながら、ググッと屈んで――アッパーを繰り出した。
(ま、まずい!)
クロスした腕の位置を変えようとするが、時すでに遅し。キルケーの右アッパーはその顎を捉え、撃ち抜いた。
「ぐは――っ」
白銀の毛並みが舞い、白目を剥いて倒れ込むサンテリ――その場に、静寂が戻ったかに思えた。
けれど、それは突如して降りかかった。
バリン! っと窓ガラスが割れて、暗転。
光が戻った瞬間、そこに立っていたのは――白髪に漆黒の鎧を纏い、空間そのものを圧する王の風格を持つ存在。
その赤く鋭い眼光が、真っ直ぐに千恵子を捉えていた。