CAR LOVE LETTER 「Insignia Ambulance」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:NISSAN PARAMEDIC(FPWGE50)>
「あなた!しっかりして!」
「奥さん、大丈夫ですよ。旦那さん、聞こえますか。聞こえるなら私の手を握って下さい。」
週末の深夜の静寂を、サイレンの音が容赦無く切り裂く。
助手席の隊長は、拡声器に向かって交差点に差し掛かる救急車の存在を周囲に知らせ様と、割れんばかりの大声で叫ぶ。
俺は減速しつつ、赤信号の交差点に進入する。周りは救急車の存在を確認している様だ。
車列を縫って先を急ぐ。
「ダメだ。大学病院は拒否だ。中央病院に向かおう。」
「ここからですか?かなり掛かりますよ?!」
「そこしか受け入れが無いんだ。仕方ないだろ!」
傷病者に悟られぬ様、俺達は小声でやり取りする。
以前問題となった、病院の救急の受け入れ拒否。
ニュースなどで大きく取り沙汰されてから、最近ではいくらか減って来たようにも思えるが、やはり今でもこれは社会問題であると痛感する。
「何の為の大学病院だ。」
隊長は乱暴に無線器を放り毒づいた。
後ろでは、傷病者の処置が懸命に行われている。
傷病者は夫婦と思われる中年男性と女性のニ名。車で交差点に差し掛かった所、右折車両が無理矢理曲がって来て、避けきれずに衝突した模様だ。
助手席の奥さんには外傷はみとめられるが、彼女の意識ははっきりしており軽傷と判断出来る。
問題は運転していた旦那さんの方だ。
右折車両は運転席に直撃しており、彼は頭と胸を強打している模様だ。
意識も無く、呼吸も絶え絶えで、救命士の懸命の処置で何とか細い糸の様な物で彼の命をつなぎ止めているといった印象だ。
俺も彼の救命に加わりたい。だが俺の任務は救命活動ではなく、一刻も早くこの傷病者達を受け入れ先の病院へ運ぶべく、救急車を走らせる事だ。
「救急車が交差点に進入します。ご注意下さい!」
隊長が拡声器に向かって叫ぶも、無理に右折車両が交差点に進入してくる。
まさか進入して来ないだろうと俺には慢心があった。その右折車両に気付いたのは衝突ギリギリの所だった。
危ない!俺は急ブレーキをかける。後ろからは救命士と傷病者の叫び声が聞こえる。
同時に隊長の怒声と平手が飛んで来る。
「馬鹿野郎!!命預かってるんだぞ!しっかり運転しろ!」
そう言うとまた隊長は拡声器に向かって道を開けろと大声を上げる。
みんな必死だ。
傷病者の命をつなぎ止め様と、みんな必死なのだ。
この救急車のサイレンは、俺達の必死の叫びだ。
さっきの様な車を見ると、その叫びは届いていないのかと、憤りを感じる。
命が、懸かっているんだぞ!
俺は感情の高まりを抑えつつ、救急車のアクセルを踏み込む。じわりと、そしてしっかりと。
しかし後ろでは、また傷病者の容態が悪くなって来ている様だった。
隊長と救命士が慌てて心肺蘇生を試みる。
「あなた!ダメよ!あなた!」
「奥さん、大丈夫です。気をしっかり!・・・おい、病院はまだか?!まだ着かないのか?!」
俺達が病院に到着したのは、それから15分も経った後だった。
俺達の懸命の努力は、身を結ぶ事はなかった。
傷病者を病院へ引き渡し、俺達は消防署へと戻る。
車中では、会話は一切なかった。ウインカーの音が虚しくこだまする。
そんな重苦しい空気に、隊長は嗚咽を漏らした。
今日も、俺は命を救う事ができなかった。
俺は何て無力なんだろうか。
俺は小さい頃、大きな地震で被災した人々の姿をテレビで見た時に、今の仕事に就こうと心に決めた。
一人でも多くの人を助けたい。ただその一心で、俺は消防隊員になろうと思ったんだ。
だが、現実は熾烈だった。
仕事がハードなのは承知の上。
体力が自慢の俺だ。徹夜での救助活動だって苦ではない。
俺が苦しいと思っているのは、仕事の内容ではないんだ。
交通事故で体中の骨が折れ、腹が破れて血を流し、痛い痛いと叫びながら昏睡に陥り、救急車のベッドで絶命する傷病者。
火事で全身大火傷を負って、ぜいぜいと荒い息をしながら、ストレッチャーの上で震えて呻く傷病者。
楽しいはずの川原でのキャンプで、溺れて息の無い真っ青な顔の子供に救命処置をしている時の家族の悲痛な声。
俺達救急隊員は、そんな生々しい命の叫びを、直接自分の耳で受け止めなければならない。
そして時には俺達の目の前で、残酷にもその命の灯が消えてしまう。それが本当に耐え難いのだ。
その時、俺は自分の無力さに本当に嫌気がさす。
傷病者を死なせてしまったのは俺のせいじゃないか。俺がこの道を走らなければ、もっとスピードを出していれば、傷病者は助かったのではないか、と。
重苦しい空気を引きずったまま、その晩はあの交通事故以外にも、急に熱を出した子供と、酔っ払ってケンカして軽い怪我をした若い女の子を運んだ。
不謹慎な話だが、どちらも命にかかわる大事ではなくて正直ホッとした。
