リビングの小さな支配者、アラクネ
「……ちえちえさんも、みんなも笑ったからですよ。私、真剣にお話したのに……カラスさんだって――」
などと、静かにでも確実に怒っているアラクネの後ろには、翼を腕のように組んだクロベエがいた。
「カアカア!」
言葉がわからない人でも怒り感じる鳴き声である。
もちろん、動物と話せる(カラスだけ?)進化型女性の千恵子には届いている。
(やっぱり、クロベエも文句あるのか……そらそうだよね……)
彼の主張は、自分はアカーシャの言うことを聞いて静かにしようと泣くのを我慢したいうものだった。
それなのに、笑われた。
それがとても屈辱的で許せないと感じたのであろう。
「クロベエ! ごめん、悪気は無かったんだよ!」
千恵子はシンプルに良くないことを謝る。
誤解というものを解決するには、素直に謝罪するこれこそが、社会を生き抜く術なのである。
そんな処世術を反射的に使っていた千恵子であったが、どうやら、その声が後方でオタクトークを繰り広げていた臣下組にも届いたらしく、
「アラクネ様にクロベエ殿、すみません……お二人が真剣だったというのに……」
フリーディアは、真摯な態度で自らの行動を恥じて、
「私もごめんね……初めての経験につい浮かれちゃって……」
愛美もまた頭を垂れた。
大人たちによる謝罪、それを受けたアラクネは、少し言い過ぎたと感じたようで、
「い、いえ……私はただ気持ちをちゃんと受け取ってほしかっただけです……少し、感情的になり過ぎたかもです……すみません……」
と、頭を下げた。
すると、その脇に立っていたクロベエも何かを感じたらしく、一歩前に出て、
「カア!」
同じように頭を下げた。
アラクネ、クロベエが頭を垂れると、申し訳なさそうにしていた愛美とフリーディアの表情が少しだけ明るくなった。
(ふふっ、これで丸く収まるかな)
千恵子も周囲に漂う和やかな雰囲気にほっとする。
事態はこれで丸く収まるかに思えた。
けれど……吊り下げられたハム状態の千恵子に熱い視線を向けるアカーシャが黙っていなかった。
「わ、我も決してバカにしたわけではないぞ? ただ、普通に面白かっただけなのだ! だから、悪意はないのである!」
謝罪したというのに、今、一番必要ないことを胸を張って口にする。
なんとも清々しいほどの間違いである。
そんな空気を読み間違えているアカーシャに、千恵子はつかさずフォローを入れようとした。
「いや……アカーシャ……」
謝罪と言うものは、二種類がある。
一つ目、真摯に事実を受け止めること。
二つ目、事実と違った部分を否定しつつも受け入れることである。
どちらであっても、誠意さえ伝われば相手を怒らせることはない。
けれど、アカーシャはやってしまったのだ。
「普通に面白かった」という言葉と「悪気はない」という、言葉を添えるといった間違った謝罪の手本となるくらいのことを。
こうなってしまっては、さすがの千恵子も訂正のしようがない。
「アカーシャ……もう一回、謝った方がいいと思うよ?」
「なにを言っているのだ! 旦那様! 我はなにも悪いことはしておらぬぞ?」
「いえ、アカーシャ様。ここは謝罪された方がいいかと」
「フリーディアまでなにを言っているのだ? だから、我は――」
「うん、我が王……ここはちゃんと謝りましょう……」
「愛美まで、我に謝れというのか、そもそも……悪いことなどしておらぬぞ?」
「いいえ、我が王……自分が悪いかどうかじゃないんです。相手がどう思うかなんですよ」
(ナイス。マナちゃん! 私が言いたかったこと全部言ってくれてる!)
部下の的を射た言葉に、千恵子は心の中で拍手喝采を送る。
けれど、そんな部下、この場にいる全員の言葉をもってしても、アカーシャには届くことはなく……
「ははーん……わかったのである! みな、我とクロベエの仲を疑っているのだな! まったく心配症なのだ! 何度も言っているが、ちゃんと契約を――」
などと、契約の話や、アラクネを追跡していた時の話などを語り始めたのである。
「だから……そうじゃないって」
千恵子が呟くが、もはやどうしようもない状況である。
アカーシャが誰の言葉にも耳を貸さない状況となりつつある中。
透き通るような声が響いた。
☆☆☆
「アーちゃん……」
声の主は、アラクネであった。
透き通っているというのに、凍るような冷たい声、でもどこか怒りを感じされる圧が宿っているように感じる。
そんなアラクネの声を受けて、アカーシャは胸の奥がざわついた。
「な、なんだのだ?! アラクネ?」
(わ、我なにかしたのか?)
思い当たることはない。
自分の考えもちゃんと伝えた。
けれど、千恵子をはじめとした全員が謝罪をした方がいいと口にする。
それだけではない。
自分がどうこう思うより、相手がどう思うのかが重要とアラクネが言っていた。
となれば、なんだろう。
かつて感じたことないほどの妹アラクネの圧にアカーシャの脳がギュンギュンと音を立てて回転を上げていく。
そして、ある一つの答えに行き着いた。
それは……
「あ、あとをつけたことを怒っているのだな!」
アラクネのあとをつけたことであった。
(ふふっ、みな、我の名推理に言葉が出ぬようだな)
名推理というか、迷推理である。
なにはともあれ、ここに名探偵、否! 再び迷探偵アカーシャが降臨した瞬間である。
これがいいのかは別として。
さすがの千恵子、そして、臣下組にクロベエ率いる小烏丸の面々も口をあんぐり開けてポカーン状態。
けれど、妹アラクネは違った。
ずんずん足を進めるとアカーシャの前に立ち、糸を切って、
「……ちがうよ! アーちゃん……ちゃんと、人の言葉を聞かないとダメだよ?」
ド正論を口にした。
結果――全ての主導権が、蜘蛛っ子アラクネに戻るのだった。




