【短編版】兄がいるので悪役令嬢にはなりません
「シャーロット・ラクシフォリア、お前との婚約を破棄する!」
王子がそう宣言した。
婚約者である私に向かって。しかも私の知らない令嬢を腕に巻き付けて。
よりにもよって、兄も来ている舞踏会で。
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「シャルのためにできることは何でもする」
兄、デイヴィットの口癖である。
私のことが好きすぎる兄の行動は、様々な場面で兄の人生に不都合をもたらしていた。
私が熱を出せば学校をさぼって看病し、単位を落とす。私が庭で転べば三週間かけて自分の手で庭を真っ平らに整地して腕を痛める。
そして、ご令嬢との初デートの時は私へのお土産を二時間かけて選びフラれた。
なによりも私を優先する、そう心に決めて行動している兄には後悔があった。
それは、私が幼かった、そして兄もまだ幼いと言えるような時の社交場でのたった一言。
「シャルが生まれたとき、俺はシャルを一生守りつづけると誓った」
兄がしたこの話を逆手に取られ、私は同い年の第二王子と婚約させられた。
『ラクシフォリア伯爵家の長男が一生守ると誓った娘と、彼より家格が下の男が結婚できると思うか? この国の王家である俺がもらってやるのだ。誰も文句は言わないだろう?』
何年も前の話を蒸し返してそう言われたらしいと、後にお茶会で噂好きのマダムから聞いた。
兄の友人であるレイに聞くと、苦い顔をして頷いたので間違いないだろう。
その結果として無能と名高い第二王子をあてがわれてしまった私は、王子がその辺に放置した書類を片付けたり、王子が理不尽に怒鳴りつけた部下のフォローをしたりと、王子の尻ぬぐいに奔走する日々を送っていた。それを間近で見ていた兄はいまだに、自分の発言を悔いている。
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目だけで兄を探す。探すまでもなく見つかった。
あまりにも物騒な顔と気配に周囲の人が距離をとっていたのだ。隣にはレイが半分諦めた顔で何かを言いながら腕をつかんでいる。レイも、かわいい妹である私がこんな目に遭っているのを見て、動かないなんてことが兄にできるとは思っていないのだろう。
「理由を、うかがっても?」
私は兄を視界に入れつつ平静を装って話を続ける。
「理由? そんなことお前が一番よくわかっているだろう。お前の家の爵位は金で買ったものだ」
「……は?」
「彼女が教えてくれなければずっと騙されていたところだった」
王子が腕に巻き付いた令嬢と視線を絡めて笑う。そして二人で私やラクシフォリア家の根も葉もないうわさを並べ立て始めた。
なんだこの茶番は。
確かにラクシフォリア家は、情報に疎い下級貴族からそう言われている。しかし、王子はそれがただの噂であることを知っているはずだ。
そろそろ私も腹が立ってきた。一発殴れば少しは黙るだろうか。そう思って軽くこぶしを握り始めた頃、兄の腕をつかんでいたレイの手は振りほどかれた。兄は迷いのない足取りで王子の前へ歩み出る。
「……これはどういうことでしょう?」
兄の感情を抑えた冷淡な声が会場に響く。
それに答えたのは茶番を繰り広げて悦に浸っていた王子。本来であれば私をエスコートしているはずのこいつは、令嬢を腕に巻き付けたまま兄を睨みつけた。
「お前たちの所業を暴いてやったまでだ。もう二度と俺の前に現れるな。ラクシフォリア家の叙爵に関わった者たちも調査する」
王子のやかましい声に兄の顔が少しゆがむ。
余計なことを言うなと目配せするが、そんなものが通じるならこのバカ王子はこんな行動を起こさない。
しかし、まさかこんなことをするとは思っていなかった。
「……殿下。私の妹、シャーロットとの婚約を破棄すると、そう聞こえましたが」
「あぁ、そう言った。金で爵位を得るような家の娘など、俺の婚約者にはふさわしくない」
王子の発言に焦っているのは周りだけ。宰相の子息なんて、酒の入った瓶を王子に向かって投げようとして止められている。