一晩に何度も出動要請がかかるのは珍しくないが、あの事故以降、出動要請がかかる度に、俺は背中をびくつかせていた。
今まで看取った傷病者と、その家族の叫びは、今でも俺の鼓膜の奥にしっかりと突き刺さっている。
またあの叫びを聞かなくてはいけないのか?と、冷徹に鳴り響く出動要請のブザーに首筋が凍り、軽い目眩を感じていた。
朝を向かえるまで、俺の耳の奥では傷病者達の叫びがこだまし続けていた。
仮眠も取れず、俺は眠気覚ましに寒風吹き込む車庫へと足を運ぶ。
厚ぼったいまぶたをしばしばとさせながら、曇天の鈍い朝日に照らされる救急車を眺めた。
飛び石で欠けたフロントガラス、立ち木の枝が擦った跡、ストレッチャーをぶつけたへこみ、俺達救急隊員が触れる度に擦り減ったドアノブ周りの塗装。
この救急車には、今までの命のやり取りの跡が克明に遺されている。
俺はそれを見て、またたまらない気持ちになって、その場に崩れ落ちた。
俺は、もうこの仕事を続けて行く自信がなくなってしまった様に感じたんだ。
次の勤務明け、申し送りの朝礼の後に、俺は署長室のドアをノックしていた。
胸には、非番の一日をかけてじっくりと書いた辞表を携えて。
「失礼します。」
そうして部屋に入る俺の醸し出す雰囲気を察し、署長は書類を放り、俺の目をじっと見つめた。
「どうした。もう勤務明けだろう?」
用事がわかっていながら、敢えて署長は俺にそう投げ掛ける。
「大事なお話があります。」
俺はそう言い、胸の辞表を取り出そうとした。
その時、署長の口から思いもかけない言葉が発せられたんだ。
「お前、今までに何人看取った。」
その言葉に、俺の背筋はこわばり、そしてまた傷病者達の声が耳の奥にこだましはじめた。
「何人だ?」
署長は質問を繰り返す。
「じゅ、14人です!」
俺はこだまを掻き消そうと、声を張って署長に答えた。
すると署長は表情を変えず、また俺に質問を投げ掛けてきた。
「じゃあお前、今までに何人助けた。」
助けたのは・・・。
意外だった。
俺は助かった傷病者の顔を思い出そうとした。しかし、殆どその顔が浮かんで来なかったんだ。
昨日運んだ子供も、女の子もだ。
「思い出せんだろ。お前は、そんなにも沢山の人の命を救っているんだ。救急車に乗せて搬送する傷病者は、お前にとっては沢山の傷病者の内の一人だろうが、傷病者にとって救急隊員は、本当に頼りになるスーパーマンみたいな存在なんだ。」
そう言って署長は、奥の倉庫から大きなダンボール箱を抱えて持って来た。
中にはびっしりと、手紙が詰め込まれていた。
「傷病者からの手紙だ。搬送した傷病者全員が書いてくれている訳じゃないだろう。それでも一年でこんなにも手紙が来るんだ。きっと中には、お前が搬送した傷病者からの手紙もあるはずだ。」
俺は恐る恐る手紙を手に取り、開いて文面を読んでみた。
あぁ、思い出した。
この人は息子さんと二人で車に乗っていて、トラックにぶつけられた主婦だ。
この人は駅の階段で転んで怪我をしたお婆さん。
この人はピーナッツが鼻から取れなくなって大騒ぎしていた人だ。
みんな、みんな元気で無事に暮らしているんだ。
「時には残念な事もある。だが、自信を持っていい。お前は沢山の命を救っているんだ。お前が居なくなったら、その命は一体誰が救うんだ?」
署長のその言葉に、俺はただひたすらに涙した。傷病者達の顔を思い浮かべ、そして助けられなかった傷病者の分も、これからも命を助けようと。
「明日も激務かも知れん。帰ってゆっくり休め。胸の紙切れは預かっておく。俺の定年までな。」
署長はそう言って、俺の辞表をポケットから引きずり出すと、引き出しの奥にそっと滑り込ませた。
俺は鼻水をすすって署長に敬礼し、署長室を後にした。
車庫では、救急車が洗車されていた。
磨き上げられた俺達の救急車は、朝日に照らされその白いボディを輝かせている。
俺の充血した目に、その輝きはまぶしかった。
所々に残るこの命のやり取りの痕跡は、悲しみの記憶だけではない。俺達の戦いの証であり、そして勲章なのだ。
俺はその戦友とも言える救急車に敬礼を送り、清々しい空気の中、自転車で家路に着いた。
自宅に程近い公園を横切ると、水溜まりの中に何かがもがいているのを発見した。
それは、小さなてんとう虫だった。
要救助者、確保!
俺は自転車を放り出し、てんとう虫を水溜まりからそっと掬い上げる。
するとてんとう虫は、すぐに手の平から指先に向かってちょこちょこと歩きだし、ふるふると少しだけ震えると、ぱかっと羽根を開いて飛んで行った。
その仕草が、何となくお礼を言っているような感じがした。
もう水溜まりに落ちるなよ。
俺はてんとう虫を目で追いながら空を眺め、傷病者とその家族達の笑顔を思い浮かべた。
俺達救急隊員は傷病者を病院へ搬送するまでが仕事だ。傷病者とその家族の笑顔は見ることは出来ないが、それはきっと最高の笑顔に違いない。
一人でも多くの笑顔を取り戻す為に。俺は、明日も救急車を走らせるんだ。
それが、俺の生きる道なのだから。