プロローグ
自分のことをマシな大人だと考えたことはない。
大学で経営の勉強をして、いっぱしの知識と技術すらないのにベンチャー企業を立ち上げ、それが運良く成功だけで自分は天才だと思い込み、事業を拡大して案の定火の車。結局会社は倒産し、妻には逃げられ、今はボロアパートで幼い娘を1人で育てている。
毎日夜遅くまでアルバイトをして日銭を稼ぐ生活。倒産したときの借金はなんとか返済することができたが、その後の人生はお先真っ暗だ。
そうは言っても、暗闇の中には一筋の光ぐらいはあるもので、私にとってそれは娘だった。
娘の名前はリン。
絵を描くのが好きで、私が早く帰るとよくクレヨンで描いた冒険者の絵を見せてくれる。その絵を見せながらリンはいつも冒険の話を聞かせてくれる。私はそれが何よりの楽しみだった。
今日はクリスマス。仕事を早く切り上げて、ケーキを買った。ケーキなんて贅沢なものはこの日ぐらいしか買えない。リンにはいつも我慢をさせている。だからこの日だけは、リンの言うことを何でも聞くことにしていた。
リンのお願いは3つあった。
1つ目が、早く帰って来て欲しい。
2つ目が、ケーキが食べたい。
3つ目が、黒いクレヨンを買って来て欲しい。
どうやら最近、黒いクレヨンを切らしてしまったらしく、それを買って欲しいと頼まれた。私はもっとお金がかかるものでもいいんだぞと言ったが、リンは大丈夫と言って笑った。
私はケーキとクレヨンを手に携え、小走りでアパートへと向かう。アパート近くの道路の信号に捕まった。私はケーキが崩れていないか確認しつつ、信号が変わるのを待った。
「パパ!」
すると突然、向こう側から娘の声が聞こえてきた。私は驚き、顔をあげると、そこには息を切らしたリンの姿があった。リンは家から滅多に出ない子だし、彼女は何かに怯えるような顔つきでこちらを見ている。
「どうしたんだ?」
リンはその問いかけに答えず、代わりに一瞬後ろを振り向くと、慌てた様子で道路に出た。信号は、まだ赤だ。
横から走ってくるトラックに気付き、私はリンを庇うようにして突き飛ばした。そこから先のことは、あまり覚えていない。
ただ、最期に見たのが、黒いクレヨンが、倒れた自分の目の前を転がる光景だったことだけは鮮明に記憶している。