見守るしかない貴族たちのどうにかして場を収めてくれという圧を、私は一身に浴びている。
しかし、隣には言質はとったと、言いたそうな兄の凶悪なまでに美しい笑顔。
――終わりね。
王子の後ろに、慌てた顔の国王と宰相が見える。遅い。何もかもが遅い。
「では、そのように。シャル、帰りましょう。レイ、シャルを頼む」
兄は威圧感たっぷりに長いジャケットの裾を翻し、会場を後にする。
いつのまにか近くにいたレイが私をエスコートしてくれ、その後ろを歩いた。
「お待ちください!!」
焦った宰相の声に足を止め、兄はゆっくりと振り返り、優雅に笑った。私とレイを先に行かせる。何を言うつもりだろう。
小さな嫌味で済むといいが、無理だろう。脅しのようなことを始めたら止めないといけない。私とレイは示し合わせるまでもなく、歩く速度を落とす。
「我が祖国から貴国への支援は終わるとお考えいただいて構いません」
出た言葉は、脅しではなく最終宣告。
そこまで言うか。おもわず、天を仰ぐ。横を見るとレイも同じように額に片手を当てて天を仰いでいた。
「レイ、撤回してきてよ」
「……オレにできると思うか」
小声で話す私たちの後ろで兄は静かにとどめを刺した。
「王子は、我が家の成り立ちを知らないようですね。このような結果は残念です」
誰かのすがるような大声を背に、兄とレイ、私は会場を後にする。
「やりすぎでは?」
帰りの馬車に乗り込んだ私は、後悔はしていないと顔に書いてある兄に向かって言った。
「でも、すっきりしただろ?」
「……えぇ、とっても」
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「彼は……あれでも王子だろう」
レイが屋敷の窓を指さす。門前で頭を下げ続けている王子が見える。
「元だ、元」
兄が隣国に住んでいる両親への報告の手紙を書きながら答えた。私の元婚約者はあの日から数十日で王太子筆頭候補から、元王子の平民になっていた。腕に巻き付いていた令嬢も行方知れずだ。
私や兄から許しを得れば王城に戻れると考えたらしく、日中は騎士に連れて行かれるまで毎日あんな調子である。その兄の机には、王からの手紙の証である封蝋がされた封筒が何枚も置かれていた。
「一歩間違えれば国が地図から消えるんだ。あいつはともかく、王は必死だろうね」
ラクシフォリア家は隣の大国トリトニアの王家にルーツを持つ新興貴族、だと王子は思っていた。だが実際は現王弟が私たちの祖父である。
王子は時折会いに来ていた私の祖父がまさか隣国の王弟だとは思っておらず、やけに豪華にもてなしてるな、くらいにしか考えていなかった。まったく、のんきなものである。
兄が王子との婚約に口を出せなかったのは、国同士の友好関係維持のためのものでもあったのだ。
「母上の母国だ。悪いようにするつもりはないさ。まぁ、そのうち私のほうに縁談が来るだろう」
兄はそう言った。
私がムッとするのを隠さないでいると、兄は慈愛に満ちた目を細める。
「かわいいシャル。私はシャルが幸せになれる相手との結婚しか許せないんだ。わかってくれ」
「……兄さま、私も兄さまが幸せになれる方と結婚してほしいと思っているのよ? 国同士の友好関係を強める方法なんて婚姻の他にもたくさんあるわ」
私の言葉に兄は驚いた顔をして私の顔をまじまじと見た。
「どうしたの?」
「いや? 大きくなったなって」
そう言った兄の顔はいつもよりも清々しいものに見えた。
兄の後悔が見えなくなった。そう思って私が笑うと、兄はことさらに嬉しそうに目を細める。
「……いちゃつくなよ」
隣にいたレイが小さくため息をつく。それをみて兄が挑戦的に笑った。
「すまないね、レイ。まだ私が一番のようだ」
兄は悪いとは微塵も思ってなさそうな顔をしている。その視線の先にいるレイは何やら悔しそうだった。
「兄さまとレイは、何か競争をしているの?」
そう言うと、兄は声をあげて笑う。
何もわからずレイを見上げると、レイは今度はさっきよりも大きなため息をついて首を横に振った。
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